第19話 雛姫ちゃん家の事情

 期末テストが迫る6月下旬。


 タスクの学芸員採用試験も多数地方で行われるシーズンがやってきた。アルフヘイムの場合、光一郎のような芸能活動と掛け持ち講師もおり、融通が利くので地方への試験にもスムーズに行けるのでタスクは助かっていた。一応、国家公務員の試験には合格していたが、国家公務員の場合、その先にまた各省庁への就職活動がある。また、今週は関西方面での学芸員対象の試験があった。


 関西方面で学芸員として受かると、当たり前だが、なぎさの家から離れることになる。寂しいことだが、もともとこっちに来る予定がなかったことを思えば、今の状況の方が奇跡的な巡り合わせだった。考えてみると自分も幸運の女神の前髪を掴んでいたのだと改めてなぎさは思った。


 タスクのことは応援しか出来ないので、期末テストに備えようと、またタスクが家を空ける寂しさを埋めるためにも勉強会を開こうと思い至った。いつもの自習室前のベンチで3人で集まって話す。


「今度はウチの番ですね」


 雛姫はどよーんとしていた。


「イヤならいいよ」


 すみれがいうものの、雛姫は肩をすくめた。


「私だって家にお友達をお招きしてみたいんです!」


「なら何故にそんなん?」


 なぎさが聞くと雛姫は応えた。


「前にも言いましたが、親が超過保護なのです」


「想像が出来ない」


「すみれさんの家の10倍、いや、50倍は干渉してきます。中学校までは学校まで送ってきて、帰りはいつも迎えに来てましたし」


「今、よく1人で行動させて貰えているね」


「ものすごく頑張ったんです。親は大泣きしてましたが、ハンガーストライキをして、どうにか折れたんで」


「ハンストとか近現代の歴史用語だと思ってた」


 なぎさは心底呆れた。


「動画制作の時とか、すみれさんの家に行ったときとか、私のスマホにはGPSが入っているので近くのいつでも駆けつけられるようなところにいたと思います」


 すみれは顔色を変える。


「マジか。過干渉も虐待だぞ。訴えてもいいんじゃないか?」


「そう思います。今回が試金石ですね」 


 何事もなく、子離れができていることを祈るほかない。しかしここでなぎさとすみれが躊躇して家に行かなければ、大人になっても彼女の両親は何も変わらないかもしれない。直談判するつもりで行こう、となぎさは決意する。


「任せて。しっかり親友やってるところを親に見せるから」


「し、親友――」


 雛姫は信じられないという顔をしてなぎさを見る。


「ずるいぞなぎさ。あたしも入れろ」


「すみれちゃん……」


 すみれの言葉に雛姫はほろりとする。


 先行きは不安だが、とりあえず雛姫のために頑張ろう、そうなぎさは改めて思った。




 6月最後の日曜日は、絵に描いたような梅雨の最中の雨模様だった。どんより暗い雲から雨がシトシト降り、湿気もすごく、すみれとなぎさが乗った電車の窓は白く曇ってしまい、外が見えなかった。


 雛姫の家は京葉線沿いの駅近マンションにあり、雛姫が迎えに来てくれるという話になっていた。改札口を出ると雛姫が待っていてくれたが、実に申し訳なさそうな顔をしていた。


「想定内ですが……」


「ご両親が来てるとか?」


 なぎさの問いに雛姫は項垂れた。


 駅前ロータリーの一般車待機場所に国産の高級セダンが停車しており、その前に傘を差したご婦人が雛姫を見つけると手を振ったが、雛姫はそれを無視して雨の中、傘を差して歩き出した。すみれがどうしようという顔をしつつ、雛姫に聞く。


「雛姫ちゃんの家って……」


「あそこです」


 目の前にそびえ立つ高層マンションを指さした。おそらく直線距離で300メートルも離れてはいないだろう。なぎさは言葉を失う。


「徒歩3分じゃないの……私ら歩けないようなお年寄りじゃないんだけど」


「これで分かったでしょう」


 雛姫ははあとため息をつき、合点がいったというようにすみれが言った。


「要するに中学校の時、こんな風にありとあらゆることをやったわけだ」


「何かあったら学校に乗り込むことも普通にあったし、秀湾女子は中高一貫だから、あいつはヤバいヤツっていう噂が広まって腫れ物扱いで……学校からしたらウチの両親はハードクレーマーなんです。高校から入ってきた子もその情報を聞くと、やっぱり仲間はずれにされて……まあ、歴女というかオタクしゃべり以外は朴訥ですし……」


「今は普通に話せているのにね」


「それはすみれちゃんとなぎさちゃんだからです!」


 それはなぎさとすみれにだけ、彼女が心を許しているからだろう。


 うむ。すみれと自分が彼女の友達になったのは、雛姫にとって運命の分かれ道だったのかもしれない。


「覚悟は決めた。雛姫ちゃんの両親を安心させて過干渉を少しでも減らす」


 なぎさが意を決すると雛姫は笑顔になった。


 車は3人をつけるようにゆっくり併走してきて、それだけでも怖かったが、さすがにマンションのエントランスに入る前には消えた。


 雛姫の家は中層階にあり、ずいぶんと広いフロアで、想像はしていたが、セレブだった。リビングダイニングキッチンだけでなぎさの家くらいありそうだ。


 リビングのテーブルの上に紙の箱に入った和菓子が置かれており、すみれが声を上げた。


「あたしが好きな和菓子だ」


「こっちには真新しいドリッパーとコーヒーポットと耐熱ガラスサーバーがある。コーヒー豆はさすがにウチで使っているのとは違うが」


 カウンターの上にはきれいに並べられたコーヒー用品があった。


「雛姫ちゃん、私がコーヒー入れるのが趣味だとか話したんだ?」


 雛姫は首を横に振った。


「ごちそうになったとは言ったけど」


「あたし、好きな和菓子の話なんかしたっけ?」


「すみれちゃん家の勉強会の写真を見せたとき映り込んでいたのかも。あのとき確かあったお菓子だよね」


「こわ……」


 なぎさとすみれは戦慄した。


「引かないで~ お願い!」


「大丈夫。実害はない」


「すみれさん、頼りにしてます」 


 なぎさは引きそうになっていた自分に活を入れたすみれを頼る。


 とりあえずリビングのテーブルで勉強会を始める。秀湾女子高も西高も範囲が大して変わらないので助かる。


 少しして雛姫のご両親が戻ってきて2人に挨拶をする。


 着ているものは普通よりかなりよさげではあるが、見ただけでは普通の初老の夫婦だ。遅くなってからできた子供だから過保護なのだろうかと思う。


「広報映像を見ましたよ。現物の方がかわいいですね」


 雛姫の父が2人を品定めするように見る。


「雛姫がお友達を連れてくるなんて嬉しいですわ。これからもよろしくお願いしますね」


 雛姫の母の笑顔が怖い、怖い方はこっちかとなぎさは判断する。


「私達は邪魔でしょうから部屋に引っ込んでますね」


 そして雛姫の両親は別室に下がった。


「うーむ」


「このくらいで済めばいいんだけど」


 雛姫は小さくため息をつく。


「監視されていると思いますが、勉強を再開しましょう」


「どっかになんかあるんだろうねえ」


 すみれは気の毒そうな顔をする。


 10時にはコーヒーを入れ、1回休憩、その後、勉強再開。


 お昼が近くなり、さてどうしたものかと勉強を中断すると玄関のインターホンが鳴ったのが分かった。雛姫の母が出て、デリバリーの梱包をカウンターまで持ってきた。


「用意したから自由に食べてね」


 梱包は高級ホテルのロゴがプリントされており、ホテルレストランのデリバリーだったと判明した。


「意外だ」


 すみれはデリバリーの梱包を解きながら言った。


「え、どうしてですか?」


 その台詞の意図を汲みかねたのだろう、雛姫が聞いた。


「まあ、許せる範囲だよ。てっきりシェフでも呼んで料理でもつくって貰うパフォーマンスでもするのかと思った」


「そこまででは……」


「きっと勉強の邪魔はしたくないんだよ」


 なぎさは雛姫の両親がホテルデリバリーを用意した意図をそう理解した。


 主食はデリバリーの中にはなく、キッチンの炊飯器には米がセットされており、あと3分で炊き上がるところだった。


 なぎさとすみれは美味しくレストランの味を楽しむことにした。


 ホテルのシェフが作っただけあってどれも美味しい。なぎさは勉強会の時に自分が作った適当パスタを思い出す。


「まあ、なんだね。私が作ったパスタなんかテキトーすぎて比較にならんね」


「それを言ったら我が家のうどんもそうだよ」


「いや、すみれのお母さんが作ってくれたうどん、美味しかったよ」


「それはレストランのテイクアウトとの比較の問題でさ」


「ううん。どっちも美味しかったよ」


 雛姫が続けて言う。


「キッチン、きれいでしょ? 使ってないから」


「わお。そういうこと?」


 すみれが声を上げる。どうやらデリバリーが基本のお宅らしい。


「じゃあさ、今度はウチで勉強会じゃなくてお料理大会やろう」


 なぎさは落ち込んでいる様子の雛姫に言う。


「それあたしにも言ってる? 手料理とかハードル高いんだけど」


「大丈夫、まずはお好み焼きからだね。ホットケーキでもいいよ」


「袋のインスタントラーメンも作ってみたいです」


「おおう」


 なぎさは雛姫の料理スキルの皆無さを思い、嘆いた。


 デリバリーの紙容器を片付け、箸と茶碗を洗い、勉強会を再開する。和菓子は3時の休憩時に食べる予定だ。1人2つあるのか、計6個あることは確認していた。


 3時が近づき、なぎさは雛姫に言った。


「せっかくなので雛姫ちゃんのお父さんお母さんにも私のコーヒーを飲んで貰いたいかな」


 1回で5人分まで入れられるセットだったのでちょうど良かった。なぎさは5人分の水をコーヒーポットに入れ、火に掛ける。


「え……わざわざ?」


「うん。言ったよね。今日の目的は少しでもご両親の不安を解消することだって。だからお話ししたいんだ」


「なぎさ、いいこと言った。あたしも同意」


 すみれは笑顔で雛姫を促す。


「たぶん、聞いているから、来るなら勝手に来るよ」


「それじゃダメだよ。呼んできて」 


 なぎさの言葉に、雛姫はイヤそうにしつつも、両親を呼んできた。


 ご両親もリビングのテーブルの席に着き、なぎさのコーヒーが入るのを待つ。


 ご両親が用意してくれたのは相当いい豆で、コーヒーの香りが広いリビングダイニングキッチンに満ちていく。


「今日はごちそうさまでした。お礼と言ってはなんですが、私が入れたコーヒーを飲んで欲しくって呼んで貰っちゃいました」


 雛姫のご両親は驚いていた。


「雛姫ちゃんにこんな立派なお友達ができるなんて……」


 その後、雛姫の母は言葉を失ってしまった。


 なぎさが5つのカップにコーヒーを注ぎ、テーブルにセットする。


「オススメはブラックです」


 そして自分も席に着いた。


 雛姫の父はカップに口をつけると感嘆の声を上げた。


「美味しいね。お店のコーヒーみたいだ」


 いつもの賛辞の言葉になぎさは満足した。


 コーヒーが行き渡ったので、すみれが和菓子の箱を開けて配ろうとしたが、雛姫の母がそれを制止した。


「ごめんなさい。お客様にそこまでさせるわけにはいかないわ。雛姫、お願い」


 雛姫は母親のその言葉に驚いていた。


「え……ママ……?」


 何もさせない、と雛姫から聞いていただけに驚くのも無理はない。


 雛姫は少ししてすみれから和菓子の箱を受け取り、各人に配った。


 コーヒータイムが終わり、雛姫が洗い物を下げて、カップや皿を洗い始める。


 その間に、雛姫の両親はなぎさとすみれに小声で話をした。


 雛姫の記憶にはないようだが、幼い頃、身代金目当てで誘拐されたこと。無事に警察に保護されたが、それ以来、母が過保護過ぎても過保護ではないと思うようになったこと。以来、10年、学校にも干渉を続けたこと。だが、ハンガーストライキを機に気がついたのだという。


「娘によかれと思って思って親がやることが、本人にとっていいことではないかもしれないということをおぼろげに考え始めて、カウンセラーに通うようになったんです。カウンセラーの先生にもそう言われて――当たり前ですよね」


 それ以来、自分の娘依存を解消するため、パニック障害にならない程度に徐々に干渉を減らしてきたのだということだった。とはいえ、駅の改札口でナンパされていたときは既にこっそり警察を呼んでいたらしい。あとで駆けつけた警察に事情聴取されて大変だだったと雛姫の母は苦笑いしていた。


「それは大変でしたね。あ、でも、やっていいこととやってはいけないことを正しく導くのが親の仕事ですよ。何か本当にやってはいけないことに手を染めそうになった止めてあげてくださいね」


 なぎさは少し行きすぎて干渉を減らしすぎないと思い、念を押した。


「その前に、あなた方のようなお友達が止めてくれるでしょう」


 雛姫の父はそういい、頷いた。


「彼女に頼られればもちろん」


 すみれは雛姫の両親を安心させるように頷いた。


 雛姫が洗い物を終えて戻ってきて聞いた。


「何を話していたの?」


「友達と家族のバランスの話」


 雛姫の母親がそう的確に即答し、カウンセリングは上手くいっているんだな、となぎさは思った。


 勉強会は5時に終了し、雛姫は駅まで歩いて送るといい、3人でマンションを後にした。


 もう雨は止んでいた。


 雛姫の両親がついてきている気配はない。


 改札口で雛姫が言った。


「今日はありがとう」


「こっちこそごちそうさま」


「また自習室でね!」


 雛姫は2人がホームへの階段を上り切るまで見送った。


 帰りの電車の中でなぎさとすみれは雛姫について話をする。


「これで雛姫ちゃんの家の問題の1つが前進した気がする」


「カウンセリング、うまく行くといいね」


 結局、雛姫への過保護は過去の犯罪を起因としていて、雛姫の家全体が今も苦しんでいる。すみれは今も心配げだ。


「普通の親子になれることはなさそうだけど、それでもいい関係になれるといいね」

「それを思うとなぎさの家もウチも普通だな」


「いや、ウチは普通じゃないでしょ」


「そういや初恋の人と同居か~ うらやまし」


 なぎさは照れ笑いし、すみれは大いに笑う。


 こんな普通の友人関係が実は誰かの助けになるかもしれないのだと知り、なぎさは生きていくのって難しいな、と素朴に感じたのだった。

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