第15話 和解の回想
もめごとのあった夜のこと。旅館の食堂でゆったりと話す2人がいた。
「いや、それにしても驚きました。佐藤先生が協力してくださるとは」
「ええ。私も驚きました」
副支配人と前沢は今回の成功を祝って一杯酒をたしなんでいた。
副支配人は勤務時間を終えてからのことだ。
「おかみさんもすんなりと連絡先を交換してくれてスムーズに事を運べました」
恨まんばかりに目の敵だったのにどうやら追い出すのではなく、先生をいいように利用することにしたようだ。
「ですね。先生には常人にはわからないものが見えているらしく、資料の作成なんてこういう時にやくだつのかと思いました」
前沢にはわからない指示を飛ばすことが多々ある。
それはきちんと結果になってくるから先生には頭が上がらないのだ。
「ところで、廃業された方というのは」
「ああ、三島さんといって、おかみさんのことをかわいがってくれていた人でして」
「その人のところに予約したんですよ。そうしたら半年前にはもう予約サイトも店の看板を下ろしたというではありませんか」
「その通りです。詐欺か何かでしょうか?」
「大手のサイト経由ですよ。そんなこと……」
これはおかみも関与していないし、そいの廃業した店主の手違いでもなさそうだ。
「これ、話にできますよね」
「……おかみに話しておきます」
「さて、私たちはもともとは宿の取材に来たのです」
「作家さんなのでは?」
「ええ。基本は作家業なのですが。それだけはやっていけないでしょ。単行本刊行の合間にそういった宿の特集記事を書いているんです。何かのネタにつながることもあるので」
「ああ、ではちょうどいいですね」
「ええ。今回のことを記事にさせていただくつもりです。もちろん正式な要請は別でしますけれども」
「いいと思います。佐藤先生はホラーも書かれるんですよね」
「SFやホラーも書いていますね。構成は先生がほとんど書いていますので下地を見せて貰って倫理的に逸脱していないかを見るのが私の役目です」
ストーリーの面白さや文体などの心配はしていない。一人称だろうと三人称だろうと面白いものは面白い。ただ時事ネタをかいて暗喩にならないことがあるのでそこだけは修正してもらっている。名誉棄損などに値しないように配慮している。
「なかなか大変ですね。その先生はどちらに?」
「執筆中ですよ。今夜は別の宿に泊まります」
「え? そうなのですか?」
「ええ。私にも休みは必要ですから」
確かに先生の世話と監視と倫理観の欠落を補完するためについているが、毎日付き合わされては身が持たない。それぐらい変なことをしでかす。
鬼才ではあるが、コミュニケーション力が全くと言っていいほどない。
(慣れた旅館の一泊位なら何とかなるだろう)
「先生が何か良からぬことをしたら、真夜中でも私に電話をください。私が出ない婆は編集者のだれかにつながります。責任をもって対処しますのでご安心ください」
「はぁ。本当に皆さま大変なのですね」
「ええ。苦労していますよ。しかし先生は苦労以上の制作物を提示してくださるので」
「いい関係が築けているというわけですね」
「ええ。おかみさんとはどうなのですか?」
「世話になった老人が旅館を辞めるというのも彼女の心理状態にかかわっていると思うのですが。彼女のフィアンセが不慮の事故で亡くなったんです。そのせいでこんな趣味の悪いことを言い出したのかとも思えますよ」
「そうでしたか。人生いろいろありますよね」
喜ぶべき瞬間もあるし、落胆して深淵をのぞき込む瞬間だってあるだろう。
「では、こちらのビジネスホテルの泊まりますので」
「ああ、いいホテルを選びましたね」
副支配人は素直にほめたたえる。一応競合他社に対しておおらかなふるまいだ。
「集めているポイントが付くもので」
「ポイントだけでなく、お食事もおいしいのでぜひお楽しみください」
「はい。ではこの辺で」
前沢が去った後支配人はひとりごちる。
「おかみは今頃、彼の墓参りだろうか。風邪をひかないといいのだが」
今宵は彼の月命日だ。
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