第18話 光一郎の“本職”

 雛姫が企画した広報動画が完成し、公式サイトに上がる前にアルフヘイムの会議室でささやかな上映会が開かれたのはほのかが倒れた日から1週間ほども経った頃のことだった。


 映像はいい。教材としての出来もいい。地元自治体のPRにも活用できそうな出来だ。そして出演している雛姫は美人で饒舌で、すみれは快活でかわいく、自分は控えめにいって大根役者だった。


「く、悔しい。どうして自分、あんなに大根~」


 なぎさは上映会が終わり、悶え苦しんだ。


「雛姫ちゃんはさすがだね。カメラ映りいいわ~」


「すみれちゃんもアイドルみたいでしたよ~」


 喜ぶ2人を余所になぎさはがっくり肩を落とす。


「台詞だけだったらまだアテレコできるわよ」


 ほのかに言われて、なぎさは即答する。


「チャレンジします」


 制作スタッフ2名がパチパチと手を叩き、なぎさの果敢に攻める姿勢を称賛した。


「じゃあ、俺の出番かな」


 一緒に上映会に参加していた光一郎がなぎさの座る席の後ろに立った。


「え、そうなの? 光一郎先生がどうして?」


 クエスチョンマークを頭上に浮かべるなぎさにすみれが代わりに答える。


「だって光一郎先生、声優さんもやってるから」


「え~ そんなの聞いたことなかった」


「声優だけじゃないぞ。ドラマとかにもちょこっとだけ出てるぞ」


 光一郎は胸を張る。ほのかが捕捉する。


「光一郎先生は親会社からの派遣なのよ」


「ああ、芸能事務所所属なんですか。ミカエル先生をこの予備校に引っ張ったのは、じゃあ光一郎先生なんだ?」


 なぎさが聞くと光一郎は自慢げに答えた。


「こいつ、ホスト辞めてプー太郎してたから」


「うるさい。ここで言うことないだろう」


 ほのかの前で恥ずかしい過去を暴露されたからなのだろうか、ミカエルは赤面した。


 あの日以降、2人の絡みを見るのは今日が初めてだったが、悪くない気がする。鍵を勝手にミカエルに渡してもほのかは何も言ってこなかった。いや、翌日、礼を言われたが、そのことだったのかもしれない。


 収録は校内の配信用撮影スタジオを使うことになり、すぐに始まった。


 光一郎は映像上の口パクと台詞の突き合わせを行い、発生の出だしのアドバイスとそもそもの腹式呼吸のやり方も教えてくれた。


 数回、台詞を練習し、合うようになった頃、今度は感情がこもった台詞になるようイントネーションの指定を細かく始める。光一郎は台詞の上に強弱を数字にして表記し、それを頼りに台詞を口にするとかなり改善されたことが分かった。最後に光一郎が言った。


「もうちょっとだ。なぎさちゃん、力入りすぎなんだよ」


「だって――緊張しますよ」


「じゃあ笑え」


「はい?」


「笑うんだ」


 無理矢理笑ってみると、不思議にたったそれだけで力が抜けたのが体感できて驚いた。


 そしてマイクの前で台詞を口にして、OKが出た。


 完成版はアップしたのを見てくれということになり、再録作業が終わった。


 スタジオの前ですみれが待っており、感想を求めてきた。


「どうだった? 光一郎先生、格好良かったでしょう?」


「厳しかった。命令口調だし」


「知らない推しの姿。あたしも再録申し出ればよかった」


「考えてみれば光一郎先生、中山法華経寺ですみれにダメだしいっぱいしてたね。そもそも再録するようじゃ現場でOKでなかったでしょう」


「あたしは声優なのを知っていたから厳しい指導に従えましたから」


 廊下でそんな立ち話をしているとほのかがやってきて2人に声をかけた。


「なぎさちゃんにお礼したいなと思ってて、手持ちのカードを考えていたらこれを見つけたんだ。もし行きたかったら貰ってくれる?」


 そしてほのかは1枚のはがきを2人に見せた。それはラジオの公開収録のチケットになっており、注意事項が印刷されていた。


「どうしたんですか? 有名声優の冠ラジオ番組じゃないですか。ゲスト、大原光一郎? 2名まで?」


 すみれは驚き、ほのかに詰め寄るかのように距離を縮めた。


「ゲストが貰える分のはがきを貰っていたのよ。私がパーソナリティの声優さんのファンだって彼、知っていたから」


「いいんですか? 好きな声優さんの番組収録なんてすごいプラチナチケットじゃないですか!」


 すみれの大きな声での食いつきに、ほのかは唇に人差し指を当てた。


「その日ね、用事ができちゃったの。別の人とスケジュールが合わなくてね」


 そしてほのかはなぎさを見た。


 なぎさは無言でうんうんと頷くほかない。自分の判断は賢明だった証だ。あとはバレないよう上手くやって貰いたいものだ。


「すみれ、貰っちゃおう」


「もちろん。そういうことなら」


 ほのかは笑顔になって、事務室に戻っていった。


 なぎさは別に声優に興味はないので、自習室に戻っていた雛姫に声をかけて聞いてみたが、雛姫も興味はないとのことだった。


「すみれちゃん1人で行く?」


「そんな薄情な~」


「うそうそ。私がつきあうよ」


「行ってらっしゃい~」


 そう言う雛姫の手をすみれががっしりと握る。


「ハブるわけじゃないからね。しっかり穴埋めするからね」


「分かってますよ~すみれちゃん」


「仲良きことは美しきこと哉」


 なぎさは少しばかり賢者モードな気分でそう呟いた。




 公開収録は都心のラジオ局本社ビルの中にある常設ホールで行われることになっていた。なぎさとすみれは自分たちの姿が映るわけでもないのに精一杯のおしゃれをして行き、ホールに並べられた指定の椅子に腰をかけた。冠の有名声優さんは多くの主演作を持つ人で、ホールは抽選60名の枠をとるのに苦労したであろう主に女性のファンで埋まっていた。みんなそれぞれオシャレをしてきていたので正解だったのでホッとした。


「なぎさはアニメ見るの?」


「今は見る時間がない。たまにゲームはするけど、声優さんがその主人公役だったよ」


「そんな人のラジオ番組収録に立ち会えるなんていい経験になるよね。これも発端は雛姫ちゃんのお陰だから感謝だね」  


「そうだね。行動するとどんどん世界が広がっていくね」


 自分がほのかを助けたのが直接の理由だが、ほのかと知り合ったこと自体は雛姫の企画からだ。自分で何もせず、他力に頼っても人は何も変わらないと思う。


 スタッフさんの注意事項のあと、パーソナリティさんが入ってくると、ファンは遠慮なく歓声をあげる。まだ収録が始まっていないので悲鳴を上げても大丈夫である。そのエネルギーになぎさは圧倒される。


 そして壇上に設けられたテーブルに着き、マイクに向かって挨拶をするとその間は静かになった。ただ単にこのパーソナリティを務める声優さんが好きだと言うだけで集まった集団がこの瞬間、1つになったようになぎさには思われた。


 イケメンだし、有名なアニメの主役級の声優さんだから、盛り上がるのはわかる。しかしそれだけが理由ではない気がする。分からないが。ファンは狂気ファナティックを語源とするという。なぎさはマジカルな何かを感じた。


 落語でいう枕に該当する雑談から始まり、最近の活動について話が進む。ファンは傾聴し、場が落ち着いたところで光一郎が入ってくる。


 光一郎のファンもいるようで、やや歓声があがり、当然、すみれも声を上げる。


「光一郎先生~~!」


「いや、先生つけるのまずくない?」


「なぎさも一緒に、光一郎先生~!」


 よく聞くと先生と一緒に行っている人もいる。生徒なのか講師をしていることを知られているからこその敬称なのかはまでは分からない。


「光一郎先生~」


 3度目はすみれに合わせて声を上げ、壇上の席についた光一郎は2人を認めると手を振った。来ていることはほのかカントクが知らせているだろうし、なぎさもメッセージを入れておいたので、探してくれたに違いない。


 光一郎の出演枠は10分ほどで最新アニメの準主役級の役らしい。


「光一郎くんは事務所の後輩なんだけど、あだ名、先生だよね」


「現役で予備校の先生やってるんで」


「光一郎くんみたいなイケメンに教わるの、いいよね?」


 パーソナリティの声優さんが会場にふると、いい~ と返ってくる。


 なるほどアルフヘイムの宣伝も兼ねているわけだ。事務所が同じだからとラジオ局にねじ込んだ話だろう。


「ウチの学校、この番組のスポーンサードしてるからね」


「CMとかも流しているのかな」


 後で確認しようとなぎさは思う。


「どう? 声優と両立大変?」


「大変ですけど、もともと先生になりたかったので、その点は充実してます」


「光一郎くんは大学の美男子コンテスト出身者なんだよね」


「はい。声優やろうなんて考えてもいませんでした。むしろ身体を張る方には興味があって、大学時代は特撮やってました」


 初耳だ。なるほど。そんな雰囲気があるわけだ。


「特撮? おお、分かるね。確か次のシーズンの……」


「はい。オーディションに受かりました! 主役ではありませんが、初期メンで、俺も変身します」


「それはおめでとう!」


 ホール内が拍手で満たされる。特撮に疎いなぎさでも知っているシリーズの準主役だ。大きな躍進のきっかけになるだろう。


「そんなの聞いてない~!!!」


「それ、私の口癖」


 すみれは我を忘れて大はしゃぎしていた。


 収録は合計90分程度行われ、最後にじゃんけん大会でプレゼントがあった。なぎさはなぜか準メインのプレゼント、パーソナリティが声優を務める人気キャラのサイン入りぬいぐるみを勝ち取ってしまったが、光一郎とじゃんけんをやる、彼が参加したゲームのサイン入りファイルは逃してしまった。


 興奮冷めやらぬ中、パーソナリティと光一郎は退場し、公開収録参加者も徐々に帰って行った。


「いやあ、すごかったね」


「なぎさ、じゃんけん強いじゃん」


 ちょうど前を光一郎賞を勝ち取った人が通りかかり、なぎさは思い切って交換を申し出た。相手は驚いていたが、喜んで応じてくれた。


「はい、すみれちゃん」


 サイン入りファイルを手渡すとすみれはぽかんと口を開けた。


「やるなあ、なぎさ」


「Win-Winだからいいんじゃない?」


「きっとそうだね」


 そして2人で笑った。


 せっかく都心に出てきたので、その後はゲームのコンセプトカフェに行ってから帰路についた。いい土曜日になった。


 そしてなぎさが帰宅すると、なぜかもう件の光一郎とミカエルが来ており、タスクと一緒に家呑みを始めていた。


「なんで光一郎先生、私より早くここにいるの?」


「なぎさちゃんと違って寄り道しなかったからだ」


「そもそもなんでこんな明るいうちから呑んで……あ。そうか」


 なぎさは頭を大きく下げた。


「ヒーロータイムデビューおめでとうございます」


「ありがとう。やっと情報解禁なんでな。ああ、ネットとかはまだでお願いするよ」


 光一郎は赤い顔で笑顔になった。


「順調だなあ。光一郎は」


 ミカエルは缶ビールを飲みながら羨ましそうな顔で光一郎を見た。


「僕も見習いたい……」


 タスクは巻き込まれた感がありつつも、心からそう願っているようだった。


「順調、なのかな。わからん。自分の人生なのに、そのとき目の前にある幸運の女神の前髪を掴み続けてきたらこうなった。本当に俺がしたかったことなのか、悩む」


 光一郎は缶チューハイを仰ぐ。


「光一郎先生、予備校辞めちゃうんですか?」


「うーん。両立できる限りはやるよ。少なくとも前期は受講が決まっている生徒がいるわけで。後期はライブ授業なしかな……それならなんとか」


「できることはやりましょうよ」


「全くだな」


「耳が痛い」


 ミカエルが吐き捨てるように言う。この中で方針が定まっていないのは彼だけらしい。タスクだって合格しないことには先に進めないが、方針は決まっている。


「だが、いいと思うんだ。目の前で自分とそう歳が変わらない大人が、前を向いて、全力で自分の人生を突っ走って行く姿を生徒たちに見せるべきだと思う。それは今、勉強という形でしかエネルギーを使うことが許されない生徒たちの力になると俺は信じる」


「光一郎先生は格好いいなあ」


 なぎさは思わず声に出してしまい、光一郎が応える。


「もっと言ってくれ」


「格好いい。外見だけじゃなくて、中身も格好いい。あ~あ、すみれちゃんにもこの光一郎先生を見せてあげたい」


「はは。それは俺が講師やっている間は無理だ。すみれちゃん、いい子だよな。俺の好みだよ」


「それ、本人に言ってもいいですか?」


「酔っているから返答は保留させてくれ」


「先輩、賢明です」


 タスクが頷き、光一郎は言う。


「人気商売だからこそ、夢は壊したくない」


 真面目な人だなあとなぎさは思う。


 ミカエル、光一郎、ほのか、そしてタスク。


 なぎさの近くにいる大人はみな、それぞれの人生を懸命に生きている。その姿は未来の自分の姿でもある。


 うん。


 なぎさは独り、心の中で頷く。


 自分の進むべき道を、光一郎がいうように、目の前に現れた幸運の女神の前髪を掴み続け、前進しよう、と。


 それが今、自分が考えられる最適解だ、となぎさは思った。

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