第10話 タスクと雛姫のデート本番
なぎさの鬱は加速していた。
何故なら明日の朝にはもうタスクと雛姫の
それでも勉強はする。しないと5月に向けての定期試験で戦えないからである。進学校に行ったのはいいが、それで安心してしまい、サボっていたなぎさにはやれることが山ほどあった。土曜はアルフヘイムの授業をとっていないので自宅での勉強だ。
1年間を振り返り、分からないことは雛姫やすみれに聞き、とにかく進む。食事やトイレなどの隙間時間には暗記をする。身体を動かすときはとにかく動かして体力を維持する。
常に全力疾走しないと! と自分に言い聞かせるが、明日のことを思い出すとフニャラララ~~と力が抜け、鬱で死にそうになる。
だめだ、コーヒーを飲もう。
なぎさは部屋から出てキッチンに行き、コーヒーポットでお湯を沸かす。
コーヒー豆を電動ミルで粉にし、ドリッパーにフィルターをセットして粉を入れる。
お湯をゆっくりドリッパーに落とし、コーヒーの匂いでなぎさの心は安らぐ。
「うん。いい出来だ」
自分で入れたコーヒーの方が正直、外で飲むより美味しい。当然か。好みなのだからと自分にツッコミを入れる。
タスクが仕事から帰ってきてコーヒーの匂いを嗅ぎ、なぎさに言う。
「マスター、なぎさスペシャルを1杯お願いします」
「かしこまりました」
なぎさは続けてもう1杯、コーヒーを入れる。
タスクはスーツ姿のまま、ダイニングキッチンのカウンターの前に座る。
「明日は特別授業だから、気合いを入れないとね」
「タスクくんは仕事と割り切れるの?」
「そうだね。仕事というより、がんばった女の子にご褒美をあげたい、という気持ちかな。僕なんかでご褒美になるのか怪しいからがんばりたい」
むう。
なぎさは口をへの字にしたまま、タスクの前にコーヒーカップを置く。
「タスクくんは女の子に優しいのがいいところだけど、女の子は誰だって、本当は自分にだけ優しくして貰いたいんだよ」
タスクはなぎさを見上げて言う。
タスクはずいぶんと悩んだ様子をなぎさに見せた挙げ句、こう言った。
「優先順位ははっきりさせるよ。それじゃダメかな」
「タスクくんは優しいからそれが限界なんだね」
「だいたい合ってる。がんばっている女の子にはすべからく優しくしてあげたい。怠惰な女の子には厳しくするけど」
「おお。肝に銘じます」
「なぎさちゃんはいつも全力疾走で頑張ってるじゃない」
「結果を出すよ」
「楽しみだ。でも、たとえ次の1位を取れなくても、その努力には意味があると思うよ」
タスクはコーヒーカップに口をつけ、満足そうに頷いた。
なぎさはその後も勉強を続け、日付が変わる頃、眠りについた。
GW前の日曜日は雲一つなく晴れ渡る素晴らしい天候だった。風も爽やかで気温もそんなに上がらないと気象予報士がポッドキャストのニュースで言っていた。
いつものことだが、タスクとは家を出るところから別々だ。そう。いつものことなのに、今日は特別寂しく感じられた。
雛姫とすみれとはアルフヘイムがあるターミナル駅の混雑する改札の前に9時45分の待ち合わせだ。タスクとは10時になるので15分余裕がある。なぎさが到着したのは30分を過ぎたあたりで、もう雛姫は到着しており、困ったことに3人の男にナンパされている最中だった。なぎさがどうしたものかと躊躇している間に、ナンパしている男どもを蹴散らすようにすみれが到着した。
「どっか~~ん!!」
すみれはDバッグを振りまわし、ひるんだ隙にしゃがんで足下を回し蹴りをして、ナンパしている男どもをなぎ倒す。
「なにすんだテメエ!」
立ち上がろうとするナンパ男から怒号が飛んだが、なぎさがスマホでパトカーのサイレン音を流すと、ナンパ男どもは退散していった。
「なぎささんさん、ありがとう」
「雛姫さん。そのファッションはナンパされるわ……」
白いワンピースに赤いリボンをつけた極上の美少女が1人で改札前に立っていればそれはナンパもされようというものだ。白のワンピースはこの子のためにあるとまで思うほど似合っている。
「すみれさんもありがとう。私服、格好いいんですね」
すみれはデニムのストレッチパンツにスニーカー、Tシャツ、デニムジャケットに野球帽というボーイッシュなスタイルだが、美人なだけになんでも似合っている。
「気をつけろよな。雛姫ちゃん、美少女なんだから」
「――ごめんなさい」
「悪いのはナンパ男どもだから謝ることはないんだよ」
すみれは雛姫を気遣う。雛姫は気を取り直したようになぎさを見て言う。
「なぎささんも私服、かわいいですね。すみれさんは格好いい」
「そうかな……」
なぎさは洗いざらしのコットンのロングパンツにグレーのシャツ、同系色のネコ耳ニット帽というシンプルなスタイルだ。今日は主役ではないので気張らないことにしたのだった。
「今日はほんとうにありがとう」
雛姫の笑顔が眩しい。すみれはこっちこそ、と素直に礼を言っていた。
タスクと自分がデートするわけではないのに、ドキドキした。
そして時間の5分前にタスクが姿を現した。スタイルは予行演習のときのそれだ。雛姫は笑顔になり、なぎさとすみれは即座にツッコミを入れた。
「後ろの2人はミカエル先生と光一郎先生ですか?!」
「そんな格好でも光一郎先生を推す。あたしはブレない!」
後ろに黒子の頭巾をかぶった長身の男が2名、不審者にしか見えないが、タスクの研修役として来ていた。
「ほらあ、全身黒子じゃないからこうなるんだよ」
「そんなわけないだろ! 退いてるって!」
「君のファンは喜んでいるじゃないか」
女子3人がくすくす笑う中、ミカエルと光一郎は頭巾をとった。3人の美形に照らし出され、なぎさは、改札口が一瞬、明るさを増したかのような幻覚を見た。
頭巾をとれば美男子なのだ。ミカエルはハイブランドのスーツ姿で、光一郎はシンプルにデニムの上下にTシャツだ。2人ともスタイルがいいのでなんでも似合う。
「先輩達、完全に僕の出番をもっていきましたね」
タスクは大きなため息をついた。
「つかみが大切だと言っただろう。それに緊張をほぐすのも大切だぞ」
光一郎がタスクの頭をワシャワシャやり、少し崩れたので自分で直した。
軽く自己紹介タイムになり、その後、すぐに駅前公園のオープンカフェに向かう。
雛姫とタスクが並んで歩き、残りの4人がついていく形だ。
「私達はあくまで付き添いだからね」
ミカエルはなぎさとすみれに言うが、説得力はない。
「オレらは休日だから、研修という名の後輩いじりだな」
光一郎が笑顔で言う。なぎさは首を傾げる。
「山峯先生と先生達はどういう関係なんですか?」
「大学の先輩後輩」
「それはどこかで聞いたような」
「大学の美男子コンテスト入賞者OBの会のメンバー」
「マジか」
ミカエルの答えにすみれが目を丸くする。
「オレとミカエルが1年次と2年次で交互に美男子コンの1位と2位をとったんだ。その後、ちょっと気に食わない奴がいて、適当に歩いていたタスクを掴まえて、こいつを優勝させてやると啖呵を切って、改造したのが付き合いの始まり」
「最悪だ」
なぎさは目に手を当てる。タスクが格好良くなっても自信がないわけだ。
「でも、だから今があるんだよ」
ミカエルは面白そうに笑った。
駅前の公園に到着し、それぞれ注文する。
タスクと雛姫は同じ会計だ。タスクがちゃんと雛姫をリード出来ている様子が窺え、なぎさは脳内にハンカチを噛んで耐える古典的なシーンを思い浮かべた。
「なぎさもブレないねえ」
すみれは呆れたようにいった。
「次は、勝つ」
「その負けん気を引き出せたのなら、我が校の方針は間違っていなかった、ということだね」
ミカエルはなぎさとすみれの分のドリンクもトレイに載せて、2人をテーブルに案内する。隣のテーブルではもうタスクとすみれが話をして、盛り上がり始めていた。
なぎさは耳をそばだてる。
「奈良の文化財を見て行くには――」
「年代ごとの目玉を見ていけないから何百年のスパンで――」
何を話しているのかさっぱりだが、タスクはなぎさに見せたことのない笑顔を見せ、雛姫もコミュ障とはほど遠い饒舌さで会話を愉しんでいた。
「敗北感?」
すみれにそう言われ、なぎさは涙していないのに指で涙を拭う仕草をする。
「オレらが来ていても関心を引かれないのはショックだ」
光一郎はアイリッシュラテをすすりながら不満げだ。
「光一郎先生はあたしではご不満ですか?」
すみれがあざとく上目遣いで光一郎を見上げる。
「いやいや。女の子は等しく尊いよ。けどね力を発揮できないというのもストレスだ」
光一郎は肩をすくめる。
「一応、オフで五箇条があるので、こうして君と話しているのもグレーだから、あまり付き添いの生徒と関わるべきではないというか」
ミカエルが解説すると微妙な雰囲気になる。
「先生の立場があると思いますので、見ているだけにしますか」
「うう、せっかく光一郎先生がいるのに」
「大人しく見ていようよ。初
笑顔のミカエルには後光が差す。
なぎさとすみれはミカエルの言うとおり、隣のテーブルの様子を見る。
「楽しそうだ」
なぎさは認めがたいことを口にする。
好きなことを話している2人は輝いている。
すみれは意を決したようにDバッグからタブレットを取り出し、勉強を始める。
「ああ。勉強だったら見てあげても大丈夫だと思うよ。五箇条に引っかからない」
光一郎がそういうと、すみれは笑顔になった。
「本当ですか?」
「なぎさちゃんも一緒にどう?」
なぎさは首を横に振り、光一郎は肩をすくめた。
無理だ。タスクのことが本当に好きなんだと分かった、今では。
「妬けるな」
ミカエルが呟いた。
タスクが席を立ち、ケータリングカーに追加の注文に向かった。盛り上がっていて、なぎさの存在すら忘れたかと思ったが、戻ってきてなぎさとすみれに聞いた。
「君たちの分も、おかわりどうかな?」
なぎさは嬉しさ半分、悔しさ半分でラテを頼み、すみれは桃のソーダフロートをお願いした。タスクは計4杯のドリンクをトレイに載せて戻ってきて、2人の前にそれぞれ置くと、雛姫といるテーブルに戻っていった。
「古代の日本と韓半島と九州南部との文化交流を考えないと――」
「呉との直接交流ルートの検討ですね」
さっぱりだ。
「いいねえ。好きなことを話しているのを見るのも」
ミカエルが達観したような物言いでなぎさに同意を求める。
「それはもちろん認めます」
「なぎさちゃんは、日本史が好きになれば彼女と同じようにタスクと話が弾むなんて考えているんじゃないかな」
「――わかりますか。でも、それが浅はかなのも分かります」
ミカエルは満足げに頷いた。
「聡いね。いいことだ。結果、日本史が好きになるんならいいんだけどね。君は君の好きを探そうよ。それは1人1人違うものだ。今、身の回りにある者で済ませてしまう人も多いけど、本当は広く物事を知った上で好きになるものが見つかった方がいい」
「アニメとかゲームとか好きな人が大勢いるじゃないですか。それは否定しますか?」
「否定も肯定もしないよ。野球やサッカーが好きな人にも身近にあったから好きになったんだって気がつかない人も多いだろう。アメフトがいくら面白くたって熱心に見る人は――それがたとえ
「こういう話はNGじゃないんですね」
「学習意欲をアップさせるカウンセリングだと思って欲しい」
「なるほど。そういう意味では私、コーヒーくらいしか好きなものがないですね」
「立派な、それも多くの人が興味を持つ趣味じゃないか」
「そうなんですかね?」
「記録をつけてみたらまた変わりそうだ。コーヒーについては素人だから偉そうなことは言えないけど。私は自分の英会話能力の維持のために、自分と生徒の会話を録音して聞き返しているよ。どうすれば生徒に聞きやすく、わかりやすく話せるか研究する。コーヒーを入れるという行為でも同じようなことはできると思うんだ」
「ミカエル先生はさすがに大人ですね」
「24のガキだよ。でもガキはガキなりに考えるしかない」
「それを言ったら私はまだ16のガキですから」
「少しは参考になったかな」
「大いに」
「女の子はやっぱり笑顔がかわいいよ」
「ミカエル先生には課金しませんから」
「はは、ファンの獲得に失敗した」
ミカエルは可笑しそうに笑う。なぎさは、彼の話を聞いて大分楽になった自分を見つけていた。
本日の主役2人のオープンカフェでの談笑は長きに亘り、結局、ウィンドウショッピングの時間はなくなってしまった。ドリンクだけでなく、軽食も済ませた。それほど混雑していなかったので、ケータリングカーにとってはいいお客さんだったに違いない。
「じゃあ、プラン通り、カラオケに行こうか」
タスクは雛姫を導き、立たせ、椅子をテーブルの下に戻してあげる。
「私、カラオケ初めてなんです」
「僕も2回目だよ。だから大丈夫」
こんなやりとりを目の前で見せられてなぎさは凹まざるを得ないが、ここにいないで家で悶々としているより数百倍はいい。
残された4人は目で合図して、主役2人のあとをついて行ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます