16.

 澪とシュノと創世の驚愕と戸惑いを見据えて、それを生じさせたこれまでの行いの自責に苛まれながら、桜は言葉を続けた。

「わたしはこの時代の人間じゃない。だから、本当は高校にも行っていないし、家もないんだ。……これも、今までずっと騙していてごめんなさい」

「え、家もないってどういう……?」

「厳くん、この前わたしが部室で寝ていたのを見たでしょ? そういうことなの。わたしは柏駅に行くふりをして、適当な時間に学校に戻ってあの部室で夜を越していたんだ」

 絶句する三人。

「わたしはこっちの人間からするところの旧人類だから、移動を忘れた種なんだよ。だから、わたしの時代の我が家と座標が一致している津下戸高校のあの部室が、わたしのちっちゃな行動範囲の中心。あそこから離れれば離れるほど自分の位置がわかんなくなっちゃって、どこにも帰れなくなっちゃうんだ。はっきり立ち位置が認識できる限界は津下戸高校の敷地内だったかな」

「……一旦、飲み込むよ。ちょっといろいろ衝撃的過ぎるけれど」

 流石の澪も瞠目して落ち着きがない。

「……うん。それで、でもみんなと柏駅で別れた後に一人で津下戸高校に帰れたり、今みたいにここまで来られたのは、少しこの身体に慣れて適応範囲が拡張したからな。まあ、いろいろ記憶を辿ってここまで来たんだけど、結局は一週間もかかっちゃった、はは」

 乾いた声で笑ってみても、場の空気は変わらない。シュノなんか顎が外れているのではないかというぐらい口をあんぐり開けたまま。

「だから、やっとの思いで今日ここに辿り着けて、ほんとにほっとした。津下戸高校を飛び出してから、自分がどこにいるのかほぼわからなくなって、携帯端末のバッテリーも切れて、ほんと信じて歩くことしかできなかったから」

 津下戸高校から遠ざかるにつれて、桜の中から空間把握能力が欠如していく。周囲は明るくて景色も見えてはいるのに、暗闇を彷徨っているような感覚になる。

「……でも、サク毎日綺麗な制服着てたし。それに放課後部室に行ってもいないときちらほらあったじゃん」

 ようやく桜の告白を受け入れる態勢に気持ちを切り替えられたシュノが問う。

「わたしの服は何着か、あのみんなが座ってる長椅子の中にしまってあるんだ。服だけじゃなくて歯ブラシとかの生活用品一式。たまにコインランドリ―に洗濯にも行っていた。あと、わたしは夜の間は部室で過ごすけれど生徒が登校してくる前に学校の敷地は出て、放課後が来るまでは学校のなるべく近くでぶらぶらしていたから。流石に部室に居っぱなしはいつかバレちゃいそうで危ないから」

「……そんなことなら、尚更言ってくれればよかったのに」

 創世の声は少し震えていた。そんな状況を抱え込んでいた桜と、気付いてあげられなかった自分への怒り。

「それはちょっと、言えなかったの。覚悟がなかった。……でも、彼女と会って気持ちが固まった」

 振った桜の視線の先は雪乃。

「谷岡さんは、サクの知り合いなの?」

「そうなんだ、シュノ。雪乃さんは、わたしのいとこ」

「……いとこ」

「今日顔を見るまで確信はなかった。わたしたちは同じ家に住んでなかったから。もちろん顔を合わせる機会もないし、小さい頃に名前と写真を見せられたぐらいの関係。わたし以外に生き残りがいるとも思ってなかったし」

「え、……てことは」

「はい。わたしも世界で二人っきりの旧人類の生き残りです」

「……なんだよ、それ」

「厳原さん、でしたよね? ボールペンと一緒に落ちていた紙の話は、さっき桜から聞きましたよ」

「あ。 ――その節は、すみませんでした、ちょっと調子に乗っていたというか。何でもないので、ただの悪ふざけですので」

 いつかの創世のように、澪は平謝りした。

「ふふ、別に全然構いませんよ。たぶん迫っている危機を乗り越えたら、第二回も開催してください」

 雪乃は背の高い落ち着いた印象の美人だが、口を開くとその緩い口調から天然さが薫る。

「……ありがとうございます。……なんか調子狂って逆に冷静になれたな。ついでに、西の暦に生きたお二人が、今現在でもこうして生き永らえている絡繰りを聞いてもいいですか?」

「それはわたしから答えるよ、厳くん。――わたしたち二人はね、意識だけでこの身体に宿ったの」

 己が生き身を桜は見下ろす。汚れた服の下のすらりとした手足も、背中に当たる長い白銀の柳髪も、本当の身体とほとんど変わらないけれど分身のそれ。

「この身体は未来の技術を使った入れ物で、そこに過去から意識を繋いで活動しているんだ」

 傾聴する三人の頭上には大きな疑問符。

「ど、どこから聞けばいいのかわかんないけど、そんなことができるの?」

 シュノは自身が〈完全なアンドロイド〉であるからこそ、その在り方を聞いても単純な理解を示すことはできない。時間を超えられるのは〈シエロ〉による作用であり、根幹がすり替っている生命体に同じ能力が付与される道理はなかった。桜は中身こそ人間の意識だと言った。環を認識する条件は満たされていない。

「……特例中の特例だけど、可能だったんだ。それに、わたしたちは生き残らないといけなかったから」

 不意に暗く沈む桜と雪乃。再び開かれた口が語った事実は、更なる衝撃をもたらした。


「あのね、今の人類は知らない戦争があったんだ。今の人が忘れ去っている、もしくは決して思い出そうとしない凄絶な殺し合いが」

 突如声を低くした桜に、澪の思考は付いて行かない。

 戦争の歴史なら、幾つかは学んでいる。宗教や人種、国際関係、それらの要素から別たれた集団が人間同士で殺し合う、人という種の醜い姿。

「おれたちが、忘れている戦争……?」

「そうだよ。わたしたちと、人類との戦争が。旧人類とあなたたち人類が争った日があったんだよ」

 桜の声はいつになく重く、胸が締め付けられる。言葉の一音一音が、空間に鈍く堆積していく。

「人類は、旧人類は自然選択によって絶滅した種だ、なんて歴史にしているけれど本当は違う。わたしたちは、わたしの家族は、

 決して大きな声ではない。だからこそ、低く揺れたその声音は、内に秘めた憎悪と怨嗟と葛藤で空気を震わせる。

「西暦四〇二〇年、五月二十三日。確かに自然選択で数を減らしてはいたけれどまだまだたくさん生きていたわたしたちを、あの病を克服したやつらが殺し始めたんだ。わたしたちも対抗したけれど、ほとんど一方的だった。あれは戦争ですらない、ただの粛清だったよ」

「――そんなこと……!」

 そんな歴史は聞いたことがない。この時代のどの学校でも、どの出版物にも、旧人類は自然選択で姿を消したのだと説明されている。……まさかその歴史は、人類の手で改変された曲筆だとでもいうのか。

「ほんとだよ。わたしと雪乃さん以外はそうやって死んでいったんだもの」

「だったら何で、何でおれらがそれを全く知らない!!」

 創世が声を荒げた後、顔を顰めた。自分の大声に、当事者を前にして尚そんな歴史は認めたくないとする姑息が潜んでいる気がして。

「それは、わたしたちを殺したやつらと、その後数世代の子孫がだろうね、そいつらが粛清を隠蔽したからだよ。それからどんどん人類の歴史は積み上げられていって、二千年も経過すれば最初からなかったみたいに忘れ去られてしまうよね」

 ここで、小さく息を吐く桜。

「……ふぅ。でも、だからって厳くんとかソウちゃんとかシュノまで恨んだりするほどわたしは単純じゃない。この時代に生きる人は何も知らされてなくて、ただあいつらの遥か先の末裔だってだけだから。――どうしても、今はこんな声しか出せないけれど」

「……」

 澪は掛ける言葉が見つからない。

 家族や仲間がみんな殺された世界で、殺した種が蔓延ったこの時代で、ただ一人で、彼女はこうして息を吸っているという。あまりにも、あまりにも桜が苦しすぎる。仇敵の末裔への憎しみも理性で押さえつけて、人類に成り代わった〈人類〉の時代と、あくまでも善性のもと対峙する。いっそ恨んでくれた方が、桜は楽に生きられるというのに。

「でもね、やっぱりこの時代に来て、絶望したことは事実なんだ。この時代の人間が、わたしたちの最後を全く覚えていないと知ったときから。みんなと過ごすようになってそれが表に出てくることは少なくなったけれど、やっぱり心の何処かでは燻り続けている。――人ってほんとに愚かだなって、わかり合うことは永遠にできないんだろうなって。だって、忘れちゃうんだもん。自分と違かったら、攻撃しちゃうんだもん」

「……それでも、サクは、おれたちを許そうとするの?」

「うん。厳くんたちに罪はない。だって、忘れちゃったことだって不可抗力でしょう? そういうものだって、今は受け入れている。……それに、わたしは生き残ってこの時代に生きるものとして、恨みとか憎しみっていう感情に支配されていたくはないから。どうせ生きるんなら、ちゃんと生きたいから。きっと全てを託してわたしを逃がしてくれたみんなも、復讐なんて望んでいないから」

 そうして笑った。もしくは嗤った。

 怨嗟や憎悪が時代超えたことでぶつける先がなくなっても、自分の立てた道理に従わないから心の中で堅持することを決意して、でも人類には絶望して、同じく与えられた生を全うしようと前を向いて。

 それを強さと言っていいかはわからない。ただ、自分には至れない在り方だと澪は思う。同時に、そんなに苦しまなくても、とも。

「……でも、サクがそうやって生きたいって前を向いているのなら、それを手伝うのがおれらにできることだ。無理はさせないけれど、一緒に在ることが」

「うん。……わたしも、そうして欲しい。こんなこと打ち明けちゃったけれど、今まで通り友達でいて欲しいと思う。隔たりなんてわたしたちにはいらないから」

 ゆっくりと近寄って、シュノがもう一度桜を強く抱きしめた。

「わかった。サク、これからもよろしく……よろしくね!」

 澪は決意する。四人でずっと一緒にいて、世界が定義する種はバラバラな四人で今を重ねて、自分たちなりのやり方で生きる意味を証明してやろうと。もちろん桜が抱え込み過ぎているのなら、捌け口にもなってやるつもりで。

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