第21話 私たち相思相愛なんですから

 女魔族メルドリュート……彼女はルクシオンに敗れた後、人類側の捕虜となった。

 そして弱体化の腕輪を付けられ放逐されてその後は行方知れず……だったのだが。


「………………………………」


 今その彼女は物陰からクリスティンたちを窺っている。

 数日前にこっそりロンダンの都に戻ってきた彼女。

 人と魔族の決戦があった事を知ってかつてのアジトに戻ったメルドリュート。

 そこで女魔族が見たものは廃墟と化した地下大魔宮であった。

 一方で人間たちの本拠地の都は俄かに活気付いている。

 勝敗は明らかであった。


(よ、よし……行くぞ。何だかわかんねえけどクオンまで連中とつるんでやがるし、オレ様だって上手くやりゃ潜り込む事ができるだろ……)


 意を決したメルドリュートがいかにも自然な風を装って物陰から出るとクリスティンに歩み寄った。


「よ、よう、お前ら久しぶりだな……実はオレ様あれから色々考えてみたんだけど……」

「すいません!! 今ちょっとドタバタしてまして!! 後ほどお話お伺いします~!!!」


 そう言い残してドタバタと慌しくどこかへ走っていってしまうクリスたち。

 あっという間にその場にはメルドリュート1人残して誰もいなくなってしまう。


「オレ様もお前らに手を貸してやってもいい……って、あれ?」


 ただ独り取り残された彼女に寂しい風が吹き抜けていった。


 ────────────────────────


 おざなりなノックと共にフェルザー団長の臨時執務室に飛び込んできたクリスたち。


「なんだお前ら。騒々しいな」


 彼女らを出迎えたのは鷲鼻にカイゼル髭の男。

 メイヤーとフェルザーはどうやら都の復興計画についてあれこれ話し合っていたようだ。

 2人の前の机には計画書や数多の資料が広げられている。


「虚しい……何かトラブルか?」

「そうなんですよ。ちょっと聞いてもらえますか」


 問うフェルザーにうなずくとクリスティンはここに来る途中で連れてきた(持ってきた)ミニ大将軍を机の上にドンと置いた。


「おい、置物みたいに扱うなよなァ」


 右面が文句を言っている。

 ちなみに小さくなったフォルドーマの左右の顔は以前の人型のものではなくなっていて、今は犬っぽい頭と熊っぽい頭が二つ並んでいる形状だ。

 より一層ぬいぐるみ感が増している。


「なんじゃいまたゴタゴタか。まあここまで来ればもうなんでもこいだガハハ!」


 メイヤーが多少ヤケクソ気味に笑っている。


 クリスティンは一同に自分が大魔宮深部に至った時の一幕を……魔族パロドミナスがフォルドーマの魔力を奪って逃げた時の事を話した。


「我が主か……まさか貴奴めがそのような言葉を残しておったとはな」

「てっきり自分で吸収する為に盗ってったんだと思ってたがなァ」


 机の上で唸るミニドーマ。


「それでまだ他にもいらっしゃるんだと思ってたんですけど、クオンさんに聞いたらもう魔族の方他にはいないっていうお話でしたので……。心当たりはなんにもない感じでしょうかね?」


『それは……』


 クリスティンの言葉に返事をしたフォルドーマとクオンの発言がかぶった。

 両者は目線を合わせてクオンがフォルドーマに続きを促すような仕草をする。


「パロドミナスが主と言ったのであればそれは一人しかおらぬ」

「ハザンの野郎だろうなァ」


 フォルドーマが口にしたその名は室内に緊張感と寒気を齎した。


 魔族ハザン。一般的にこの世界では『魔王』『魔物の時代の支配者』として伝わっている者。

 前回千年前の侵略の時の魔族の総指揮官、先代の大将軍である。


「でもそのハザンさんは、伝説の四人の王様に倒されたはずでは……」


 おずおずと口にしながら一人の男を見るクリス。

 その視線の先にいるのは『妖精王』ジュピター……四人の英雄王の一人、千年前の伝説の主人公である。

 他の皆の視線も自然とジュピターに集まる。


「そうですね。当事者として言わせてもらうなら確かに我々は彼を倒しました。あの凄まじい力は当時の魔族たちの中でも飛びぬけていましたし別人である事はありえません。復活してくる事がないように倒した直後に死体は念入りに焼いています」


 瞳を閉じて当時の事を思い出しながら話しているのか、静かな声で語る妖精王。


「その戦いの時にその場にいたのはハザンとお前と仲間たちだけか?」


 フォルドーマが問うとジュピターがうなずく。


「ええ。私と三人の仲間と魔王、その五人だけです。他の人に危害が及ばないように私たちは人里離れた荒野に罠を張ってそこにハザンを誘い出したので」

「では、戦いが終わった時にお前たちの仲間で一番傷付いていたのは誰だ?」


 再びのフォルドーマの問いにジュピターは形の良い顎に指先を当ててうつむいた。


「……ジーク、ですね。彼は剣士で私たちの中では盾役でした。戦いが終わった後は全員ボロボロでしたが彼は特に酷くて立ち上がることもできないような……」


 剣士ジーク。

 後に『武神王』の異名で呼ばれる事になる魔王討伐の四英雄の一人。


 ジュピターは丸いレンズの奥で瞳を開く。

 何かに気がついたかのように。


「まさか……」


 机の上の小さな大将軍がカクカクうなずいている。


「ハザン……奴の二つ名は『乗りうつるもの』 固有の異能力はというものだ。数千年の戦いの中でしばしば奴は現在の自分の肉体よりも強力な肉体を持つ相手からその身体を奪ってきておる。この世界に来た時の奴の肉体も産まれ持ったものではない」

「基本的にゃあ奴は強化の為に身体の乗換えを使うんだが……その能力を敗北を悟った時に逃走の為に使ったかもしれねえって事よ」


 交互に語るフォルドーマの左右の顔。


「あの戦いの最中に……まさか……」


 ジュピターの頬にも冷たい汗が伝っていた。

 フォルドーマの話をクオンが引き継ぐ。


「奴の乗っ取りにはいくつか条件がある。対象に触れていなければならぬということ。そして標的に抵抗される可能性もあるので可能な限り相手は弱らせておく必要があるということだ」


 クオンの言葉を受けて妖精王は長く重苦しい息を吐く。


「だとしたら、ジークしかいません。残りの三人は距離を置いて戦っていましたから」

「そのジークとやらは戦いが終わってどうした?」


 その辺りは先程クリスティンも聞いた通りだ。

 再度その説明を繰り返す妖精王。

 戦いが終わった後、四人の英雄王はそれぞれ故郷に帰り復旧の為に尽力する事となる。

 そして没交渉となって長い時が流れたのだ。


「いや、しかしなぁ……」


 そこでメイヤーが口を開いた。


「仮にその男が体を乗っ取られたとしてそれから千年近くも大人しくしとるようなもんなのか? 魔王とか呼ばれてた奴が……」

「別に千年大人しくしていたわけじゃあるまい」


 返事をしたのはリューだ。


「準備にそれだけの時間が掛かったという事だろう。ゲートを再び開いて仲間たちをこの世界に呼び寄せる事ができるようになるまで、人間というものを学習しながら社会に溶け込んで機会を待っていた……そういう事じゃないのか」


 赤い髪の男が語り終えると部屋に沈黙が舞い降りた。


「……わしらはパロドミナスからの信号連絡を受け取ってやってきた。失敗した侵略を引き継ぐ為にだ。奴はわしらには前回の侵攻で生き残ったのは自分だけだと言っておった」

「だがここまでの推論がビンゴだとすると野郎初めからハザンの指示でオレらを呼び寄せたっつー事になるよなァ。理由は簡単だ。こっちの魔力をハザンに補給する為のエサにするつもりでよォ」


 沈黙を破ったフォルドーマの言葉が一行に重く圧し掛かる。


「では、そのハザンさんは今どこにいるのでしょうか……?」


 不安げなクリスティンの問いに答えるものはいなかった。


 ────────────────────────


 クリスティンや仲間たちの不安を他所に大きなトラブルやその予兆のない日々は続いていく。

 気が付けば地下大魔宮の決戦から半年近くが経過しようとしていた。


 ロンダンの都の復興作業は順調に進んでおりかつての繁栄を取り戻しつつある。

 そしてその指揮を執るメイヤーの懐も随分と暖まった。


 魔族と獣人が共存する予定のエリアの開拓も今のところ順調である。


 最大限の警戒態勢で慎重に行われた世界三か所の境界門の爆破も拍子抜けするほど何の妨害も無しにあっさりと完了してしまった。


 これで新たな魔族がこの世界に現れることはゼロに近いような微かな確率となったわけである。


 行方をくらましているパロドミナスの消息は杳として知れない。

 そしてその彼と繋がっているのではないかと噂されるかつての『魔王』ハザン……。


 千年前に地上に暗黒の時代をもたらした覇王は本当に生きているのであろうか。

 そして生きているのであれば今何を考えて潜伏を続けているのであろうか。


「本当はやっぱり千年前に死んどるんじゃないのか?」


 豪華な樫の木の執務机に座ってコーヒーカップを手にしているメイヤー。

 ここは新築のメイヤーズカンパニー、ロンダン支社の社屋である。

 社長室には今、メイヤーとクリスティンとアメジストの三人がいる。


「ハザンの狙いが大将軍フォルドーマの魔力を奪って以前の強さを取り戻すことだったと仮定してですが……」


 言いながらジュースの入ったコップを傾けて喉を潤すアメジスト。


「それを達成した今、彼には慌てる理由は何一つないのでのんびりしているのかもしれませんよ。何しろ彼らには無限に近い寿命があるのですから」

「じゃあ、思いっきりのんびりしたらその先また世界征服のための戦争を始めたりとかもあるんでしょうか……」


 不安そうなクリスティン。

 彼女が持つ湯飲みの中身は昆布茶である。


「その可能性はありますが今は千年前とは事情が違いすぎるのです。いくらハザンが前の強さを取り戻したりそれ以上に強くなっていたとしても側近と二人で征服戦争ができるほど現代のこの世界は甘くはないのですよ。バレずに大国に匹敵するような兵力財力を蓄えていたというのなら話は別ですけど」

「そんな話があるなら私の耳に入っとるはずだ。今現在表社会にも裏社会にも世界を相手取れるような武力集団はないと断言できる」


 咥えた葉巻に火をつけるメイヤー。

 彼の吐いた紫煙が天井付近にわずかな時間わだかまってそして消えていった。


「世の中は全てバランスで成り立っておるのだ。考えてもみろ。自国の隣の国が急に傭兵をガンガン雇って武器をドカドカ輸入し始めたらどう思う?」

「びっくりですし、おっかないですね……」


 クリスの言葉にうなずくメイヤー。


「そういう事だ。『やばいぞうちもどうにかせねば!』ってなるだろうが。そういうわけでな、こっそり大兵力を抱え込もうとしたってそうはいかんのだよ」


 喋りながら窓から外を見たメイヤーがふと何かに気付いた。


「お、そういえば今日だったか」


 彼の視線を追ってクリスティンとアメジストも窓から外を見下ろした。


 ちょうど社屋の表通りに銀色の大きな蒸気自動車が到着した所であった。

 一目で分かる特注の要人使用の車両だ。


 先に降りた従者らしき男性が後部座席を開いて恭しく頭を下げる。

 続いて降り立ったのは上品なスーツ姿の体格のいい初老の男。

 舞台役者さながらに雰囲気のある顔立ちの整ったその男は全身から『上流階級の者だ』という雰囲気を発している。


「どなたです?」


 見下ろすアメジストが訪ねた。


「ハワード・フェニキス総帥。フェニキス財団のボスで、白鶯ハクオウの最大のスポンサーだ。前から来る来る言っておったんだがようやく都合がついたようだな」

「はぁ~……あの方が有名な」


 感嘆の吐息を漏らしたクリスティン。

 フェニキス財団と言えば大陸経済の7割を牛耳っているとも言われる巨大組織である。

 その総帥ハワードは通称『財界の皇帝』


やっこさんも善意で金を出しとったわけじゃない。ようやくが実を結んだんだ。これからがっつり儲けようって腹だろう。ま、かく言ううちにとっても最大のお得意様だからな。フェルザーの次にご拝謁賜ってせいぜいゴマを擦っておかにゃならんな」


 メイヤーの言葉にクリスティンは不安げな表情を浮かべる。


「大丈夫ですか? メイヤーさんの顔は失礼ですから……」

「酷くない!?」


 裏返った声を上げる失礼な顔の男であった。


 ────────────────────────


「……と、まあそういう事があったんですよ」


 ラーメンを食べながら話しているクリスティン。

 正面にはリューが座っている。

 この新社屋の食堂は実質ほぼリューのプライベート空間になっていた。


 夜も更けて今は二人以外に食堂に人影はない。


「そうか」


 いつもの彼の相槌。

 慣れ切っているクリスはそれでも楽しそうに話を続けている。


「ここでできる事ももうあまり残っていない気がしますし、またどこかへ旅に出ましょうか?」


 クリスティンの言葉に赤い髪の男はわずかな時間何事かを考えているように沈黙した。


「お前がいいのなら、もう少しここにいたい」


 やがて口を開いたリュー。


「私はもちろん構わないですよ。まだ何かやり残したことがあるんですよね?」

「修業がな……もう少し自分の納得のいくラインまで続行したい」


 静かに告げるリュー。

 彼が言っているのは魔族クオンとの修業の事だ。


「流石にあいつを連れ回すわけにもいかん」

「そうですね……」


 クオンは開拓の後にフォルドーマたちと新しい街での生活が待っている。

 そして再び沈黙の時間。

 以前はクリスティンはそれを気まずいと感じて慌てて何か喋ったものだが今はその沈黙を楽しむことができるようになった。

 二人とも無言の時間が続く。

 ただそれは穏やかで優しい時間であった。


「クリスティン」


 そして今日は珍しくその沈黙をリューが破った。


「はい?」


「…………………………」


 呼びかけたが続く言葉を発しないリュー。

 彼にしては珍しく逡巡しているように見える。


「……リュー?」


 不思議そうにクリスティンが呼び掛ける。

 目を閉じて沈黙していた赤い髪の男。

 やがて意を決したかのように彼は目を開いた。


「どのくらい……旅をしてきた?」


「……え?」


 呆気にとられるクリスティン。


 僅かに間を開けて彼女は微笑んだ。


「やっぱりわかっちゃいますかー……」


 いつもの彼女の陽だまりのような微笑みではなく、どこか寂し気に。


「こちらの世界の時間にすると五百と三、四十年くらいだそうです」


 それは魔族と戦いながら数多の世界を渡ってきた彼女が過ごしてきた年月。

 リューは何も言わない。

 ただ彼は拳を握りしめていてその眉間には皺が刻まれている。


「歳を取っていないように見えるのは、もう私がになっちゃってるからで……。私みたいになっちゃった人は魔人ヴァルオールと呼ぶらしいんですけど」


 何も言わないリューにやや不安そうな表情になるクリスティン。


「あの……引いちゃいましたよね。私だけ思いっきり年上になってしまって……」

「いや」


 絞り出すような声でリューが言う。


「俺の不甲斐なさがお前に背負わせたものが大きすぎる」

「あ、ちょっとちょっと……ストップですよ。それは違います」


 慌てて両手の掌をリューに向けるとそれを左右に振るクリスティン。


「この旅を私にとってのマイナスだと捉えているのならそれはリューの勘違いです。私、何も変わっていませんから。前より少し戦えるようにはなりましたが、中身はまったく成長していません!!」


 クリスティンは力強く微妙なことを言い出した。


「びっくりですか!? びっくりしましたよね!? 五百年以上も経ってれば流石にちょっとは人間的に成長してるんじゃないかとか思いますよね!? ところがビックリ……何も変わらないんですよ、これが」


 クリスは苦笑しながら大げさに肩をすくめる。


「前のままです。何も変わってないです。旅してる間は早く帰ってリューのラーメン食べたいっていつも思ってました。……五百年ウン十年経ったって、リューの事が大好きなあの頃の私のままです」

「俺だって……」


 顔を上げたリュー。

 いまだ苦悩の色の滲んだ瞳にクリスティンが映る。


「俺だって、ずっと……お前だけだ」


「!!!!」


 一瞬にして顔を真っ赤にしたクリスティンが浮きかけていた腰を再びボスンと椅子に落とす。


「……う、うへへ……えへへへ……」


 かと思うと俯き気味なしまりのない顔で不気味に笑い出した。


 ……反対にリューは苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 つい、口にしてしまった。

 絶対に告げるつもりのなかった本心を。

 うかつにも程がある。

 だがあんな風に真っすぐに気持ちをぶつけられては……。


「そんなフクザツな顔しないでくださいよ~、リュー。私たち相思相愛なんですからね~、えへへ」


 まだふにゃふにゃの顔で笑っているクリスティンに赤い髪の男は大きくため息をついた。

 何を口にするべきか、散々悩んでからようやく一つセリフが思いついた。


「……もう、どこにも行くな」

「は~い。気を付けます。うふふふ」


 ぶっきらぼうなその一言に嬉しそうに応えるクリスティンであった。

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