15.

 それから一週間、桜は部室に姿を見せなかった。

「サク、大丈夫かなぁ」

 シュノがぽつりと、頼りない声で呟く。

「……うん、一週間か。流石に心配だよな」

「澪が送ったチャットの返事も、なんか誤魔化してる感じの一文でそれっきりだし」

 部室の空気は屋根の上の空模様と同じ重苦しい曇天。

「けど、サクが何処に住んでんのかも具体的にはわからないし、結局高校も聞かないままだし」

「そうなんだよな。サクから何かない限り、おれらには何もできることがない」

「……ちょっと外の空気吸ってくるわ」

 創世が長椅子から腰を上げ、部室を出ていく。

 その動作に伴った振動と音に澪は顔を上げて、一瞬開かれた扉の隙間から覗いた空を見た。

 頭上を覆った雲は太陽光の直進をも制限するが、尚もぼんやりと姿が透ける〈灯の満月〉。それが観測されてからちょうど四か月が経過した今日に至るまで、世界を睥睨し人々を魅了し、はたまた恐怖に陥れ存在し続ける。

「〈灯の満月〉、消える素振りもないね」

 同じようにして空を見たシュノは澪の正面に座り直した。

「ああ。それにおれらの調査も考察も進んでないし。そもそも専門に調査している人たちもずっと首を傾げてそのまんまだよな」

「うん。あれが〈環の成長〉だってことぐらいしか最近の発表はないし。……まあ、それに伴って〈完全なアンドロイド〉は〈環間〉を認識する存在ですって大規模に公表されて、時空を超えられることが世間に知れ渡ったことはわたしたちとしては大きかったけど」

「まあ、なんか。公的機関が言ってるだけのオカルト話みたいなノリの発表の仕方だったけどな」

「それはね、うん、しょうがないとは思うけど、あの会見で理解してくれた人がどれだけいたかはわからないね。……ま、わたしたちとしても、完全に受け入れてもらおうとか、普遍的な理解を獲得しようとかはないんだけどさ」

「そうか。……因みに、シュノは時間を移動したことはないんだっけ?」

 シュノから全てを聞かされた夜。ついでに、といって彼女はこれを三人に伝えていた。

「そう、まだない。まだないし、どうしてもっていう理由ができない限りはやるつもりもない」

「うん」

「あの時も言ったけどその時間に行くってことは、わたしの経験として移動先の時間に触れるってことだから。その衝撃とか自分への影響はほんとに大きいと思うし、あまり感じたいとは思わない。知らなくてもいいうちは、無理しなくてもいいかなって」

 けれど、と彼女は続ける。

「もし、これ以上サクの音信不通が続くのなら、過去に行くことも考える」

 その目には覚悟。あくまで人間として生きる自分のスタンスを貫く矜持に、より大切なものを守りたいとする想いが打ち克ったことを示していた。

 その色の瞳のまま、澪はしばらく見つめられる。

「……そう、ね。ん、……何か付いてる?」

「いや、今日は澪の髪の毛が落ち着いてるなぁと思って」

「いや今かよ。びっくりするからやめてくれ」

「なんか、逆に変な感じするわ」

 そうやって軽口を叩いて平静を保とうとしても、彼女は上手く笑えていない。


 少しして創世が部室に帰ってきて、シュノが過去に行く以外のいい方法がないか額を集めた。

「……つまるところ、サクがどんな状況か知りたいってのがまずあるよね」

「そうだな。でも、おれと同じ柏住みってことしかわからないしなぁ」

 澪はふと思う。

「てかさ、おれらって意外とサクのこと知らないよね」

 確かに、と頷くシュノと創世。

「サクがどんな人か、とかはわかってるつもりだけど、サクの個人情報みたいなのは全然知らない」

「まあなぁ。幾ら喋るようになったとは言え、サクは自分のことを積極的に喋るタイプじゃないからな。……もっと、こっちからいろいろ聞いてみるべきだった」

「ソウちゃんの言う通りかもな。……あいつ、いろいろと抱え込んでたりするのかもしれない。――ん?」

 澪の携帯端末が鳴った。

 見ると着信は富勢運動場からだった。

「富勢から電話が来た。ちょっと出るね」

 口に人差し指を当てて合図を送って、澪は電話に出る。

「あ、もしもし。厳原ですが」

 応答した相手は、谷岡雪乃。いつも受付にいる、あの職場では紅一点といった感じの女性。

「あの、すみません。緊急ということで連絡させていただきました。……先ほど相出様の方に掛けさせていただいたのですが繋がらなくて」

 ばっと顔を向けると、スピーカーから漏れ聞こえた内容に自分の携帯端末を確認した創世が「気付かなかった!」と小声で叫んでいた。

「ああ、ちょっと気付いてなかったみたいですね。……それで、ご用件は――」

「秋実桜さんのお知り合いですよね? こちらに今、いらしてまして」


 富勢運動場に駆け付けた三人は、少し窶れ、服が一週間前と同じままで薄汚れているところが気になるものの、一応は元気そうな桜と再会した。

「ああ、よかったサク! 心配したんだから!」

 管理棟内の受付前でサクを目視するなり飛びついたシュノ。澪と創世もそこまで大きな感情の発露はしなかったが、内心本当にほっとしていた。

 しばらく抱き合っていたシュノと桜の目尻には薄く涙が浮かんで、そんな四人の様子を後ろから谷岡雪乃が微笑ましく見守る。

「――サクはどうしてここに?」

 二人の抱擁が解かれたタイミングで、澪はなるべく優しい声で問うた。

「その前に、ごめんなさい。こんなにも心配してくれてたなんて思いもしなかった。ほんとにごめんなさい」

 深く頭を下げるサク。

 みんなの思いを澪が代表する。

「いいよ、サク。――でも、理由だけは、教えて欲しい」

「――うん、一週間津下戸高校に行かなかったことと、ここに来た理由は……、ちゃんと話さなきゃだよね」

 ちら、と雪乃と視線を交わしてから、桜はもう一度言葉を紡ぎ出す。

「うん、わかってる雪乃さん。……わたしはみんなにいろいろ隠し事があるんだけど、それを全部話します」

 シュノが小さく息を飲んで、創世はポケットに入れていた手を出して姿勢を正す。澪は力を抜いた立ち姿のままだったが、心の準備は行った。

 桜は一度大きく深呼吸をして後、口を開いた。

「わたしは、旧人類の生き残りなんだ」

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