第20話 美形の酔っ払いはタチが悪い
デジャブだった。
最寄り駅ではあったが、なぎさは以前、同じシチュエーションに遭遇していた。しかもつい最近だ。自習室で勉強して帰宅が遅くなったからという原因も一致している。
ただ、具合が悪そうにしているのが女性ではなく男性で、しかも明らかに泥酔しているというのが非常に異なっていた。できれば関わり合いになりたくないが、金曜日の夜である。こんな美形が駅前ロータリーのベンチでうずくまっていたら、きっとマダムか限界OLか女子高生の集団かなんかに捕獲監禁の上、飼育調教されてしまうに違いない。
「ミカエル先生! こんなところで寝たら風邪引きますよ」
「……誰?」
ゆらりとミカエルが顔をあげた。酔っ払ってはいても美形は美形だ。後光が差す。かろうじてなぎさは応えた。
「なぎさです。タスクくんの従姉妹の。授業もとってますよ」
「なぎさちゃん小学6年生」
おそらくそう言ってタスクをからかっていたに違いない。
「にしては、大きい。特におっぱいが」
「酔いすぎです。もう。何か買ってきますよ!」
近くのコンビニでミネラルウォーターを買ってきて、蓋を開け、ミカエルに持たせる。ミカエルはペットボトルを傾けてしまい、慌ててなぎさが手を添える。ミカエルは完全に泥酔状態だ。
なんとかミネラルウォーターだと認識したらしく、ミカエルは一気に半分くらい飲んだ。うっと言い、吐きたそうにしていたが、吐かなかった。
交番から警官がやってきてなぎさに聞いた。
「知り合い? 大丈夫? 絡まれてるんじゃないよね?」
「通っている塾の先生なんです。ああ、家人の先輩でもあって――大丈夫です。呼びます。連れて帰ります」
無理だったら救急車を呼んだ方がいいよ、とアドバイスし、警官は立ち去った。言うとおりだと思う。
なぎさがタスクに音声通話すると、タスクが迎えに来てくれることになった。
すぐにタスクは駅前に到着し、ミカエルを抱きかかえて立ち上がらせ、肩を貸す。
「先輩。歩けます?」
「うん……」
肩を貸して貰えればミカエルは歩けるようだった。
途中の公園のトイレで吐いて貰うと、かなり楽になったようだった。公園のベンチでまた一休みだ。
「なぎさちゃん、先に帰っていいよ」
「いや、こんなんほっとけないですよ」
「すまないねぇ――アイスが食べたいんだけど」
「この酔っ払い!」
タスクが殴る寸前まで拳を固めた。タスクは怒りをこらえ、ミカエルを見守ることにし、仕方なくなぎさが近所のスーパーでアイスを買ってくる。
「ガリガリくんが良かった」
アイスにかじりついてミカエルがぼやく。
「黙れ! 酔っ払い!」
今度拳を固めるのはなぎさの方だった。
だいぶ楽になったらしく、なぎさとタスクはミカエルをマンションに連れて帰る。
なぎさの母は驚きつつも冷静にリビングに座布団を並べ、2人はミカエルを寝かせた。
クッションの上にうつ伏せになるとミカエルは静かになった。
「先輩、水、飲みます?」
「――タスク。なんでお前、ここにいるんだ?」
仰向けになり、ミカエルはタスクを認めた。
「あ、少しまともになった」
なぎさは思わず声を上げてしまった。
「ああ――俺、こんな時間から酒が進んじまって……」
半身を起こし、タスクから水が入ったコップを貰い、仰いだ。
なぎさの母は寝床に入り、なぎさとタスクでミカエルを見守る。
「どうしたんですか、先輩」
「いや――まあ、俺も悩むことくらいあるさ」
ほのかカントクのことだろうか。
なぎさは毛布を持ってきて、ミカエルの側に畳んで置いた。
「先生、今日は泊まっていってください」
「ああ。助かる。ただし、タスクの部屋でな」
「どこでもいいですよ。ああ、良かった。無理に帰るとかいいださなくて」
タスクの言うとおりだと思う。危なっかしくて仕方がない。
「ほのかさん絡みですか?」
「一部、そうかな」
ミカエルにとって2人は、彼女との関係を隠す相手ではない。
「寝る」
ミカエルは毛布を持って立ち上がる。
「お前の部屋、どこだ?」
「もう、酔っ払いなんだから」
タスクは座布団を重ねて持ち、ミカエルを部屋に案内した。
大人は大変だなあ、と思いつつ、なぎさはシャワーを浴びて、軽く食事をとって寝た。
翌朝、なぎさはいつもの時間に起き出して歯を磨こうと洗面所に行くと、バスルームのドアが開き、思わずおおっとと声を上げてしまった。
「ああ、すまない」
出てきたのは腰にタオルを巻いただけのミカエルだった。
朝の光で逆光になるミカエルは神々しいまでの美しさだった。
「ひいいいいいい!」
なぎさは悲鳴を上げて洗面所から撤退した。
「どうしたのなぎさちゃん?」
リビングから慌ててタスクがやってきて、おびえるなぎさを落ち着かせる。
「ついにラッキースケベをやってしまった!」
「ああ、なぎさちゃんがスケベした方でよかった」
タスクが洗面所の中を確認するとミカエルがタスクから借りたジャージの下を履いたところだった。
上半身裸のままミカエルは洗面所から出てしまい、なぎさの母とも廊下で出くわし、なぎさの母は両手を合わせて半裸のミカエルを拝んでいた。
「先輩、人様のお宅ですから」
「すまんすまん」
素肌のままミカエルはジャージの上を羽織った。ただのジャージなのにミカエルの場合、首元が見えているだけで色っぽくなるから不思議だ。
ミカエルは勝手知ったる他人の家を地で行き、座卓の前にあぐらをかいて座った。
そしてなぎさがお茶を入れ、差し出し、ミカエルはゆっくりすすった。
そして数行後、嘆きのような叫び声を上げた。
「――私は今まで何をしてたんだ~~!」
どうやらようやく正気に戻ったようだった。
ミカエルは土下座してなぎさの母となぎさに謝り、早々に退散していった。
「もう少しゆっくりしてくれても良かったのに――眼福」
なぎさの母には余裕があった。
しかしミカエルとほのかの間に何かあったのかもしれないと思うと、情報収集はしたいと思うなぎさだ。ミカエルには聞くだけの関係性はないが、ほのかには恩を売ってある。ここはほのかに当たるべきだろう。
早速、授業はないがアルフヘイムに行き、事務室にほのかの姿を見つけた。
「ほのかさん、おはようございます」
「なぎささん。おはよう。こんな時間に珍しいですね」
「ちょっとお話がありまして。耳を貸してくださいませんか?」
頭の上に疑問符を浮かべながらほのかはなぎさの口元に耳を近づけた。
なぎさは本当に小さく彼女の耳元で囁いた。
「昨日、ミカエル先生、ウチに泊まっていったんですよ」
ほのかは慌てて1歩退き、信じられないという顔をしてなぎさを見た。
「お昼休みにまた来ますね~」
そしてなぎさは自習室に向かった。ほのかは午前中は仕事にならないかもしれないが、それは許して貰おうと思う。
昼休みになって自習室から事務室に向かうとカウンター前でほのかが待ち構えていた。
「――詳しく話を聞きたいかな」
「大したことではないですよ」
そして2人で自動販売機コーナーにいって人目を気にしながら昨日の経緯を話す。
「1人であそこまで泥酔するというのは子供の私では理由が思いつきませんので、迷惑を掛けられた側としては腑に落としておきたいかなと」
ほのかはそこまで聞いてため息をつく。
「どうして私に?」
「あの夜、連絡したのは私ですし、その結果があれだと責任も感じるし」
「ご迷惑をおかけいたしました」
ミカエルの泥酔との関係を認めると言うことだ。
「講師にも五箇条みたいなのがあるんですか」
「そうね。違約金つきであるの。私も――もすぐにここを辞めるわけにはいかなくて」
「やっぱりそんな感じですか」
大学卒業してからミカエルはホストだったと光一郎が言っていた。それと何か関係があるのかもしれない。
「奨学金を返していくのって、大変なの」
「そうなんですね……」
自分たちのように大学に当然に行けると考えられる家庭だけではないのだ。
「ここはギャラがいいから。自分次第で仕事も増やせるし」
「泥酔した理由は主にストレスなんですね」
「彼自身にも夢があるみたいなので――」
特別授業に同行したとき、ミカエルはガキはガキなりに考えるしかないと言っていた。
それは自分自身にいつも言い聞かせていることなのかもしれないとなぎさは思う。
「とはいえ、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、それをほのかさんに言われても」
「あら、タクシーで送って貰ったときのことよ」
「そうでした、そうでした」
そういうことにしておこう、となぎさは思う。
何はともあれ、腑に落ちた。これ以上、関わり合いになるのは野暮というものだ。
月曜日にはミカエルのライブ授業がある。当然、何もなかったような顔をするに違いない。しかし大人にも――大人だからこそ、抱えている悩みや苦しみがある。それを垣間見た出来事だった。
ほのかは他の女性講師のように飛び抜けて美人というタイプではない。それでもミカエルのような美男子が心引かれることもある。人間は外見ではない部分が大きいのだ。考えてみれば自分だってそうだ。タスクを好きになったのは外見からでは決してない。
2人がこれからどんな選択をするのかを見守ろうとなぎさは思いつつ、ほのかと別れる。そして自習室ですみれと雛姫と会う。雛姫は現在進行形で悩みを解決しているところだ。では、すみれは――
「すみれちゃんは幸せそうだね」
「え、藪から棒に何?」
「あんまり悩みなさそう」
「ある。人並みにある。何を言っているんだ?」
「じゃあ、そのうち、教えてくださいね」
雛姫にそう言われ、すみれは答えに詰まった。
「大したことじゃない。2キロ太ったとか、成績が思うように上がらないとか、いい男いないかな、とか」
なぎさは後ろからすみれをハグし、雛姫はすみれの手を握る。
「大丈夫、私達がついてるから」
「あたしの悩みには関係ない~」
「そんなことは聞いてない~」
まだ自分は子供でいいかな、と思う。
子供でいられる、間は。
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