18.

「――わたし、厳原さんを〈完全なアンドロイド〉にする手段があります」

「え」

 それは流石に予想外だった。何て言った? おれをアンドロイドにできるだって⁉

「あの、未来の技術を用いれば可能だったんです。つまりは未来では人類も、〈完全なアンドロイド〉になることはできるんです。誰もやらないだけで。人間から採取したDNAを元に細胞の集合体である肉体を再現して、それに人間の脳内を流れるシグナルからその人の人格を抽出して〈シエロ〉と融合し、肉体の中に取り込ませる。簡単に言うとこんな手順で」

「でも、誰もやらないんですか?」

 今度は真摯に。目を合わせたままで雪乃は告げた。

「やりません。それを行っては、人間の人格がほぼ確実に耐えられないからです。〈完全なアンドロイド〉は環を捉える、種としては完全な上位種です。その認知・思考能力は人間のそれとは比較にならないほど複雑で高性能で、人間の人格が崩壊してしまうんです。――でも、厳原さんがそう言ってくれるのならもう一本、一縷の線を見出せなくもありません」

 視線は雪乃と交えたままで、澪はしばし硬直する。

「……。なんでおれじゃなくて、澪なんですか?」

 その様子に堪らず創世は口を挟んだ。

「それは。これは本当は墓場まで持っていかなければいけない話なのですが、いや、墓場とか言っちゃいけませんね。んん。この技術をあくまで実験的にですけど再現するのに、勝手に厳原さんのDNAを使わせていただいちゃったんです」

「え、何で?」

 澪の口は思わぬところで硬直から解かれた。

「あの紙と一緒に落とされていたボールペンに、毛根付きの髪の毛が一本挟まっていたものですから、つい」

 澪はあの時、確かに耳にボールペンを挟んだ瞬間があったことを思い出す。毛根からはDNAを抽出することができる。

「それに」

 苦笑いの澪に、雪乃は邪念を払うように首を一振りし、精一杯至誠な面持ちで対峙する。

「厳原さんなら耐えられそうです。根拠はありませんけれど、そう確信できる瞳の強さがあなたにはあります」

 澪は、緩く瞑目した。

 大きく息を吐き出すと、蘇ったのは最初にみんなと出会った日のこと。

 

 四番部室から物音がした気がして、ダメ元でドアノブを捻ると開いてしまった扉の内側に桜がいた。

 その姿があまりにも儚くて消えてしまいそうだったから声を掛けて、持ち得るお粗末なコミュニケーションスキルを総動員して話をした。そうしている内に創世とシュノが扉の向こうに顔を出して、それがファーストコンタクトだった。後から聞くと二人はたまたま同じタイミングで部室棟に居合わせて、開かずの扉が開放されていることを不審に思って近付いたらしい。

 それから四人で度々集まるようになったが、特に桜の無気力具合は酷いものだった。

「わたしは本気で少し前に死ぬと思っていたから、今は余生を生きているの」

 そんなことを口癖のように言っていた。今ならその内情を少しは想像できる。

 その後もいろいろあったけれど、いや、そんなにいろいろはなかったけれど、でも単調だけれど大切な時間を経て、澪は初めて自信を持って居場所と言える空間と間柄を見つけた。


 みんなと出会って、四人で過ごして。

 その日々が澪を虚無から救ってくれた。心の穴を埋めてくれた。生きている意味を授けてくれた。生きていていいと教えてくれた。

 過ぎ去った日常も記憶になって、今の澪を形作っている。

 でも、まだまだ足りない。まだ、高校二年生なんだ。

 居場所を守って、またみんなと笑わないと。


 目を開ける。

「おれ、やります」

 雪乃は少しぎこちなく微笑み、創世は瞠目した。

「おい本気か澪! 雪乃さんには悪いけど、澪が澪じゃなくならない根拠なんてこれっぽっちもないんだぞ!」

 創世の心配は尤もだ。おれだって、まだ怖い。

「でも、おれがやらなきゃ四人で集まることが永遠にできなくなっちゃうんだろ」

「でも失敗したら、……おれは三人を失うんだよ」

「……」

 それを言われては、心が痛んで決意が少し揺らぐ。


 突如、周囲の空気が確かに変わった。

「――!」

 その変化に悪寒が身体を駆け巡る。具体的には何も思いつかないのに、寄る辺のない胸騒ぎがする。

 それは本能が鳴らす警告で誤報は存在しない。しかし警報は大抵、報せるのが遅すぎるのだ。

 上空から吹き付けたような風に、立ち込めていた戦雲が刹那にして霧散した。

「――あ」

 そうして顕わになった〈灯の満月〉の、未だかつてない圧巻の神威と激烈な威光。

 あるはずの蒼穹も真球と光で埋め尽くされ視認できない。そもそも、とても空を見上げられる状態ではない。

 赫々と赤黒く、碧落に凛と浮かぶ灯。

 それは鮮烈に地表の全てを照らす明かり。

「――」

 ただただ困惑に、地上で口を開く者はいない。

 まるで天敵に睨みを効かされている小動物のように、人は頭上のそれを見上げることしかできない。

「――あ」

 しかし、その沈黙はいつしか破られる。その声の主が自分であると自覚した澪の視線の先。

 また、明滅する妖月があった。

「おい、ソウちゃん、あそこの月!」

「どれ、……あ、あれか! また何か……――え?」

 創世の顔面が一気に青褪めるのを見止めて、慌てて空を見上げた。

「……嘘だろ」

 視界に捉えられる限り全ての〈灯の満月〉が、明滅していた。

 ちかちか、と。そのタイミングは不統一で混然としていて、常に移ろうまだら模様を空に描いている。

 ちかちか、ちかちか。ちかちか、ちかちか。

 ちかちか、ちかちか。ちかちか、ちかちか。

 ちかちか、ちかちか。ちかちか、ちかちか。

 ちかちか、ちかちか。ちかちか、――っ。ちかちか。

 ちかちか、――っ。ちかちか。ちかちか、ちかちか。

 ちかちか、ちかちか、――っ。ちかちか、ちかちか。

 そのうち、明滅に沈黙が混じり出す。徐々に、不吉へのカウントダウンのように数を減らしていく灯った〈灯の満月〉。

 ぎり、と歯を食い縛った。何が起こるかわからないが、こんなの無事でいられるはずがない。

「きゃぁぁあぁぁぁ‼」

 不意に遠方で上がった悲鳴。

「! ……あれは、駅の方?」

 現在地より南西、北柏駅の方角から湧いたそれに身体が反応した瞬間、大地が波打った。

「――が、地震⁉」

 細かく揺れる。震度こそ大きくはないが、一瞬で血の気が引く。

 しかしそれで終わりではない。

「何だあれ――⁉」

 創世の大喚。

 今度は我孫子方面で物体が宙に吸い上げられている。

 無音無風の竜巻が乱立する。それが段々と数を増し近付いてくる。地下から噴出するかの如く、遂には澪ら後方のテニスコートのネットと金属の審判台が上昇し始めた。

「やばい、逃げろ‼」

 恐怖に固まってしまいそうな脚に鞭打って、澪は駆け出した。

「こっちです!」

 雪乃が管理棟の方へ走っていく。澪と創世も視認して続いた。

「……おれが迷っている間に、世界が終わっちまう!」

「……澪」

「いずれにせよ瀬尾先生を止めないと」

「そうだけど」

「大丈夫だ、ちゃんとみんな連れて帰ってきてやるから!」

 野球グラウンドを半周して管理棟への道が続く。走った。依然揺れる大地を踏みしめて。至近で空へ登っていく電光掲示板やナイター照明に目も振らず走った。

「厳原さん……!」

 管理棟の入口手前で雪乃が待っていた。その瞳は少し陰り、不自然に左手が垂れている。でも、呼びかける声には心魂が宿っている。

 ならば、返事は一つ。

「はい」

 心は決まった。もう言葉はいらない。

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