第7話編集と先生

 旅館のおかみは言う。

「思わせぶりの人がいなくなっただって?」

 副支配人は顧客名簿を片手に事務作業をしていた。

「ええ、あの先生と呼ばれていた人物が」

「これは朗報かも知れない」

 勝手な計算を始めるおかみには、ため息しか出ない副支配人である。


「何をおっしゃっているのですか。行方不明者がでたなんて言えませんよ」

「そうでしょうとも。風変わりな人がふらりと消えることなんてよくあること。しかし旅館にとっては宣伝できるかもしれないのですから」

「おつきの方は朝まで待ってみると仰っています。朝までに何とかならなければ警察に行かれるでしょう」

「警察は困りますわ。ただの噂くらいで止まっていただきませんと」

「さぁ、どうなりますことやら」


 ☆☆☆


 翌朝になった。先生は姿を現さない。あれから何度もスマートフォンに連絡しているがちっともつながらない。

「どうしたもんか」

 編集としても大事にはしたくないが、寒い地方のことである。どこかで凍死でもされていたら困る。

「とりあえず、編集部に連絡してみるか」

 スマートフォンを取り出して編集部のデスクに電話をかける。有能な奴だ。何かあったら話せるのだと思うのだが。

『ああ、佐藤先生な。お前のところの……昨日連絡があってよ。しばらく前沢とは別行動するから心配していたら連絡してくれとあったが。お前たち一緒に行動していたんじゃなかったのか』

「どうやらいつもの奇行のようでね。いきなり部屋からいなくなったんだ。で、いつ戻るって?」

『ん……言わなかったな。すぐに戻るからって』

「そうかい。なにか佐藤先生から連絡があったら俺の電話に連絡するように言ってくれ」

『わかった。先生のしっぽをきっちり押さえておけよ。来月には先生の講演があるんだから』

「それまで長引かなければいいけどな」

『じゃ、監視頑張ってくれ』

 編集者の間では佐藤先生はいなくなるモンスターとしても有名だ。原稿ができていなければどこかに雲隠れしてしまう。

 実に厄介な性質を持っているお方だ。

「この部屋で待っているか、いっそ仕事をするか、先生を探すか」

 こういう時に一人は不便だ。

 部屋に帰ってくるかもしれないが、オートロックの鍵を持っていくことなんて先生の思考回路にはないだろう。自分の部屋にはくれば入れるものだと思っている。

 現にオートロックのカギは二枚とも部屋のテーブルの上だ。


「はぁ、どうしろっていううんだ」

 苦悩すること数十秒。先生の荷物がそのままだった。

「漁ってしまうことはできないよな。さすがに」

 先生のスマートフォンにかけてみるが相変わらず、つながらない。

 ガチャリと部屋の扉があいた。

「やぁ、前沢君。少し仮眠をとらせてくれやしないかね」

「先生! いままでどこに」

「近くの旅館とホテル数軒にね。ちょっと用があって」

 今回の先生は随分とフラフラしている。

「ちょっと時間をかけすぎて野宿してしまったよ」

「どこでですか!?」

 ただでさえ冬は冷えるというのに、野宿とはどういうことか。下手をすれば死んでいるところだ。

「近くにペンションがあったから泊めてもらって、ご飯ももらえたんだ」

「ペンションですか」

 旅館やホテルが並ぶ街でペンションがあるだろうか。

 地方のことはよくわからない。

「どこのペンションですか」

「ペンション・雪といっていたな」

「雪……そんな安直な名前のペンションなんてあるんでしょうか」

 ネットでもヒットしない。小さな運営会社なのだろうか。

「先生、すぐに湯を沸かしますから、そちらに入ってください」

 大浴場は今の時間清掃中だ。

 部屋での入浴はつまらないだろうが、どこかにしもやけでもできて居たら困る。

 慌てて湯を入れて、支度をする。

「先生、手を見せてください」

「ん。こうか」

 先生は眠そうだ。湯よりも睡眠が先だろう。コテンと眠ってしまった先生の両手を観察し安堵する。

「ただ冷たいだけのようだ。手が大事ないならなんとでもなる」

 腕は作家の命ともいえる。まだ先生には活躍してもらわないと困るのだ。

「沸かした湯が無駄になる。俺が入ろう」

 疲労困憊している先生はしばらくは大丈夫だろう。

 念のために部屋のカギをかけてから前沢は湯をもらった。

 

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