第8話 特別授業の計画を練る
鬱だった。
タスクの授業は水曜日と日曜日を除いた週5日ある。平日授業と日曜授業は内容が同じで、クラスは2つに分かれている。4回に分割して1日ずつ受けるか日曜に一気4コマ受けるかの差でしかなく、個人特別授業は両クラスを通じて1人のみである。
タブレットに配信された今月の成績データを確認すると、その特典を獲得したのはなぎさの予想通り、雛姫だった。
個人特別授業は日曜日の半日が割り当てられており、次の日曜日がその日に当たっていた。
なぎさの成績は入校したときからそう変わらず、下手するとライブ授業が受けられなくなる位置にいた。根本的にどうにかしなければならないのだが、方法は思い浮かばない。
アルフヘイムの自動販売機コーナーですみれと2人、カップのアイスカフェオレを飲みながら、またなぎさはため息をつく。
「うう……山峯先生の初
「なぎさ、本当に山峯先生推しだね」
「すみれちゃんこそ光一郎先生の
「お互いそうでしょ……ライブ授業に滑り込めたことですら奇跡的なのにあの化け物どもに揉まれて1位を取るなんてできるのかな」
「いや、わかる」
生まれてこの方、こんなに勉強したことがないというレベルなのにまだ上がいる。基礎力が異なっているのだろうかと思う。
自動販売機コーナーの入り口に人影が見えて、なぎさは目を向けた。
「雛姫さん――?」
「なぎささん――」
雛姫はおどおどしながら2人の様子をうかがっていた。
「なぎさの友達? 秀湾女子の制服じゃん?」
「と、友達……」
雛姫はすみれのその言葉に反応して繰り返す。
「友達っていうか、この前、話をするようになったって言うか」
自習室でも何度かあって、言葉を交わしたことはあるが、何か言いたげな顔をしているのは公園以来だ。なぎさは手招きする。タスクの初デートの相手だが彼女に罪は一切ない。
「雛姫さん、こっちこっち」
「……う、うん」
雛姫もカップのコーヒーを買って、3人は廊下に置かれたベンチに雛姫を真ん中にして腰掛ける。
「今度の日曜日、山峯先生との特別授業だね」
なぎさはいきなり案件に突撃する。雛姫がタスクが大学生の時に書いた論文の話をしたいことは知っているが、そのほかの予定を聞きたかった。
「そう。その話なんだけど……」
言いづらそうに雛姫は俯いた。
「どうかしたの?」
「よくよく考えてみると男の人と2人きりなんて経験がなくって……」
「「私もない」」
すみれとなぎさが声を合わせて応える。
「なぎささんについてきて欲しいんだけど、どうかなって……他に頼めるような人いないし。規定上は講師貸し切りということだけで、何人でもいいことになっているから」
「そうだったんだ」
すみれとなぎさはまた声を合わせて応える。
「いいじゃん、なぎさ。行ってきなよ」
「すみれちゃんも来てくれると嬉しい」
「え、だってあたし、日本史専攻だけどオンライン受講だよ」
「それは大丈夫――アルフヘイムの生徒なら」
えへへ、と雛姫は愛想笑いをする。超絶美人なのに自信なさげのがギャップ大だ。
「あ、ごめんね。あたし、なぎさの友達の東堂すみれ。あなたは?」
「春日雛姫……コミュ障ってよく言われる」
「なんで? すっごい美人なのに」
そういうすみれも美人だが、雛姫と比べると若干見劣りする。
「顔とコミュ弱は関係ないみたい……」
「雛姫さん、友達いないんだって」
「秀湾の生徒は訳分からんな。大丈夫。すみれさんに任せなさい。少なくともアルフヘイムの中ではあたしが友達になるぞ」
「すみれちゃん。コミュ強にもほどがあるよ。雛姫さん、退いてない?」
雛姫の目は往年の少女マンガの如くキラキラと輝いていた。
「本当に友だちになってくれるの?」
「いや待て。すみれちゃんが雛姫さんと友だちになるっていうなら私の方が先に雛姫さんと友だちになってからすみれちゃんが友だちだ」
「友だちになる順番でマウントとるなよ。訳分からん」
「なぎささん……すみれさん……」
雛姫はほろりと涙を零した。本当に秀湾女子はどんな学校なのかと思う。偏差値が高ければいいってものではないとなぎさは怒りすら覚える。
「じゃあ、お願い」
なぎさは二次元コードをスマホの画面に表示する。
「あ、あたしも」
すみれもスマホを取り出す。
「家族と以外の個人の連絡先、初めて……」
「どんだけ……」
美人には美人の苦労があるのだろう。同情する。
「こんなにトントン拍子にお友達ができるなんて小学生以来だよ」
「友だちって言ってもつるむだけだよ」
すみれは呆れたように言い、続ける。
「それで日曜はどうするの? あたしたちがついていくのはいいけど」
「天気もよさげだからオープンカフェでお茶してお話しできれば十分かなって」
「私達は付き添いだから雛姫さんの希望に添うよ」
「山峯先生、イケメンだし。お裾分けだと思おうかな」
「場所は?」
「先生が幾つか候補をくれることになってるんだ」
講師との連絡はアルフヘイムの専用アプリを通してのみ行える。全て事業部側の監視付きということだ。
「よし。決まったらあたしらにも連絡ちょうだいね。時間空けておくから」
すみれは雛姫の肩をトントンと叩いた。
「ホントだよ?」
なぎさも雛姫の肩を叩き、雛姫は顔を上げて元気そうな笑顔を見せる。
「よし、がんばる」
いい子だなあとなぎさは思う。これでタスクに対して本気を出されたら詰んでしまいそうだ。悩み事は増えるばかりだった。
なぎさが帰宅すると間もなくタスクも帰ってきた。
リビングのカウンターに腰掛け、タスクはスマホを見て思い悩んでいた。
「どうしたの?」
「今度の特別授業で、オーダーがオープンカフェで、いいところがないか探している」
「雛姫さんのオーダーだね。私と友だちもついていくことになったからよろしくお願いしますよ」
「え、彼女と知り合いだったの?」
タスクは意外そうな顔をしてなぎさを見た。
「偶然、ね」
「すごいなあ、なぎさちゃんは。僕なら考えられない」
「そんなことより、どこにするか決めないと」
「どこがいいかなあって――先輩に相談してるから、その情報も送らないと」
ミカエルか光一郎かもしくはその両方だろう。
母は遅くなるとのことで、珍しくなぎさが夕食の支度を始める。
そんなに難しいものは作れないので味付きの挽肉を買ってきて、火の通りやすいキノコ類と炒めて塩こしょうで味を調える。スープはインスタント。サラダはキュウリとレタスにハムを添えて市販のドレッシングでおしまいだ。
なぎさとタスクは座卓で両手を合わせて夕食が始まる。
「叔父さん、いつまで帰ってこないの?」
「しばらく東海地方にいるらしいから」
なぎさの父は建設系の資機材を調達する仕事で、落ち着くまでは単身赴任みたいなことになっている。
「美味しくできたね。味付挽肉便利だ」
バーベキュー味だが、キノコにも合っていた。キノコもバーベキューに使うからそれはそうかと思う。バーベキューに使う具材なら何でも合いそうだ。
「手を抜いても自炊した方がずっと安上がりだし、そこそこ美味しいし、カロリー計算もできるよ」
「なぎさちゃん。しっかりしてる」
タスクに誉められ、嬉しい。
スマホが着信を知らせ、自分のかと思ったらタスクのスマホだった。
「ミカエル先輩が音声通話したいって」
「食べ終わったらです」
「無論です」
夕食を終えて合掌し、タスクが洗い物を始める。作ったのはなぎさだからという理由だ。せめて洗い物くらいはするとのことだ。洗い物を終えてエプロンで手を拭いたあと、タスクはスピーカーモードでミカエルに音声通話を始める。
『私達も新人の研修ということで同行するってところまでは説明したっけ』
「先輩、肝心な、どこに行くのかを聞いていないんですが」
『駅前のオープンカフェでいいかなと思う。その後、軽くウィンドウショッピングして、最後にカラオケでどうだろう』
駅前のオープンカフェというのは雛姫と話すようになったきっかけの公園のケータリングカーのことだろう。しかしその内容では完全にデートではないかとなぎさは戦慄した。
「初心者的には想像しやすいメリットがありますが……」
タスクはなぎさの顔色を窺う。なぎさは表情を凍り付かせてしまっていたが、無理矢理笑顔を作る。分かってしまうだろうが。
『特別個人授業はいかに女子生徒のオーダーを受けつつ、リードし、喜ばせるかだよ。そうすれば生徒のモチベーションアップにつながる』
これではホストクラブの前入りのやり口だ。倫理的にどうかとなぎさは思う。雛姫さんなら動機が異なるから大丈夫だろうとは思うが、他の生徒は大丈夫だろうか。
『このプランでOKどうかは対象生徒に確認するんだよ。対象生徒の希望が第一だからね』
「わかりました」
『なぎさちゃんはどう思う? このプラン。プランとも言えないくらいだけど』
「雛姫さん的にはぶっ飛んでいたら困ったと思うのでこれくらいならいいんじゃないかと思います」
『生でなぎさちゃんに会えるの、楽しみにしてるね』
ミカエルの弾んだ声が聞こえ、なぎさは正直、困り、タスクの顔を見た。タスクはむむむという難しい顔をしていた。
「光一郎先輩も来てくれるんですよね」
『あいつは後で飲みたいだけだけだよ』
「そうなんですか。でも、すみれちゃん、大喜びですよ、それ。光一郎先生推しですから」
しかし事前にすみれにこのビッグニュースを伝えられないのが苦しいところだ。
『あくまでも新人研修だから、私達はタスクをフォローする黒子だよ。サービスは期待しないでね』
「私とすみれちゃんは雛姫さんの随行者ってだけですから」
『はは、楽しみにしているね』
ミカエルの朗らかな笑い声になぎさは赤面した。
「じゃあ、先輩、よろしくお願いします!」
『お前、怒って――』
タスクはミカエルの話の途中だったのに、通話を終了した。
「先輩、冷やかしにもほどがある」
明らかにタスクは怒っていた。自分が何かしてしまったかな、となぎさは恐る恐る彼の顔をのぞき込む。タスクは怒りながらも専用アプリを通して、雛姫に特別授業のプランを投げかけていた。すぐに返事があり〔それでいいです〕とあった。もちろん2人の先輩講師が研修でつくことも伝えたようで、雛姫の方もなぎさとすみれが来ることを伝えたようだった。
「雛姫さん、美人だから……嬉しい?」
「嬉しい嬉しくないで言ったら嬉しいけどそれ以上ではないよ」
「じゃあ、
タスクは露骨に驚きの表情を浮かべた。
「なぎさちゃんの口から
「雛姫さんはタスクくんの論文を読んで、授業を選択したって言ってた」
この情報をタスクに与えるのは自分を不利にするだろうとは思う。しかし初めての
タスクの初デートに同行できることを素直に喜ぼう、となぎさは思う。全く蚊帳の外だったらタスクが帰宅するまで死ぬような思いを抱えて長い時間を過ごさなければならなくなっていただろうから。
案の定、タスクは単なる驚きの表情に微かに喜びの表情が加わり、なんとも言えない複雑な笑みを浮かべた。
「あんな美少女が僕のマニアックな論文を――」
マズい。これは相当マズい。
なぎさは心の中だけで、その先は聞きたくない~~と叫んだのだった。
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