編集同士
時刻は朝9時。
駅前の喫茶店にて編集の同期同士が会うことができた。
「ひさしぶり」
「本当にな」
前沢が先生について以来、無茶ぶりのオンパレードで自分の時間はさらに減った。
必然的に数少ない飲み会やらの誘いも受けられない。
「どうだ。故郷は?」
「年始に一回帰ったんだ。なんてことはない」
肩についた雪を払う入江だが、きちんと分厚い防水防寒の手袋をしている。これではスマートフォンなど反応しないだろう。さっそく器用に手袋を外してスマホを弄っている。
「時間が2分遅れたな。すまない。それにしても雪が多いな」
「これからまた温度さがるって」
「そうか。できる時間は限られているんで、さっさと先生に会いましょうか」
「残念だが今は会えない」
「何だって?」
呼び出しておいて会えないとはどういうことだろうか。
こともなげに前沢は言う。
「執筆中だからな。時間つぶしてるんだ。できたら連絡するってさ」
いつものことなのだろう。前沢は焦るわけでもない。
入江は店員さんにオーダーを頼む。
「ホットコーヒーを」
「かしこまりました」
店員さんを見送っていく。
「鬼才と呼びごえ高い先生様なら仕方ないってか」
随分な皮肉だ。前沢はこういう言い回しには慣れているらしい。
顔色を変えずにすでに頼んでいるホットコーヒーを飲んでいる。
「そう。俺はこれ読んでおけって言われて。恋愛ハウツー本」
「何やらかしたんだ?」
「なにも。……してないハズなんだがなぁ」
「それで、半分以上読んでもピンとこないっての?」
前沢の本は残り三分の一ほどになっている。
「ああ。思い当たる節がまるでない」
「思い当たる節がないってんなら、その入り口にも立ってないってことジャン」
「そういうことなのか……そうか。だからみんなあきれていたのか」
「あるじゃん。思い当たること」
「んで、俺に縁談話持ってくるなんてお前は全く意図していないわけだ」
「縁談話? 俺はお前の故郷がここだって話しただけで」
「なるほど。確かに文脈を読めていないお前はほんとにその本が必要だな」
電話での断片的な話だったとはいえ、前沢以外のものは縁談目的の話だとぴんと来ているのにこの男は何もわかっていない。
「恋愛経験ゼロなのか?」
「つ、付き合ったことぐらいはあるぞ」
「それ中学の時とかだろ。もう十年以上前のことだ。みんなそれ以上に進んでるんだぜ?」
「そ、そういうものなのか」
「こじらせすぎだろ。どんだけ勉強してたらそうなるんだよ」
同期の飲み会で勉強一筋だったと言ってはいたが、ここまでの深刻さだとは思わなかった。
「まったく。こっちは人生の転機かも知れないってのに」
「どうかな。お相手のこともあるし。ただの転職話かもしれないだろう」
縁談話とばかり思っていたが、そうか。ただの転職の可能性もあるのか。
「独身かどうか聞くかね」
「先生の考えは凡人には計り知れないのだよ」
「そうか」
店員さんがコーヒーを運んできた。
「それで、この地はどうだ? 居心地いいだろ」
「どこがさ。トラブル続きさ。嫌な部屋に当たり続けているよ」
怪奇現象があるという部屋だが、確かに怪奇現象がおこった。聞いていたのとは違うものが。
「風呂入っている時に電気が消えるわ、くつろいでいる時に窓が勝手に開くわ」
「……変な物件に泊まっているんだな」
「まったくだ。予約したときにはなんにもなかったのに、現地に言ったら説明されてさ」
その説明とは全く違うものがあったのだから返金対応してもらいたいくらいだ。
「先生はそんな部屋で書いてんの?」
「それはそれでネタになるから放っておいていいってさ」
「確かに変人だな」
まだ鬼才とは言えない。今のところ変人という評価がせいぜいだろう。そんな部屋で何が書けるというのだろうか。凡人は恐怖で何も思いつかないだろう。
「お、やっとメールだ」
『書き終わった。早く帰ってくるように』
そっけない先生らしいメールだ。
「行くぞ。やっと帰れるな」
「どれくらいここにいたんだ?」
「朝5時に追い出されたから随分長くいたな。コーヒー8杯は飲んだ。やっとホテルで寛げる」
やはり専属で先生につくのはやめた方がいいなと入江は思った。
まだ熱いコーヒーを流し込んで席を立つ。
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