第9話 予行演習
雛姫からの初めてのメッセージは特別授業のサポートにミカエルと光一郎がつくというニュースだった。すみれはたいそう喜んでいたが、なぎさは2人にタスクとの関係を隠さなければならないので申し訳ない気持ちになった。
お風呂から上がってタオルを頭から被り、リビングに座って水分を拭き取る。ボブなので比較的乾かすのは楽だが、まだ少し寒い季節だ。早めにドライヤーを使おうと思う。
「なぎさちゃん、ちょっといいかな」
先に風呂を済ませたタスクが自室からリビングに戻ってきて話しかけてきた。
「タスクくんのお話だったらいつでもウェルカムだよ」
タオルを頭に乗せたまま、タスクを見上げる。
正直、同居するとなるといろいろ恥ずかしいことはある。こういう風呂上がりにしろ、洗濯物にしろ数えたら切りがない。しかしそれらは割り切るしかない。見られて問題のないかわいい下着ばかり身につけるわけにはいかないのだ。なのでこんな姿を見せても自分自身を許容しないとやっていられない。
「なぎさちゃんは優しいなあ」
「ううん。タスクくんだからだよ。で、何?」
「お願いがあるんだ」
「なんでもいって」
タスクはしゃがみ込んでなぎさと目線を合わせてから言った。
「特別授業の予行演習をしたいんだけど仮想のお相手になって欲しい」
「うん。もちろんいい――えええええ!?」
それって単純にデートってことだ。今回のプランで言えばオープンカフェでお茶した後にウィンドウショッピングをしてカラオケだ。
「そんなに驚かなくても――イヤ?」
「とんでもない。仮に今のタスクくんじゃなくたって嬉しいよ」
「昔の僕でもってこと?」
「うん」
「今のなぎさちゃんと待ち受けに使ってた画像を撮った時のなぎさちゃんが僕の中で重なったよ」
タスクは微かに笑う。優しげに、本当に嬉しそうに。
「なぎさちゃんにはかなわないな。でも、予行演習といってもプラン通りに予備校の最寄り駅でやったら生徒たちに目撃されてしまうから、ここの駅前がいいかな」
「うん。それに万が一のことを考えて変装した方がいいと思う」
「変装?」
「少なくとも制服はダメだ。私は大人っぽく、タスクくんは――そうだな。雰囲気変えてヤンキー風とか?」
「無理だね」
「私の好みでもない」
2人は顔を見合わせて笑う。
「せいぜい私服に着替えるくらいだね。分かった。明日は――水曜日か」
「僕、お休みの日だから」
「私の方は7時まで講義があるからその後だね。急いで7時半に駅について、オープンカフェで夕食兼の軽食、軽くウィンドウショッピング、そしてカラオケだ」
「改札口で待ってるね」
「うん」
タスクはなぎさが頷くのを確認すると自分の部屋に戻っていった。
なぎさは洗面所に行き、ドライヤーの風量を最大にして髪を乾かし始め、叫んだ。
「デートだああああ!!」
心のエネルギーは最大限まで高まっている。
もう明日が待ちきれない。今夜は眠れないかもしれない。いやいや、明日着る服を選ばなければならないからちょうどいい。
なぎさは髪を乾かし終えるとすぐに自分の部屋に戻ったのだった。
「なぎさ、死にそうだけど大丈夫?」
隣に座っているすみれに心配されるくらいだ。雛姫も心配げに声をかけに来た。
「なぎささん――寝てませんね?」
「――分かる?」
正確には寝ていないのではなく、寝られなかったのだが。睡眠がとれたのは昼休みだけだった。さすがに堪える。
「寝ないとやっぱりダメだよ」
「効率が悪くなるから無理しないでくださいね」
「ふぁいい」
なぎさはあくびをしてしまった。心の中では悶えていても外からは睡眠不足が一目瞭然らしい。
「日曜日、頼りにしているので心配です」
「そうだった。雛姫ちゃん、ありがとうね。まさかこんなお裾分けがついてくるなんて思いもしなかった」
すみれが雛姫にくっつき、ありがとうを連投し、雛姫が照れていた。
「いやいや偶然ですから」
確かに偶然だが、結果オーライとも言える。
オンライン授業が始まり、解散となったが、なぎさは半分くらいしか授業内容が頭に入らなかった。明日、すみれか雛姫に聞いておく必要がありそうだ。
デートか。
タスクがこんなに格好良くなっていなかったら、おそらくこんなにテンションは上がっていなかっただろう。そもそもタスクがウチに下宿を始めた段階でデートにガンガン行っていたはずだ。しかしイケメンになっていなかったら下宿することもなかっただろうし――仮の話は考えても仕方がない。
オンライン授業が終わると2人に小さく手を振って、ダッシュで駅まで向かい、各駅停車に乗って自宅の最寄り駅まで戻る。そして迷惑にならないよう複合商業ビルの上の方の閑散としたトイレで着替え、改札口前に戻る。
待ち合わせ時間の5分前になるが、タスクの姿は見えなかった。
端の方に女の子達の人垣ができていてなんだろうと思って見てみる。そういえば着替える前に改札を抜けたときからこの人垣はあった。
「うわ! タスクくん!」
高校生から大学生っぽい年齢層の女の子たちが作っていた人垣の中心はタスクだった。
「なぎさちゃん!」
困り顔をしていたタスクがなぎさを認めて大きく手を振ると人垣の女の子達がブー垂れ始める。
「わーホントに待ち合わせだった」
「信じられな~い」
「そりゃ彼女いないわけないよね~」
女の子たちは徐々に解散していき、ようやくなぎさはタスクのもとにたどり着いた。
「タスクくん、大丈夫だった?」
「うん。待ち合わせだって説明しても女の子達、それでもいいからお話ししましょうって離れてくれなくて」
「分かるわ~ 格好いい」
女の子達が逆ナンしたい気持ちはよく分かる。
細めのパンツにはきっちりと線を成すプリーツがあり、足下の革靴も磨き抜かれて輝いている。シャツはアイロンばっちりなのに首元が開けられ、セクシーだ。ゆるめのコットンジャケットにハーフコートを羽織っている。
「そうかな。スタイリストさんに用意して貰ったんだけどね。変身しそうだ」
「はは、確かにヒーロータイムみたい」
「へん、しん!」
タスクはポケットからスマホを取り出して何かの変身ポーズをとる。
「すごい様になってる」
「そう?」
タスクは笑顔になった。
「なぎさちゃんもすごくかわいいよ」
「ありがと」
やっと言ってもらえて、なぎさは溶ける。
春なので白と桜色でまとめてみて、アクセサリー類も控えめにした。白いスカートは長めのものを選んで、タスクの穏やかな雰囲気に合わせてみた。カーディガンは桜色で春っぽくした。かわいいと言ってもらえて本当に良かったと思う。
まずはオープンカフェからと言いたいところだが、この駅にはないので、普通のチェーンのカフェに入る。それでもタスクとなぎさには無縁の地であった。
前の客の注文をする様子を窺いながら、ネットで予習したとおりに注文する。
「モカマキアート注文できた」
そんなことでタスクは喜んでいた。
「行く予定のオープンカフェならそんなにメニューがあるわけじゃないから大丈夫だよ」
「知ってるの?」
「自習室に飽きたときにたまに使うから」
「カフェの先輩だ」
席に着き、2人して窓ガラス越しに帰宅する人たちを眺める。
「いろんな人が歩いているんだね」
「小学生も珍しくない」
午後8時近いが、塾帰りか何かなのだろう。
「なぎさちゃんが女子高生だもんなあ、僕も歳をとるわけだ」
「おじいちゃんか?」
「だって本当にそう思うんだ。新社会人だしね。夏休みもない。むしろかき入れ時のシーズン」
「私だって夏期講習三昧だと思うよ」
なぎさはカップに口をつける。モカマキアートのチョコとエスプレッソのハーモニーがいい。家では絶対に作らないコーヒーだ。
「なぎさちゃんはどうして勉強するの?」
「教育者っぽい質問だ」
「茶化すなぁ」
実はこれまでそんなに考えたことはなく、うーんと腕組みした後、なぎさは堪えた。
「雛姫さんと知り合ったときに、歴史って楽しいよねって力説されて、タスクくんの授業で、知らないことを知って、今を考えるのって必要だな、楽しいなって思ったんだ。それって多分、日本史だけのことじゃないと思う。知ることでしか分からないことがある。可能性を広げるため、かな」
「模範的な回答だ」
「どうせありきたりな理由ですよ」
「なぎさちゃんが本当に知りたいことが見つかりますように」
そしてタスクもカップに口をつけた。
「美味しいね!」
「私のコーヒーと比べてどう?」
「なぎさちゃんのコーヒーはプライスレスだよ」
「愛情がこもってますから」
無意識にそんな台詞を口にしてしまい、なぎさは赤面する。
タスクも当然のように動揺し、それを隠せなかった。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
なぎさはそう答えるので精いっぱいだった。
デート初心者の2人だ。こんな展開も普通のことだと思うことにする。
カフェの時間が終わると次はウィンドウショッピングだ。駅の商業施設のお店はそれほど数はないが30分ほど見るだけなら十分だ。
アパレルやアクセサリーショップを始め、本屋に地下の食品街、果ては眼鏡屋さんまで見た。いろいろな眼鏡が並んでいる棚を前になぎさはタスクを見上げる。
「タスクくんのその眼鏡ってスタイリストさんの指定なんでしょ?」
タスクの眼鏡は細身のチタンフレームでいかにも高価そうだ。
「スタイリストさんの希望はコンタクトだったんだけど、目の中に入れるのが怖いのと寝落ちすることがあるから入ったままだと良くないかなと。寝てもいいのもあるけどね」
「その眼鏡、似合ってる」
「昔使っていたセル縁の方が、自分っぽいなとは思うんだけど」
「タスクくんらしさは別にタスクくんだけが決めるものじゃないよ。周りの人もそのらしさを感じるんだよ」
「そうだねえ」
といいつつタスクは棚にあるセル縁眼鏡に掛け替えてみる。
「うーん、タスクくんらしい」
なぎさが知っていたタスクの姿だ。野暮ったいが、それがタスクくんであった。
「ほら」
タスクは微笑んだ。
タスクが微笑むと眼鏡を見ていた客だけでなく、店を通りかかった通行人すら足を止めて見入ってしまっていた。それほどの威力があった。セル縁眼鏡だし、微笑みはタスク本人の力だ。スタイリストさんの設定の力ではない。
ふんむとなぎさは鼻息を荒くしてしまう。
どうだ、私の初恋のタスクくんは凄いんだぞ、と言いたくて仕方がない。もちろん言えないが。
そして最後に駅前のカラオケ店に行く。既にタスクがネットで予約してあったのでカウンターではスムーズに手続きすることができたが、高校生は22時までですよと念を押された。2人なので狭めの部屋に入室し、タスクはリモコンを見つめる。
「問題はこれだ」
「教えてあげる」
なぎさは選曲の仕方とドリンクや軽食の注文の仕方をタスクにレクチャーした。
カラオケ店の経験がなかったタスクにとってはいい予習になったことだろう。
カフェでは何も食べなかったので、ここで軽食をとりつつ、カラオケを始める。
タスクが選ぶ曲は無難な曲が多かったがそれでいいと思う。
22時前にお店を出て、2人は家路をたどる。
歩いて13分。
おしゃべりをしていればあっという間についてしまう。
「カラオケ、楽しいね」
「タスクくん、歌うの割と大丈夫そうじゃん」
「なぎさちゃんは上手だった」
「得意な歌を用意しておくんだよ。そうしないと困るから」
「そういうものなのか」
タスクはなぎさのアドバイスを真面目に受け取り、歩きながら顎に手を当て考え始める。そんな仕草も絵になる。
「雛姫さんもこれで安心だよ、きっと。リードしてあげてね」
「うん。ありがとう」
「私の人生初デートがタスクくんの特別授業の予行演習っていうのがちょっと残念だけどね」
それは偽ることないなぎさの本音だ。
「今日が僕の人生初デートでもあるんだよ。だから、渚ちゃんにお願いしたかったんだ」
――そんなの、聞いてないよ。
なぎさの背中に電流が走った。そしてタスクは立ち止まり、なぎさは振り返る。
タスクは半ば固まりつつ、手を伸ばしていた。
「手、つなごうよ。これは予行演習じゃないから――」
「うん!」
なぎさは思い切って手を伸ばし、タスクはその手を取る。
そして2人で歩き出す。
つないだタスクの手は大きくて、温かかった。
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