第2話宿の予約
老舗の看板を掲げた宿が今夜予約したところだ。格式のあるエントランスに気圧される。ここで問答をしなくてはならない。憂鬱さは増していく。
「着きましたね」
「うむ。きちんと予約が取れているといいのだが」
さっそくフロントに行き確認をとる。
「ええ。お金を前払いでいただいております。前沢様ですよね」
「ええ、予約した前沢照ですが、前払いになっているとはどういうことでしょうか」
「予約されたのは一週間前で振り込み済みとなってりますが」
「いえ、一時間ほど前に予約を入れたのですが」
フロント係はキョトンとした顔をしている。
「はぁ。確認してまいります」
確認してもらったのだが、1時間前付近には予約された形跡はないとのこと。
「携帯の末尾の番号を教えていただけませんでしょうか」
「はい。6766です」
「では、大変失礼ですが、身分証明書をお持ちでしょうか」
「免許証でいいでしょうか」
「ありがとうございます」
フロント係は再び営業スマイルを浮かべ、身分証を返してきた。
「確認いたしました。携帯番号も身分証も一週間前に提出されたものと同じでございますので、前払いされていますのでお支払いの必要はございません。ごゆっくりお楽しみください」
「はぁ」
何ともおかしな話である。そもそも予約したのは別の宿であったはずなのだが。
「いいじゃないか。何かサイトの手違いがったんだろう。良かった。詐欺にあったわけでもないんだ。のんびり対談に備えようではないですか」
「そうですね。おかみさんと3人での対談の企画だったのですが」
「そうだな。今からだれかを呼ぶとなると骨が折れるな」
「ええ。明日の朝までに何とか考えませんと」
頭を抱える編集の前沢を放って、先生は温泉へと行ってしまった。
☆☆☆
前沢照は考えていた。どのように企画を進行させようか。
予約した宿は怪奇現象が起こるともっぱらの噂のあった場所だ。
編集としては一度見ておきたかった物件だったのだが。
廃業していたとは予想外だった。
「この宿では怪奇現象の噂があるのだろうか」
ネットの口コミをみるとどれも星が満点だ。
「こんなにサービスがいい場所では何があろうはずがないな」
「前沢! 風呂に藁人形が」
「は? そんなことあるわけがない」
この現代において藁さえ手に入れるのには苦労するのだ。それが風呂にある? そんなふざけたことあるわけない。
「何か見間違えたんじゃないですか?」
「いいや。はっきりと浮かんでいた」
「浮かんでいた?」
「ああ。とにかく来てくれ」
「はい」
返事をしつつ、何を見間違えたのかと考えをめぐらす。
(男湯だから長い髪のものはほとんどいないだろうし、何なんだ)
呼ばれたとおりに男湯の脱衣所まで来てみたものの、何の変哲もないただの脱衣所だ。気になるとすればこの時間は人がいなくて一人での利用になっていることぐらいだ。
「何もないじゃないですか」
「ここじゃない。浴槽だよ」
「風呂場って」
なんとも滑稽だ。靴下だけ脱いで入ることになろうとは。
「だから、何もないじゃないですか」
「だから藁人形が浮いていたんだ」
老舗の店らしく浴槽がいくつもある。
「どこに?」
「一番広い湯船に」
見回してもどこにもない。糸のような細工もない。
「気にしすぎですよ。何かと見間違えたんでしょう」
始終怖がっていたが、それで済ませることにする。
「私は温泉に浸からせてもらいますが、あなたはお疲れのようだ。先に寝るといいですよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
キツネにつままれたような先生を置いて大浴場に向かったのだった。
「藁人形がどうしたっていうんだ。明日からの日程を考える邪魔になった」
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