13.

「たまには当てちゃおっかな。じゃあ、蒼さん。ここ、わかるかな?」

 創世が精一杯頑張って低い声を出して、案外その声は腹に響いた。

「ぷっははは! 似てる似てる! 一瞬、ほんとに瀬尾先生に質問されているみたいな感覚になった」

「ソウちゃん、これに磨きを掛ければ持ちネタにできるぞ」

「じゃあ早めに習得していきますかね。あと一年半で通じなくなってしまいますからね。……はぁ、これ結構疲れるけどな」

 今日は四番部室に澪と創世とシュノが集まった。桜も遅れてくるようで、また当たり前となった最上の時間がやってくるだろう。

 先日見た変な夢や部室で夜を越した桜の話は、その日の放課後に話のネタにしてしまったが、もう一度掘り返してきて一通り笑って、それから先生のものまねの話題になった。

「でも羨ましいな。おれ声質的にものまねできそうな先生いないんだよな」

「羨ましいってなんだよ」

 創世は笑いながら言ってくるが、澪はわりかし本気である。

「だって、これっていうものまねを持っていたら、いざって時に対応できるじゃん? なんか、クラスレクの罰ゲームの一発芸とかでさ」

「まあ、確かに? でもそれなら、別に先生じゃなくてもいいんじゃないか?」

「そうだよ。みんなが知っていればいいんだから、芸能人とかもうけるんじゃん」

 澪はそれを聞いて納得しつつ、しかし頭を捻る。

「……芸能人でもいいからさ、おれがものまねできそうな人思いつく?」

 二人も唸った。

「うーん、確かに厳くんの声って誰かに似てるとかないかもなぁ」

「そうだなぁ。まあ、似てなくても似せに行くのがものまねだと、おれは思うけどな」

 ちょっと得意気に言うのが鼻に付く創世であるが、言っていることは一理ある。

「まあな。じゃあちょっと探してみるかな、おれが似せられそうな人」

「因みに、わたしは厳くんの声は耳心地よくて結構好きだよ」

「それは、おれも思う。おまえいい声してるよな」

「おほっ」

 急に自分の声を褒められ出して、その不意打ちに為すすべなく澪は照れてしまう。

「こいつ、赤くなってやんの!」

「あはははは!」

 ……こいつら。

「そんなこと言ったら、おれだって創世とシュノの声いいなって思ってるし?」

「おおーそれは嬉しいなあ」

「厳くんありがとーう」

 言ってから気付いた。別にこれ、何の効果もない。たぶんどんどん自滅しているだけだ。

「……何これ。何で声を褒め合ってんの?」

「「「うおぅ、サク」」」

 いつの間にか開け放たれた扉の前に桜がいて、半眼でこっちを見つめていた。


「もとは先生のものまねの話してたの」

「あ、そうなんだ」

 遅れてやってきた桜に軽く状況を説明したシュノもちょっと頬が紅潮していて、それを見て桜は隠さずニヤける。

「ちょっともう、なに笑ってんのサク! もう、もう!」

 何とか流れを変えたかったのかシュノは必死に思考した後、パンと両手を合わせた。

「そうだ、もう一回瀬尾先生のものまねしてよソウちゃん」

「ん、いいけど。サクは瀬尾先生知らないもんな?」

「知らない」

「だからこそ! よく話題に上がる瀬尾先生はこんなだよ、ってサクにも伝えられるじゃない」

 しばしば話題に登場する人気人物であるが、その度に置いてけぼりにしてしまう桜に引け目を感じていた澪も、その意見には賛同だった。

「そうだな。ソウちゃん結構似ているから、こんな感じの先生がいるんだ、程度で聞いてもらえれば」

「……なんか、こうやって場を設けられてやるの恥ずかしいんだけど」

「いいから、やる!」

「ここまできたらやりなさい。わたしもちゃんと聞くから」

 桜の圧も相まって、創世に逃げ場はなくなった。

「えぇ。……わかった。んん。たまには――」

 ひとつ咳払い。

「んん。たまには。……たまにはぁ当てちゃおっかな。じゃあ、秋実さん」

 堪らず澪とシュノは吹き出した。

「ちょっと、『たまには』でチューニングするの面白すぎるんだけど!」

「ひー腹痛い腹痛い!」

 でも、創世がものまねしてみても結局は完全に身内ネタで、ひとしきりシュノと爆笑して、やっぱり澪は心に小さなささくれが残る。見遣ると桜は顔を強張らせているようだった。

「んん、……だよね、やっぱこういう身内ネタはほどほどに――」

「今の、似てるの?」

 遮ったその声は切迫していた。話に付いていけない、とかそんな生易しいものではない。単純な恐怖とも違った、畏怖の対象に向くその響き。

「え、うん。それなりに似ていると……思うけど」

 さらに桜の表情は引き攣る。部室で眠っていた、あの時とどこか似た血の気のなさ。

「……そんな。そんなこと」

 震えを必死で押し殺し、けれど堪え切れず揺れる肉声。

 左手で右の肘を掴み身体を抱えるようにして、それとどこか引け目を感じる目が三人に向けられた。

「ごめん、今日は帰らせて」

「……それはいいけど、どうした、大丈夫か? あ、帰っても無理はすんなよサク――」

 澪が言い切るよりも先に桜は駆け出して、後ろ手で閉められた扉が重く部室に鳴る。


 残された三人は少し話し合って、今日はそっとしておこうという結論になった。

 創世のものまねが原因であることはまず間違いなかったが、その因果が掴めない。事情が気になるところではあるが、あの様子を見せられた後、調子の悪そうな桜を追及することが得策とも思えなかった。

 程なく三人も解散して、澪と桜は常磐線に揺られている。

「サク、どうしちゃったんだろう?」

 ドアに凭れ掛かって、シュノは不安気な面持ちで夜の迫る秋空を見ていた。

「……わからない」

 澪は、明日聞いてみよう、と思う。もし万が一部室に桜が現れなかったとしても、グループチャット等何かしらの手段で尋ねてみようと。

「でも、やっぱりこの前の日に何かあったのかな……」

 早朝の部室で見た桜の寝顔は、今日と同じ苦痛で歪んでいた。

「瀬尾先生、絡み……?」

 生徒間で人気があるためよく話題に上がる先生だが、暗い噂は何も聞かない。

「サクをあれほど怯えさせる何かが、瀬尾先生にあるとは思えないけどな……」

「それは……そうだけど」

 ふぅー、と息を吐くシュノ。

「ここ最近のサク、出会ったときよりもずいぶん明るくなって、よく笑うようになって、わたし嬉しかったんだ」

「ああ、そうだな」

 思い返せば、部室で初めて見た時の桜は、雪原に打ち捨てられ枯れてしまった白百合のようだった。それがだんだんと元気になって、ちゃんと大地に根を張ったように力強くなって、時には澪たちに水を撒いてくれるようにまでなった。

 だからこそ。あの日と今日の桜の切迫はどこか出会った頃を思わせて、底なし沼に片足を突っ込んだような途方もない不安と焦燥を覚える。

「だからちゃんと解決の手伝いをして、また楽しく喋りたいな」

「うん」

 少し揺れた、けれど芯のある声で頷いて、シュノはドアから身体を離した。

 間もなく我孫子に到着することを、車内アナウンスが告げる。

 徐々に減速していく電車。レールの繋ぎ目を通過するガタン、ゴトンという音が間隔を広げていく。

 いよいよホームドアの前に停まるときになって。

「ちょっと手賀沼を軽く散歩してから帰りたい」

 シュノの提案に、澪は静かに頷いた。

「……だな。おれもそんな気分だ」

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