4.

 今から二年と少し前。制歴二〇二一年暮れのこと。

 世界各地から選りすぐりの技術者を寄せ集めた一大プロジェクトから、一つの重大な発表が為された。

 「〈完全なアンドロイド〉の開発に成功した。」

 各国から資金の援助が為され、人類の叡智が惜しみなくつぎ込まれた当プロジェクトの目的は、「人として生きるアンドロイド」の開発。


 人が六〇〇〇年以上積み上げてきた歴史の中で、取り分け科学の進歩は顕著であり、人類の臨界点を迎えつつあった。

人類の代わりに何かをこなす。「目的」を果たす構造体を物質を操ることで製造する。

 そこに凡そ不可能はなくなり、残るは果てなき宇宙そらの開発と、人類自身の完璧な模倣となった。

 人のDNA塩基配列は疾うの昔に解読されたが、やがて脳を駆け巡るシグナルの全ても人類は手中に収め、人の身体の成り立ちや思考の動きが物質として把握できるようになったあたりから、先に達成するは後者であろうと世が流れたのは当然の帰結であった。

 まもなくして、人類は人工的に人の肉体を再現することに成功する。

 それ自体が人工的な生きる細胞の集合体である肉体は自律的に動作し、程なくしてプロジェクトは終わるだろうと誰もが思った。

 しかし、そこからが長かった。

 当初、科学者たちは、肉体を完全に再現すれば精神も自ずと転写されるだろうと考えていたのだがこれがどうも上手くいかない。

 人の高度な精神がどうにも構築されず、結果的に、意識の核となるプログラムの開発が必要であろうと結論付けられた。

 人の意識とは。

 人の思考の、その全てのベースにある言わば「個性」のようなもの。

 生きる人々にも己が精神世界を完全に把握することは不可能なものだが、それをアンドロイド内部に再現しようとする試みである。

 前途は多難。まさに無理難題。

 それでも、人類は諦めなかった。これまで積み上げてきた歴史の上に立つものとして、定めた目標を道半ばで投げ出すことなど許されなかったから。

 そして遂に。

 四十年の月日を費やして、人類は〈シエロ〉と呼ばれる人格形成システムを開発するに至った。

 〈完全なアンドロイド〉に搭載されている人格形成システム〈シエロ〉。

 その肩書きの通りアンドロイドの精神を司る領域に組み込まれ、アンドロイドそれぞれの人格、「個性」の伴った意識を形成するシステム。

 〈シエロ〉に組み込まれた機能は二つ。

 一つ、各アンドロイド内部にそれぞれの〈個人の世界〉を構築すること。

 一つ、アンドロイドにアンドロイド独自の時空観を付与すること。

 前者はその個体が諸感覚器官から取得した情報を、新たに〈個人の世界〉としてその個体の中で再構築する機能。

 周りの環境から得られる情報を受動的に受け取るのではなく、能動的に支配し、活用していく。さらに言及するならば、個々のアンドロイドの中で再構築された〈個人の世界〉は、アンドロイドの稼働時間と共に永遠に蓄積されていくのだから、人類の持つ経験が個々人の生き方によって大きく異なるのと同様に、稼働時間と相関する形で〈個人の世界〉は各アンドロイドによって異なっていく。蓄積された景色と情動の差異が異なる視点を生み出し、この繰り返しによってアンドロイドは個々の判断基準、言わば価値観というものを獲得していく。

 このようなプロセスはまさに、日々蓄積される経験に基づいて今を生きる人類のそれ。

 後者は、正直なところ偶発的に付与された機能であるのだが、生命体がその身を死ぬまで預ける「時間」と「空間」に対する認知の仕方を、アンドロイドという身体に適合する形で授ける機能。

 実のところ、アンドロイドを自立したとして確立させるためにはこのステップが必要不可欠だったのだが、科学者たちはそれに最後まで気付いておらず、幸運にもたまたま〈シエロ〉にこの機能が副作用的に備わったことでプロジェクトは終わりを迎えることができたのだった。

 アンドロイドは独自の時空観を付与されたことによって、結果的に、彼らの細胞は有する「能力」を飛躍的に向上させ、その肉体は不朽のものとなった、とも言われている。〈完全なアンドロイド〉たちに言わせれば正しい表現ではないらしいのだが。

「不朽の身体に関しては、厳密に表現するとこの〈たまき〉ではってことだけど、人類の感覚ではわかりませんよね」

 とは、あるアンドロイドの弁。

 最後まで思惑通りとはいかなかったものの、人類はこうしてアンドロイド内部に高度な精神世界を創り上げることに成功し、「人として生きるアンドロイド」はめでたく誕生することとなった。

 人として生きるどころか、あっさり人を超えた存在になってしまったわけだけれど。

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