第17話 ほのかの悩み
なぎさが駅前のプロムナードで具合が悪そうなほのかを見つけたのは、自習室に遅くまで残った雨の日だった。プロムナードのベンチの、雨宿りできるような藤棚の下で、少し濡れながら項垂れ、動かなかった。
「――ほのかカントク……ですよね? 大丈夫ですか」
街路灯の下、ほのかの顔の陰影は濃く、疲労の色が浮かんでいた。
「えーっと……」
「青海です。青海なぎさ」
「ごめんね。2日も一緒だったのにね。3人の女子高生の1人だ」
どうやら動画作成で一緒だった記憶はあるようだ。
「いえ。別にそれは。大丈夫ですか?」
ほのかは首を小さく横に振った。
「私、毎月重くて……」
「ああ」
合点がいった。
「薬飲みました?」
ほのかは首を縦に振った。
「でも、動けなくって……」
「ここにいたら濡れますよ。お近くですか? 送りますよ」
「そんな――」
「ほのかさんは講師じゃないから別に禁止されてませんよ」
「ありがとう。甘えるわ」
ほのかの家はなぎさの最寄り駅からバスで行くところだった。
なぎさはほのかに肩を貸し、電車に乗り、上りだったので空いていたのが幸いし、座らせ、降車駅でまた肩を貸して電車から降り、駅前ロータリーでタクシーを捕まえた。しかしほのかを乗せてもどうにも不安で仕方がなく、なぎさも乗り込んだ。ほのかは遠慮しようとしたが、ここで退いたら後悔しそうな気がして、なぎさはタクシーを発車させた。
案の定、アパートの近くでタクシーから降りてもほのかは歩けなかった。
「もう少しですよね。頑張りましょう」
「うん。ありがとう」
肩を貸すとほのかはよろよろと歩き出し、どうにかアパートの2階に帰り着くことができた。
アパートのほのかの居室は殺風景で、ほとんど家財がない。ミニマリストなのかなと思うくらいだ。ほのかをベッドに横にさせるとなぎさは聞いた。
「何か食べられます?」
「――普通に」
「勝手に作りますよ」
冷蔵庫を開けるとあまり具材はない。キャベツ半分、もやし半分、卵。ヤバい。
棚を探すとシーチキンが見つかった。乾麺のうどんもある。うどんを茹で、キャベツともやしをレンジで加熱し、シーチキンと卵に顆粒スープ、七味で餡を作る。そして茹で上がったうどんと野菜を水で冷やし、まだ温かいが餡を乗せ、つゆの素をかける。
「できましたよ」
「冷蔵庫にあれしかないのに?」
トレイがないので直接皿と箸を持っていき、ベッドに腰掛けるほのかに持たせる。
「食べられます?」
「うん……」
ずるずると滑り落ちるようにベッドから降り、ほのかは座卓の前にぺたんと座る。
一口食べると天を仰ぎ、呟く。
「ああ……おいしい。人間の食べ物だわ」
「普段、何を食べてるんですか」
ゴミ箱にはカロリーメイトとゼリー系のエネルギーパックの類いくらいしか捨てられていなかったことを思い出す。
「時間がもったいなくてね……」
「そんなに忙しいんですか?」
「凝り性なもので……」
大型液晶TVの前に10冊以上の大学ノートが積み重ねられている。付箋がいっぱいついており、表紙に研究ノートVol.30とあった。
「実家はものすごい部屋になっているのよ。今はほら、サブスクでだいたいなんでも見られるでしょう。実家は円盤や雑誌で山ですよ」
「デジタル化万歳ですね」
なるほど、殺風景なわけだ。ほのかがしているのが何の研究とか考えるまでもない。おそらく彼女はアイドルオタクなのだ。アイドルオタがアイドル講師の演出を担当するというのはある意味、天職といえるだろう。
「講師を陰から支える仕事だから。無責任になれないのよ。女性講師からは目をつけられて嫌がらせを受けることもあるけど、自分がしっかりしなきゃだから」
「聞く話ですが、大人の世界は厳しいですね……」
「彼女たちは賞味期限がある仕事だから。私はたぶん、長くやればやっただけ、知識を蓄積していけば、うまくいく仕事だっていうのもあると思う」
ほのかはうどんをすすり、生き返ったかのような顔をした。
以前、すみれたちと話をしたミカエルのことを聞こうか、ちらりと悩んだ。言葉にするようなことではないと思いもしたが、聞くことにした。
「ミカエル先生は感謝してましたよ」
「それは嬉しいな……役に立てているのかな……あんな美形、自分の力だけで人気とっているんじゃないのかな。自分は無力じゃないと思いたいけど……」
ほのかはうどんの皿を見つめ、また箸をつけた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様で」
ほのかが食べ終わり、なぎさは皿を下げる。
「なぎささん、料理もできるのね。すごいのね」
「こんなの料理のウチに入りません」
「そうですか……」
「大丈夫そうなので帰ります。無理しないでくださいね」
「ほんと、ありがとう」
なぎさはアパートから出ようとしたが、オートロックではなかったので、ほのかから予備の鍵を借りて明日返すことにした。
独り残すほのかが心配だが仕方がない。もう夜も遅い。スマホで現在地を確認すると駅からけっこう離れていた。歩くと1時間はかかるだろう。バス停まで行ったが、最後のバスはもう行ってしまった後だった。
やらかしたなあ、と思いつつ、母に電話を入れ、事情を説明して歩いて帰る旨、伝えた。雨の中、傘を差しながら歩くのは憂鬱だ。
時折走ってくる車のヘッドライトが雨を照らすと、降りが強いことが分かった。
しばらく歩き、足下が濡れてきて、タクシーを掴まえようかとも考えるが、根が貧乏性なのでその気になれない。
するとタスクから連絡が入り、見てみると歩いて迎えに出ているという。
素直に嬉しく思い、近くのコンビニで合流することにする。
15分ほど待って、タスクがコンビニに現れた。
「大変だったね」
「いやいや。放っておけなかったからね」
コンビニでホットドリンクを買って外に出るとタスクが聞く。
「タクシー捕まえる?」
なぎさは首を横に振る。
「タスクくんと一緒だったら雨降りお散歩デートだから」
それを聞いたタスクはくすりと笑った。
「じゃあ、一緒に歩こう」
幹線道路から一つ外れ、2人は傘を差し、話しながら家路をたどる。
ほのかが大変そうだったこと、家の中が殺風景だったこと。おそらくずっと研究していること。冷やし餡かけうどんを作ったこと。
「カントク大変なんだなあ」
「うん。今日も体調が悪いのに仕事に来ていたし」
「受講生の数でサラリーが変わるからみんな頼りにしているんだ。カントクのアドバイスは効くんだよ。指導は厳しいけどね」
「さすが現役講師。リアリティがある」
「リアルなんだってば。カントクの立場はイケメンに囲まれてキラキラしている仕事だって揶揄されることもあるけど、弛まず努力しているからこそ、実績を作れるんだね」
「大変だなあ」
そんな話をしているとなぎさのスマホに音声通話がかかってきた。
「ミカエル先生だ」
「どうして?」
「実はコンビニで待っている間に情報を流した。余計だったかもだけど」
「――GJだね。電話、出てあげてよ」
電話の向こうのミカエルはクールを装いながらもまくしたて、ほのかの住所を聞き出そうとした。
「どうしようか。個人情報だし」
「教える気満々で連絡したんでしょう?」
「バレた?」
『聞こえてるぞ~!』
スマホからミカエルの怒声がした。
「襲わないと約束するなら」
『その状況で押し倒せるほど人間やめてない!』
普段のミカエルからは考えられないような狼狽ぶりだった。
ミカエルとは駅に近いコンビニで待ち合わせた。現れた彼は講師スタイルのままだったが、ちょっとよれた風だった。両手には似合わないことにスーパー袋いっぱいの食料品を持っていた。そんな普段は見せない姿の彼に、なぎさはほのかのアパートの鍵を渡した。
「ありがとう。本当に」
ミカエルが両手でなぎさの手を覆い、タスクが早く手を離せやという顔で睨んだ。
「先輩、早くカントクのところに行ってあげてください」
ミカエルは地面に置いたスーパー袋を再び両手に持ち、タクシーを捕まえて夜の街の中に消えていった。
「やれることはやった。お節介だとは思うけど」
「先輩は心配するしか出来なくて地獄だろうけど、カントクには全部がご褒美だからいいんじゃないかな」
タスクはクスリと笑い、なぎさに行こうよと促す。
もう夜も遅い。
大人の2人がどんな夜を過ごすのか、想像するだけでも何やらドキドキする。
人生の岐路になるかもしれない夜だとしたら、自分は2人にとって恋のキューピットになるのかな、と思いつつ、なぎさたちは家路についた。
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