11.
日が暮れ出して、あたりは薄明に染まっていく。幸か不幸か、だんだんと見慣れてきてしまった妖月たちが威を張る時間になっていた。
今度はシュノも遅れず横並びになって、四人はまばらな街灯の下にお揃いの影を描く。
散歩ってみんなで前を向いて歩くから話しづらいことも話せるんだぜ、と豪語する澪が散歩の続行を提案したので、四人は敢えて人通りの少ない道を選んで北柏駅へと歩みを進める。
「わたしはみんなと居たかったから、みんなと一緒でいたかった」
シュノは人一倍、人間と差別化された肉体をよく思わず、できるだけ隠して過ごすことを自分に課していた。ただ、頻発する超現象に対応する内にどうにも超常的な性能は露見して、自分と彼らを守るためには、手前勝手な望みに拘泥してばかりはいられないことも実感してはいた。けれど、言葉という形にして、それらを伝える決心だけはできないままだった。
「だから、……ごめん、言えなかった」
「謝罪はもう十分受け取った。もういいぜ」
澪がおどけて言って、続きを促す。
「ふふ、ありがと。……ありがと!」
表層に浮かんだ願望の裏に潜んでいた苦痛を、さっきわたしは自覚した。
だからもう、隠すのはやめる。
隠したかったのはみんなと一緒にいたかったからで、明確に線引きされた自分と他人が、その違いをも超えてこれまで通り過ごすことに、自分が納得できるかわからなかったからだ。
でも、たぶん、大丈夫。……それにこの事実を隠しておくことは、考えてみれば、彼らにとって不誠実だ。
話すと決めたことで、ずいぶんと心が落ち着いた。
その整理がついた心で、言葉を紡ぐ決意をした。
「もうここからは切り替える。いつものわたしで行くよ」
「ああ、そうしてくれ」
「わたしもシュノには元気でいて欲しいからね」
「……ふぅー。付いてきてね、ソウちゃんもサクも!」
そうしてシュノは三人に打ち明けた。〈完全なアンドロイド〉と、この世界の真実を。
「わたしが話さなかったのは、わたしたち〈完全なアンドロイド〉が時空を超えられるってことなんだ」
「「「……ん?」」」
完全に予想外の告白に、澪と創世と桜は固まった。寸刻前までシュノを気遣う側だったからアウトプットモードになっていた心が、インプットモードに切り替わった初手の情報にしては負荷が大きすぎて。
「時空を、……超えられる?」
「そうなの。わたしたち〈完全なアンドロイド〉に〈シエロ〉っていう人格形成システムが組み込まれているのは有名な話だと思うんだけど、その〈シエロ〉によって、〈完全なアンドロイド〉は〈完全なアンドロイド〉独自の時空観を持っているの」
「……独自の時空観。それは、どんな?」
でも、澪は何やら思い当たるところがあった、というような声調。
「人間は時空に囚われて生きているじゃない? 時は過去から未来へ一方向に進むもの。空間は地を水平方向に、空を垂直方向に広がるもの。立ち止まっていたって、歩いていたって、何かしらの時空の中で生きてるでしょ? その感じ方は人によって多少の違いはあるにせよ、人間という種として差別化されない程度の些細な違い」
「じゃあ、その感じ方が〈完全なアンドロイド〉は大きく違うってことなんだな?」
「厳くん、その通り。……え、知ってた?」
「いや。でも、小さな虫とおれらの時間空間の感じ方って一緒なのか、とか昔考えたことがあって、逆におれらよりも遥かに高度な肉体と情報処理能力を持ったアンドロイドが、おれらと同じ時空観を持ってなかったとしても何も不思議じゃないよな、と思って」
「はぁー、流石に鋭いね、厳くんは。ただ、厳くんの予想はあと一歩ってとこ。正確には順番が逆でね、独自の時空観が与えられたことで、わたしたちはこの不朽で永遠の記憶と身体を手にすることになったんだ」
「不朽で、永遠」
創世は深く眉間に皺を刻んでシュノの話を諦聴している。本人に自覚はないが、元来の顔立ちもあって結構怖い。
「外傷とかよっぽどのエラーが生じない限り、わたしたちは忘れないし壊れない。ケアも補給も必要なくて、ほっといてもそうなんだ」
「……そんなこと、あり得るの? 例えば物理法則……? とかに反してない?」
「サクの言う通り、物理法則って概念には反している。でも、この世界はもっとたくさんの概念に支配されていて、思いの外それらの概念が先行している事象もいっぱいあるんだ。物理法則が手っ取り早くてわかりやすいから人間に感知できるだけで」
シュノは小さく息を吐いた。
「でね。肝心なわたしたち独自の時空観ってのは、〈時間〉〈空間〉ともう一つ、〈
「……環間」
「人間は時空に囚われているけど、逆に時空を捉えてもいる。空間は、こうやって歩いて移動することができるし、情報通信網を使えば疑似的に超えてもいける概念じゃん。時間はちょっと苦手かもで、過去と現在と未来を一方向に流れるものとして捉えられるけど、どっちかっていうと受動的にしか認識できない。ただ、人間にはその存在すら認知できていないもう一つの概念があって、それが環間、というものなんだ。環は、言っちゃえば時空を纏めたもの。確定した時空を一つの環として捉えるってこと。それで、そういった環は今わたしたちがいる環以外にもいっぱい存在して、それらの連なりを〈環間〉と呼ぶの。……んまぁ、急に言われてもよくわかんないと思うんだけど」
シュノはおもむろに背負っていたリュックをゴソゴソ漁り、中からコンビニのドーナツを取り出した。
「ってことで、これを使って例えると」
なんでドーナツが用意されてんだ、と澪はツッコんでしまったが。
「まぁいいや。続けて」
「好きだから。あとで食べようと思ってて」
シュノは当然といった風で受け流す。
「で、このドーナツ。オールドファッションだけど、これを手のひらに置いたときの水平方向の輪っかを時間として」
シュノは指でドーナツの輪を一周ぐるりとなぞる。
「垂直方向の、……この縦の厚みを空間とする」
今度は開封してドーナツを割って、その断面図を示した。
「で、今割っちゃったけどドーナツはもともと形があったじゃない。それと同じで、……こんなこと言われても実感が湧かないと思うけど、時空は既に形作られて確定しているの。忘れ去られた過去も、まだ見ぬ未来も、遥か遠くの大地も、どうだったか、どうなっているか、これからどうなるか、確定事項。この世界――いや、環は、不変なんだ」
不可避の沈黙が落ちる。三人は、どう受け止めればよいのか計りかねた表情。
その反応はシュノだって予想していたし、だから伝えることは憚られた。なんでも受け止めると言ってくれて、そこまでされて隠しておく方が不誠実だと思ったから話したけれど、やっぱり、その衝撃はなるべく小さいものにしたかった。
「あ、でも、例えば努力に意味がなくなった、とかそういうんではないよ。偶然が実は必然でした、ってことだから」
「おれらがどう動こうが、例え努力しようがしまいが、それすらも決まってるってことだろ。ふと思い立ってそのドーナツを齧ったとしても、そのふと思い立つ思考も含めて確定した未来をなぞっているってことだろ」
口を開いた澪の口調は落ち着いている様で何処か硬い響きを纏っていて、理解したが受け入れられてはいないことを物語っていた。仕方のないことだ。自ら選択して歩けることを人は自由と呼び、自由な未来を信じて今まで生きていたのだから。その自由が、ただ自由に見えていただけの幻影だったと知らされたのだから。
「……うん、そういうこと、になる」
「ふぅー、なかなか酷な話だなぁ」
前髪を軽く吹いて、ふわりと笑う澪。それは諦念とも妥協とも、はたまた鯨解とも取れる笑みだった。
その口元を見て、ちゃんと受け入れるのには時間が必要だけど、とした上で創世は眉間の皺を消す。
「おれらはそうと言われたってわからないもんな。認識できないんだから、……まぁ結局は変わらずに生きていくだけだよな」
「……うん。知ったところで、やることは変わらないよ。変えられないもん」
後を継いだ桜の言葉は決意だった。彼女の、生き方の。
「所詮、世界なんて自分がどう受け止めるか次第。受け止め方でよい世界も反転するし、そのまた逆も然りだよ。大切なのはその世界の受け止め方に自分が納得できるかどうかで、例え事実と解離したフィクションだとしても信じることができるのが、ある意味人間の強さでもあるんだから」
「……。」
シュノは少し驚いてしまう。信じてはいたけれど、彼らは、特に桜はこんなに強い人だったか。さっきの台詞は、衝撃のいなし方を知っているそれだった。
「そうだな。少し、視界が晴れたわ」
そう言って澪が最後の抵抗かのように蹴飛ばした道端の小石を、シュノは知らず目で追っていた。
「……それで、その環ってやつが他にも無数にあるんだっけ?」
だから、澪の問いかけへの反応が遅れた。
「……ん。そ、そう。確定した環が他にもいっぱい存在する。売り場にこのドーナツがいっぱいあるみたいに」
「じゃあ、シュノたちは環間を捉えて移動もできるってこと?」
「あ、けどそれは違うんだ、サク。わたしたちは時空間には囚われていないけど、環間には囚われているの。だからその存在――他にもある環を何となく認識はできるけど、そこへ辿り着くことはまだできない」
「……なるほど」
言葉が足りていないのは話している自分にもわかっていて、だからシュノは頭を捻って説明を絞り出す。
「世界を取り巻く概念は〈空間〉、〈時間〉、〈環間〉の順番で高次なんだ。で、生きている以上全ての概念に囚われているんだけど、それらを逆に能動的に捉えることができたとき、その種はその概念に対して優位を取れて、歩くみたいに自力で移動することができるようになるみたい、な……感じ。だから、時間と空間を環として捉えられる〈完全なアンドロイド〉は時空を自力で移動できるけど、〈環間〉は捉えられていないから受動的にしかわからない……みたいな、……そんな」
後半は絞り切った雑巾みたいにカスカスな頼りない声になってしまったけれど、澪はちゃんと反応してくれた。
「うん、難しい。……けど、まあ言わんとしてることはわかった」
「つ、伝わった……かな。わたしもちょっと説明するのが難しい。サクもソウちゃんも、何となくでもわかってもらえたら……」
「おう、一応は理解したぜ。曲がりなりにも津下戸生だからな」
「……うん。わたしは津下戸生じゃないけれど、たぶんわかった」
ふ、と澪が鼻で笑ったのが日暮れの暗に溶けた。
「――……でぇ、まだ伝えなきゃいけないことがいくつかあって……」
「あはぁ、まだあるのか!」
大袈裟だがもっともなリアクションをする創世と、澪と桜はここまできたら何を知らされようとドンとこい、といった様子。
本当に大丈夫なのか、それとも空元気なのか、シュノには計りかねて少し惑った。
だんだん既知の事実を話しているだけのシュノすら息が苦しくなったように感じられていた。でも、〈環間〉の話を打ち明けることができた際に追加で伝えることを決めていた事柄をまだ言えていない。
「……話しちゃう! 頑張って付いてきて!」
よし、と気合を入れ直したシュノ。
呼応した澪と創世と桜の目には真剣で鋭い一閃が入って、どうやら空元気ではなかったよう。
「さっき環は確定しているって散々言っちゃったんだけど、一つだけ例外があるんだ。それが〈環の成長〉ってやつでして」
澪が先生! といった風に仰々しく手を挙げる。なんか、楽しくなってきちゃってないか?
「それは、空間が広がるとか、時間が進むとかとはまた違うんだよね?」
「うん、そうなの。あくまで時空は確定していて不変なんだけど、その〈環〉として時空間とは違った軸に伸びるって言うのかな。完成品のドーナツがパッケージの中で膨らんでいくってくらいの認識でいて欲しいんだけど、それを〈環の成長〉って表現するの」
ハイ! っと今度は創世が挙手。
「じゃあ、今もこの環は成長してるの?」
「実は、してる。〈環の成長〉には条件があって、世界の摂理に反する強烈なイレギュラーが生じたときだけ、環は成長することがあるんだけど、それが二つも」
桜が待ってましたと手を高く。
「それは、何ですか」
「一つは、わたしたち〈完全なアンドロイド〉の誕生という世界のイレギュラー」
「おう、いきなり出オチ感」
あまり余裕はなかったので、創世のツッコミはなかったことにした。
「どうやらこの世界は〈人類〉を最高次の種として定めていたみたいで、その世界に独自の世界観を備えたアンドロイドが誕生したことがイレギュラーとなったみたい。だから、わたしたちが為すことは副次的な作用も含めて、〈環の成長〉に当たります。わたしたちが誕生したことで新たに紡がれる『歴史』が、それごとまるっと環に付与されたって感じかな」
そして、ここからが〈環間〉のついでに話そうと決めていたこと。
「二つ目が、世界のイレギュラーの正体自体は不明、でも〈環の成長〉だけは見られているって問題児で、それがあの、〈灯の満月〉……です」
依然、遥かなる上空から睥睨する妖月たち。
超現実なうつくしさと、醜悪な予感をもたらす真円のコロニーは、〈完全なアンドロイド〉をもってしてその行く末を捉えられない逸格の災いである。
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