7.

 八月三日。午後六時半。

 澪は柏駅から常磐線快速で一駅隣、我孫子駅の南口前で待ちぼうけをくらっていた。

「みんな遅れるのかよ」

 創世と桜は百歩譲っていいとして、駅の反対側とはいえ我孫子駅北口から徒歩十分ほどのマンションに住んでいるシュノは遅れちゃ駄目だろう。

 そのマンションは〈国立アンドロイド研究所〉通称〈くりあん〉所管であり、シュノのような〈完全なアンドロイド〉が住居する目的で建設されたものである。年々増築されているが、それだけ〈完全なアンドロイド〉の数も増加しているということであろう。彼ら全員がそのマンションに住んでいるわけではないようだけれど。

 因みに、澪はもう一駅常磐線に乗った先にある、天王台という町に住んでいる。

「おーい。待たせてごめん!」

「わるい!」

「ごめんね、厳くん」

 十分ほど経過して、遅刻組三人がどたどたと到着した。

「はぁ、しょうがない、今回は許す」

 パッと見て、シュノまで遅刻した理由は察せられた。

「……じゃあ、行こうか、手賀沼」


 今日は手賀沼花火大会。

 千葉県柏市と我孫子市の間に位置する手賀沼は六・五平方キロメートルの面積を有する湖沼であり、年に一度、その野鳥を始めとした豊かな生態系を育む湖面に、色彩豊かな大輪の炎の花々を咲かせる。

 毎夏恒例となった花火大会には約四十万人もの人々が来場するため、我孫子駅から手賀沼へと緩やかに傾斜した一本道は、歩行者天国になってなお人でごった返していた。

 老若男女様々な人間が作る人の川を、その流れに身を任せて少しずつ下っていく。なんとも、カラフルな川だこと。

 澪と創世はTシャツにパンツといったシンプルな服装だが、シュノと桜は珍しく浴衣に袖を通していた。シュノは紅を基調として各所に燈や白の椿が咲き誇る浴衣に、水縹の帯がしっとりと調和。桜は夜空の紺に名の通り桜の御花が舞う模様を、横切った濃紅がきりりと締める。

 シュノと桜は朝、学校で合流してからずっと一緒で、澪らとの集合前にシュノ宅に寄っていてそこで浴衣に着替えてきたとのこと。

 だからだろうか。あくまで低温な桜まで、今日はルンルンなようだった。キャッキャッと写真を撮り合って、いつにもなく軽口を叩く。

 こと桜に関して、澪と創世は不思議と保護者のような目線になってしまうから、そんな彼女の姿は実に微笑ましく二人の目に映った。

「桜の方がシュノより背が高いのに、今日はなんか大きい子供みたいだよね」

「わかる、あんなにはしゃいじゃって。明日は雪でも降りそうだな」

「ん、なんか言った? 余計なことだったらメンチカツにするからね」

「サク怖いって。ミンチにした上、サクサクに揚げちゃうとか。あ、サクだけに!」

「「あはははは!」」

「「……どっちも子供だ」」

「「ん、なんか言った?」」



 手賀沼の畔に広がり、今夜の花火鑑賞スポットでもある手賀沼公園の広場に辿り着いた頃には、序盤から飛ばし過ぎたのかシュノと桜のテンションは若干低下していた。

 持参したレジャーシートを広げて、腰を下ろした四人はお茶と芋けんぴを展開する。厭に和に偏ったチョイスは、食料担当の創世の趣味が反映された。

 澪も芋けんぴは大好きなので、特に異論はない。

「七時十分打ち上げ開始らしいから、もうちょっとだ。シュノとサクも芋けんぴ食べな。ほら」

「……ありがと。もらう」

「……パリ、ポリ」

「なんで無言?」

 突っ込んだ創世に、心なしか冷えた二人の視線がぬっと向く。

「……ん、あれ? 芋けんぴあんまり好きじゃなかった?」

「いーや。芋けんぴは好きですけど!」

「わたしも、お菓子の中で一番好きだけど」

「え? じゃあ、なん――」


――ひゅーーーー、ドーン‼


 鮮やかな菊型の一発目が、夏の夜に大きく煌めいた。

「ん、始まった!」

 そして花火は次々と上がる。

 たちまち夜空は咲き乱れた華で埋め尽くされて、歓声を上げた人々の瞳に刹那の満開を残していく。身体に響く轟は音が空気の震えであると肌で感じる大音量で、観客を日常から切り離す。職人が一瞬のために魂を込めた一発一発が、須臾の光と音で強烈な印象を残し夏空に消えていく。それの乱立。それの連続。

「……きれい」

「……ね」

「来た甲斐があったな」

「ほんとに」

 口数は少なく、時たま息をするのも忘れてしまう程――。



 気づけばフィナーレ。怒涛の錦冠菊が始まった。

 金の柳が空に続々と広がっていく。

 澪はこのしだれ柳が特に好みで、これがラストなのだという感傷もあって、一瞬も見逃さぬと広く夜空を刮目した。

「…………ぁ」

 そのせいで、〈灯の満月〉の一つが目に飛び込んでしまった。

 花火の鮮麗と轟音で意識の外に追いやっていられたのに、最後の最後で、常時睥睨する数多の満月に気付いてしまった。

「……不覚」

 一度目に入れてしまっては、その存在感の大きさ故意識せざるを得ない。調査と銘打って昨日まで散々向き合ってきたから尚更に。

 金の柳は手前でぼやけて、犇めく満月たちに焦点が合ってしまう。

「おい、またかよ……!」

 そして、更なる厄難の予兆をも視認してしまった。

「どうしたよ、澪」

 澪の異変に気付いた創世が声を掛ける。

「あそこの月、……明滅してる」

「噓でしょ、このタイミングで⁉」「――!」

 澪の呟きはシュノと桜にも聞こえて、彼の指示した〈灯の満月〉の明滅を見て青褪めた。

 ちかちか、ちかちか。ちかちか、ちかちか。ちかちか――っ。

「あ、消えた」

 しかし、変異は何も起こらない。

 代わりに上がったのは今日一番の歓声で、今年の手賀沼花火大会を締めくくる大玉が連続して発射された。

 昇り曲の笛の音と散らす火花が上昇するにつれ、観客の期待値も否応なく高まっていく。

 夏の夜を力強く邁進する炎の線がやがて途絶え、高揚感に支配された地上に刹那の静寂が訪れ――。

「うわ、ちょっと!」

「――え?」

「何これ⁉」

「……みんな、浮いてる⁉」

 次の瞬間、手賀沼公園に溢れたのは悲鳴の混じるどよめきだった。

 今夜打ちあがった花火のように、手賀沼近辺の、地に固定されていない物質という物質が夜空を昇った。

 人も、屋台も、誰かが乗ってきた自転車も。

「おいおい、嘘だろ⁉ どうなってんだ‼」「誰か降ろして‼」

 悲鳴や怒号ごとみるみる上昇し、今しがた発射された大玉たちが光と音を消した高度をも超越してしまう。

 誰もが卒然予感した。

「――あ」

 手賀沼花火大会、そのラストを飾るこの日一番の大玉錦冠菊らが鮮烈に炸裂した。

 斯くして押し寄せた約四十万の観客は、終演のスターマインを上から観ることとなった。


 パニックに花火を観る余裕などない者がほとんどだったが、キセカン組四人は僅かに変異への警戒心を持つ時間があったからだろうか、中空で身の置かれた状況を把握し冷静さを取り戻すことができた。

 だから、四人は見た。

 間近で満開となった、鮮明で華麗な炎の大輪のうつくしさを。

 澪は隣を浮遊するシュノに声を上げたけれど、鼓膜がやられて自分が何を喋ったのかわからなかった。

「――、――――!」

応じたシュノの声も当然聞こえなかった。でも、その顔は見る者全てを幸せにするような満開の笑顔だった。

 澪も、笑った。声を出して笑った。喉が震えているからそう自覚できた。

 見遣ると、創世も桜も、腹を抱えて笑っていた。

 パニックの渦中で、空中で、こんなにも爆笑している四人組はきっと奇怪だっただろう。

 けれど、澪にはこの瞬間が堪らなく愛おしい。

 自分の置かれている状況なんか思考から取っ払って、火花と、思い出に変わっていく一瞬の、その刹那の煌めきたちが、ただ、ただ――。

「――ぁ、終ゎ――――」

 最後の華びらが夜闇に溶けたとほぼ同時、澪は身体が徐々に下降に転じたことを悟る。

 速度を上げながら落ちていく視界にも、シュノと創世と桜の笑顔と、予想外に綺麗な街の夜景が映って残る。

 ふと、シュノと桜に言い忘れていたことを思い出した。

「ふ――、ゅか――似合ってる――」

 ちゃんと思った通りの台詞を放出できたのかわからなかったし彼女らの耳が機能していない可能性も多分にあったけれど、桜は微笑みで、シュノは双手ピースサインで応えてくれたから伝わったのだろう。

 引き延ばされた時。

 でも、決して止まることはない今。

 夜空の旅に終わりが来る。

 迫りくる手賀沼の水面。水とはいえ、この高さから落ちたらコンクリートくらい固くなるんだろうな、なんて思って――。

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