14.

 手賀沼は夕景が一番綺麗だと澪は思う。

 凪いだ水面にはカモの孤影と幾本かの木杭。夕陽の橙が奥の方から岸へと迫り興趣のあるグラデーションを作る。我孫子市の手賀沼公園から見ると対岸の柏市の発展も視界に入るから、連なる建造物や送電塔の無機質さが対比して、その誘い込まれるような異境感も癖になる。

 二人はしばらく岸辺のベンチに座って暮れ時の手賀沼を眺めていた。

「シュノ、よくそれ付けてるよね」

 澪が何気なく向けた視界に、シュノが履くパンツのベルトループに通されたキーチャームが入り込む。

「うん、そうね。貰い物なんだけど、とっても気に入ってて」

「へぇ、いいと思うよ」

「そう? ありがと」

「……」

「……」

 しばらく、また無言の時間。微風に水面が揺れて、岸で涼しい音が鳴っている。

「……わたしさ。みんなの中でわたしだけ〈完全なアンドロイド〉であることが、すごい嫌なんだ」

 シュノがふと口を開いた。

 澪が彼女の方に顔を回すと、瞳は変わらず水面を捉えたままで言葉が続けられた。

「わたしは永遠の身体と不朽の記憶を持っていて、……でも、みんなは年を取るし忘れもするでしょ」

「そうだな。おれだって忘れたくはないけれど、人間の記憶は後ろから削れていくものだからな」

「わたしはそれがすごく怖いの。みんなが忘れて、わたしだけ記憶を持ち続けるのが。……いろいろ我儘だなとは思う。厳くんみたいに忘れたくないのに忘れる身体をしている人がいて、そんな中で覚えていられるのにそれに対して文句を言うのは」

 澪も、再び視線を手賀沼に戻す。

「おれは我儘だとは思わないよ。別にシュノが望んでその身体になったわけでもないんだし。自分だけ忘れられない苦痛だって、おれには計り知れないものがあるだろうよ」

「厳くん……ありがとう」

 シュノは少し高い澪の横顔を見上げた。それに気付いて、澪はシュノの目線を真摯に受け止める。

「わたしは置いて行かれるのが怖い。でも、みんなとの大切な記憶をなくしたくもない。昨日を、今日を、明日を、日常を。もし離ればなれになるようなことがあったとしても、その関係性ごと抱きしめて全部覚えていたいと思う。ずっと忘れない、それはわたしだけにできることだと思うから。でもね、その孤独に耐えられる自信も、やっぱりないままなんだ」

「……うん。おれも覚えていて欲しいと思う。ああ、でも。ごめん、なんて言ったらいいか――」

 その微かに揺れる眼差しを受け止めることだけはしてやれたけれど、悩みに相応しい言葉を紡ぐことはできなかった。

「いいの。聞いてくれるだけで。ほんとに、だいぶ、違うから……。こっちこそごめんね。今はサクのことでただでさえブルーなのに、こんな話聞かせちゃって」

 シュノは立ち上がった。

「そろそろ帰ろうか。だんだん肌寒くなってきたし」

「……そうだな、帰ろう」

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