第11話 定番、お勉強会ですよ

 翌日の月曜日、もう定例となった自習室前のベンチでの情報交換会は、盛り上がっていた――なぎさを除く2人が。


「もう、タスク先生、優しくって、ファンになってしまいました」


 雛姫は夢心地の表情で両手を握り、感激を表現した。


 そうなると思っていたよ、という言葉をなぎさは飲み込む。


「光一郎先生とのマンツーマン指導、めちゃめちゃ分かった」


 すみれもご満悦だった。


「やっぱりいい男に指導して貰えると勉強もはかどるね!」


「私は勉強の話はしませんでしたけど、モチベーションがとっても上がりました!」


「――モチベーションアップは私もしたよ」


 カラオケの後、解散し、帰宅したタスクと再会したなぎさは彼の様子を窺った。


 タスクは緊張していたのがバカみたいだったと上機嫌だった。


 それはそうだろう。雛姫ほどの美少女を相手に趣味の話をずっとしていたのだから、そのままタスクが惚れたってなぎさは不思議には思わない。


 むう、と思いつつ、コーヒーを入れようとすると、タスクも1杯所望してくれ、なぎさの溜飲は下がった。


 GW後には5月の順位決めの定期試験がある。それで少しでもいい成績をとり、雛姫に肉薄しなければならない。ライバルは雛姫だけではない。日本史をとっている女子生徒は確実にタスクのファンになっている。新人ムーブだけでなく、ちゃんとタスクのようなふんわり眼鏡男子にも需要がある証拠だ。


「じゃあ、きっとみんな頑張れるね!」


 雛姫がそう2人に言うとすみれも盛り上がった。


「GW中は自習室が混むから、家で勉強会しない?」


「ホント? 誰かの家で勉強会なんて少女マンガみたい!」


 雛姫の瞳がきらきらした星空を宿す。この瞳を見るとなぎさは何も言えない。


「誰の家でやろうか。じゃんけんで決めない?」


 何故にじゃんけん。タスクが見つかったらまずいではないか。


「別に私のウチでいいんですよ」


「それじゃつまらん。単に順番決めだよ。全員の家でやろう」


「……ええっと、ウチは……」


「なぎさの家が今、1番空いているんじゃないの? お父さんもお兄さんもいないんじゃなかったっけ」


 タスクが下宿を始めたことは伏せたままなのでそういうことになっている。まあ、その日はタスクに外に出て貰えばいいかと思い、じゃんけんすると案の定、一番バッターがなぎさに決まった。不安要素はあるが、事前に言っておけばなんとかなると思いたい。


「うむ、なぎささんがスペシャルコーヒーを入れて進ぜよう」


「すっごい楽しみ~」


「なぎさのコーヒー、プロ顔負けなんだよ」


 友人2人の笑顔を見るとなぎさも勉強会が楽しみに思えてきた。勉強会は今度の週末にまる1日頑張ることにして、3人はそれぞれの授業に散っていく。


 考えてみると友だちと勉強会なんて中学のとき以来だ、となぎさも心から楽しみに思えてきたのだった。




 帰宅して簡単に夕食をつくって母とタスクの帰りを待ち、先にタスクが帰ってきたので、タスクの土曜日の予定を聞く。


「土曜日の夜の予定? 先輩達に誘われているんだ」


「仲良いねえ」


 どうやらタスクの存在が2人にばれる心配はなさそうだ。


「すみれちゃんと雛姫ちゃんとの仲もいいじゃない?」


「持つべきは友だね」


 うんうん、となぎさは頷く。


 母も帰ってきて夕食を3人で済ませ、なぎさは勉強に戻る。勉強は1年生の範囲の復習が主だ。1年生のときにサボっていた分はかなり取り戻せたと思う。問題は雛姫とどれだけ戦えるか、だ。まだ遠いとは思うが、全力を尽くそう。


 しかしやってもやっても切りがない気がしている。それでも復習を2度3度と続けていれば覚えていなかったところも覚えていることがわかり、安心する。


 がんばるしかないぞ。


 そうなぎさは自分に言い聞かせた。




 つつがなく平日を終えて週末土曜日がやってきた。朝9時に駅待ち合わせですぐに家に戻り、勉強を始める予定だ。大変申し訳ないがすみれと雛姫のランチについてはパスタで簡単に済ませて貰う予定だ。なぎさでは大したものをつくることはできない。


 時間より随分前に駅に行くとすみれと雛姫はもう来ており、9時には家に戻っていた。


「なぎさの家、初めてだなあ」


「お友達の家、小学校低学年以来です」


 玄関を上がり、リビングまで来ると嬉しそうに雛姫は言う。


 そんな雛姫になぎさとすみれは哀れみの目を向けてしまう。


「なぜにそんなに友だちがいなかったのさ」


 すみれの問いに雛姫は答える。


「……い、いわゆる高校デビューですから。高校デビューになった理由もあるのですが」


 恥ずかしそうにいう雛姫の表情に嘘の色はない。タスクも大学4年間であんなに美形になったのだ。高校デビュー前の雛姫がどんなんでもあり得るだろう。


「お土産です。母が持たせてくれました」


 銀座のデパ地下で買うような高級クッキーの缶だった。


「お茶の時に食べようね」


 すみれがそういうと雛姫は嬉しそうに頷いた。


 勉強が出来るように座卓の上はきれいに片付けてあるし、小さな座卓をつけて延長したので3人で勉強するスペースは十分にある。


「クッションかわいいですねえ」


 雛姫がドッド絵風のネコ柄手編みのカバー付きクッションを見て言った。


「母の手編みなんですよ」


「なぎさのおかあさんって何してるの?」 


「消防署の事務職。たまに今日みたいに休日出勤もある」


「たいへんだなあ」


 すみれは何度も頷く。


 2人が座ったところでなぎさはミュージックシステムで音楽を流す。今日はBGMとしてポッドキャストのクラシック番組を流す。モーツァルトだ。


 まずは3人とも現国から始める。


「この前、ミカエル先生が言っていたのが、全てはまず現文からだと。まず問題を読み込むのに時間が掛かったり、誤読するようではまずだめだと。他の科目で設問の意図を読むことと現代文解釈には当たり前のようだけど共通点がある」


 すみれが2人に言う。3人の中では一番現代文の成績がいい。


「読み違いあるよね。後で気づいて時間ロスする」


「小技で随分違うと思いますよ。まずキーワードの特定とそれに沿って文脈をとるとか」


 雛姫のいう小技は重要だなあと感心する。


 3人は同じ問題を解き、時間制限付きでお互いの回答を見つつ、ああでもないこうでもないとガンガン進めていく。結局、現代文は数と慣れの部分が大きい。なぎさはイージーミスが目立ち、ここがネックだと分かる。


 がっつり50分やって小休憩。


 なぎさがコーヒーをドリップしてすみれと雛姫に披露。


「なぎさのコーヒーだ~」


「いい香り~」


 すみれには1年生の時の文化祭で飲んで貰っている。雛姫には初めて飲んで貰う。


「お店のコーヒーみたいですね」


「文化祭の喫茶店のコーヒーじゃないって評判だったんだ」


「いやそれほどでも」


 なぎさが2人にお誉めのことばを貰って勉強再開である。


 現代文の早解きと回しての解答確認はプレッシャーだが面白いし、勉強になる。特に記述問題は個性が出ていいと思う。


「なぎささん、文才ありますよね」


「回答が五七調なのがあった」


「偶然だよ~」


「偶然で五七調なら、身についているのかもですね」


 雛姫に誉められて嬉しいなぎさだった。


 11時過ぎに午前中を終了し、ミュージックシステムで英語のリスニングを流す。軽く気分転換もしたいが、今日は勉強中心にしたい。


 パスタを茹でるお湯を沸かす間に、ベーコンをカリカリになるまでフライパンで炙り、オリーブオイルを投入。ニンニクの皮すら剥かず、ガーリッククラッシャーで砕いて皮は別にするというずぼらぶりを発揮し、オリーブオイルでゆっくりと風味を移す。


 パスタを投入したあとに小指大に切ったアスパラガスを鍋に入れて一緒に加熱してしまう。そして湯切り用のざるの中にえのきを入れておき、パスタがゆで上がるとざるへ。ざるの湯切りの間にしめじに火が通る。


 そしてフライパンでざっくり炒めて塩こしょうで完成だ。スープはいつもどおりインスタントだが。


「簡単だけど出来た」


「盛り付けくらいやるわさ」


 すみれがきれいに盛り付けている間になぎさがかいわれ大根を上に彩りのために緑を更にプラス。


「初夏っぽいパスタできました」


「なぎささんすごーい」


 雛姫は両手を挙げて感激のポーズだ。


 3人でパスタを食べながら、さすがに英語のリスニングは止めてサックスのインストゥルメンタルを聴きつつ、雑談する。


「なぎさんさんはコーヒーを入れられるし、パスタもこんなに手際よく作れてしまうし、すごいですね。私なんか、母に全部止められていて……」


「たいしたことないってば」


「あ~~ そういう家、あるよね」


 なぎさがやや哀れみの目のまなざしを雛姫に向ける。


「すみれさんもナンパの人たちから守ってくださって――お礼もいわずにごめんなさい。でも、あこがれちゃいますよ、そういう格好良さ」


「そんなのいいって。雛姫ちゃんこそ、めっちゃ美人だもん。頭もいいし、両方活かせる道を探してはどうなのかな。ジャーナリストとか」


「歴史系に強いジャーナリストとか需要ありますかね?」


「歴史番組にゲストに呼ばれちゃったり、そもそもキャスターやったりして」


 なぎさは雛姫のそんな未来が目に見えるように思う。高学歴の美女はそれだけで貴重なのだから。


「それは勉強も必要だし、歴史の勉強は苦にならないし、やってみたいですね」


「歴女系動画配信者。かなり真面目系で」


「できるならもう始めたいですね」


 そういう前向きな意欲がある雛姫は素敵な女の子だと思う。


「あたしなんか何にも考えていないもんな~」


 すみれはパスタをくるくるとフォークに巻き取る。


「それは私もだよ」


 なぎさも同調する。


「すみれさんは運動神経よくて美人で頭も良くて選べると思いますけど……」


「山登りとかしてみたいんだよね。それで生きていくのは大変だけど自然環境に関わる仕事ができればなー。アメリカだとレンジャーとかあるけど、ここ日本じゃん」


「だからすみれちゃん、理系なんだ」


 すみれとなぎさは2年次から別クラスになっていた。


「それを考えると私って……」


「なぎさは普通にそつなくこなせているんだからなんでも出来そうな気がするけど」


「そうだねえ……」


 最近、一番に考えたのがタスクのお嫁さんだなんて話はとても2人にはできない。それに結婚したところで働いている母を見続けている専業主婦という考えはなぎさにはない。


「公務員か」


「なぎさのお母さんみたいにね。親の背中を見て育つと言うから」


 すみれは鋭い。


「そうはなりたくないな」


 雛姫がぽつりと呟く。彼女が闇を抱えている部分なのかな、となぎさは思う。




 午後は各々の苦手科目を中心に勉強した。なぎさは古文、雛姫は数学、すみれは英語だ。ライブ授業には出られないものの、なぎさは英語が得意科目だ。雛姫になんとか助言できて、すみれは数学を雛姫に、雛姫は古文をなぎさにと上手く回った。


 3時にお茶をし、雛姫のお土産のクッキーをなぎさのコーヒーと一緒に愉しんだ。


 6時くらいまで勉強し、なぎさの母が帰宅したタイミングで解散することにした。


 マンションのエントランスまで2人を見送り、すみれの家と雛姫の家でも今度やろうという話で盛り上がった。


 帰宅し、リビングに戻ると母が言った。


「勉強、頑張っているのはいいけど、学生らしいこともしてね」


「そうだねぇ。難しいねぇ」


 自分が今、何をしているのかなぎさには正直、分からなかった。


 友だちとの勉強会は確かに楽しかった。しかしその先にあるのがタスクのデート権を確保するなんて理由でいいのだろうかと常に思っている。それでもそれを止めることが出来ないのは、たとえ雛姫だろうと誰だろうと女の子がタスクと2人きりになって会話が弾むなんて事態が許せないからだ。


 自分がこんなに嫉妬深い人間だとは夢にも思わなかった。


 もしそれを阻止できる可能性があるのなら、その可能性を捨てる気にはなれない。


 それは正しいことだとなぎさ自身は、信じていた。

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