第7話 ライバルと

 高校の新学期が始まり、予備校のシフトも平日対応に戻った4月の上旬、なぎさは駅前の公園に臨時で出ていたケータリングカーのオープンカフェで勉強をしていた。天気も良く、まだ日が落ちるまで少し時間が合ったので、穏やかな春の日を楽しもうというのがその理由だった。自習室にいてばかりでは息が詰まってしまう。 


 もう桜はとうに散って葉桜になっていたが、まだ淡いピンク色は鑑賞できる。コーヒーを飲みながら、テキストを開き、勉強をしているとなぎさは心が開かれていく気がする。


 自分と同じような女子高生がカップが載ったトレイを持って空いているラウンドテーブルを探しているのがなぎさの視界の端に入った。


「?」


「?」


 お互い同時に視線を動かし、目が合った。


 見覚えがある女子高生はタスクの授業の1番前の真ん中、つまり教壇の正面の席に着く、長くて艶やかな黒髪の切れ長のまなざしをした美人さんだった。とても大人っぽく、自分と同じ高校2年生には見えなかった。


「あ、あなた……」


「こんにちは」


 なぎさは声をかけた。何回か同じ授業を受けていれば、面識があるとは言えなくても見覚えがあるくらいの間柄にはなる。


「――同席しても、いい、かな?」


 テキストを広げてもラウンドテーブルには余裕がある。断る理由はない。


「もちろん」


 なぎさが快諾すると向かいの椅子に座る。


「に、日本史、一緒よね?」


 なぎさは頷いた。


「1番前の席の人だよね? 1度見たら忘れられない美人さん」


「私、春日雛姫かすが ひなき。秀湾女子高」


「青海なぎさ。西高生だよ」


「教室の中で1人、授業に取り組む目つきが違うから、気になっていたの」


 バレていたのか。なぎさは内心、苦笑いする。他の生徒より新人講師であるタスクに対する執着は桁違いにすごいだろうから、表情にも出ていたに違いない。


「いや、頑張るしかないんで」


「日本史、好きなの?」


「好きとか嫌いじゃなくて、今の学校に引っかかっただけだからついていくのがやっとで、だからちょっと本気ださないとまずいなって……」


 だいたい合っている。嘘はついていない。


「そうなんだ……」


 なぎさの答えを聞いて雛姫は寂しげな顔をした。


「あ、でも、授業を聞いていてかなり日本史が好きになった。暗記科目かなと思っていたけどそうじゃなくて、どうしてその出来事が取り上げられているかとか、自分で考えないとならないこといっぱいあるし、日本は世界とつながっていて、今につながっているんだなって実感できて」


 なぎさは慌てて言いつくろったつもりだったが、雛姫は食いついてきた。


「そうよだよね。日本史もそうだけど歴史全般、面白いよね?」


 表情が明らかに変わり、雛姫は朗らかな笑顔を見せた。


「――もしかして、歴女?」


「一発でバレたか……」


 美人だから歴女はダメだとか言うつもりは毛頭ないが、もっと要領よく生きていけそうなルックスと頭脳があるのにマニアックな世界に没頭するには早いと思う。いや、没頭していると決めつけるのは失礼だと思い直す。


「歴女だからって別に人付き合いが普通にできれば問題ないよ」


「…………」


 雛姫は黙ってしまった。


「もしかしてコミュ障?」


「――初めて話す人にここまで見透かされるのは初めて」


 ふふふとなぎさは思わず笑ってしまった。


「春日さん、こんなに超絶美人なのに穴だらけで面白い」


「私、誉められてる? のかな?」


「誉めてる。だって頭が良くてそんなに美人だったら何か欠点がないと嫉妬されちゃうだけでしょう」


「よく、仲間はずれにされる。予備校は、そんなの関係ないから、居心地いい。あ、こんなこと初めて話す人にいうから、私、ダメなんだよね」


 確かにそれはそうかもしれない。距離感バグっている。


「ラテ、冷めちゃうよ」


「うん」


 なにやら放っておけない女の子だった。


 今もまた何か話したそうにちらちらこちらを見ながらカップを手にした。


 なぎさは腕組みしてうーんと唸る。


「どうしたの?」


 ラテをすすりながら雛姫が絶賛お悩み中のなぎさを見た。


「私で良かったら話、聞くから」


「ええっ?」


 雛姫は信じられないという顔をした。それはそうだろうと思う。突然すぎる。


「その代わり、私が分からないところがあったら、っていうか分からないところだらけなんだけど、勉強教えて」


「どうして私が、あなただったら話を聞いてくれそうって思っていたって分かるの?」


 雛姫の滑舌が良くなった。


「分からないわけないでしょう。春日さん、顔に出てる」


「そう――」


 雛姫は俯く。


「まあでも、他人と話していればそのうち、空気感もつかめるようになるでしょ。頭がいいんだから、自然に分からなければ意識して学習すればいいんだし」


「変なこというかもだし、一方的に話すかもだよ」


「アルフヘイムで初めてできる知人だから、そのくらいは許容します」


「このくらいで知人なんて言ってくれるなんてびっくり。青海さん気っ風がいいね」


「そんなこと言われたことないけどね」


 タスクと一緒に暮らし始めて半月、彼の心遣いが移った気がしなくはない。


「授業が始まるまで30分はある」


「青海さんはどうして日本史専攻にしたの?」


「なぎさでいいよ」


「えーっと、じゃあ私も雛姫って呼んでくれると嬉しいな」


「日本史専攻にしたのはなんていうか気分。聞きたいのは山峯先生の授業をどうして選択したか、じゃないの?」


「すごい。どうして分かるの?」


「分かったわけじゃなくて、私がそれを聞きたかったから」


「イケメンだから?」


 超美人の雛姫にさらっと言われるとダメージが大きい。女の子に免疫がないタスクなんかハイパー級美人の雛姫にかかればビームライフルで撃ち抜かれるザクのように一撃でやられてしまう気がする。


「――また私、変なこと言った?」


「い、いや。そうじゃないけど。確かに山峯先生、新人っぽくってかわいくていいよね」


「いや、なぎささんがそう思っているのかと考えて言ったんだけど」


 日本語は難しい。確かにそうとも取れる。落ち着いて、会話を続ける。


「雛姫さんはどうして山峯先生の授業をとったの?」


「山峯さんって珍しい苗字だよね。実は前に名前に見覚えがあって――」


「そうなの?」


 なぎさにとっておそらく初見の情報だ。


「大学の論文掲載サイトで読んだの。タイトルは『黒塚古墳から出てきた黄幢こうどうと思しきU字型鉄製品の検証』だったかな。そんな論文」


「何が何やらさっぱり」


「日本にない資料を中国の研究者を通して取り寄せて、軍旗を調べたの ――まあ、そう言っても普通の人は分からないよね。普通は古代史マニアもやらないような研究を大学生がやったの。すごいよね。インターネットがある今なら確かにできる。でも誰もやらなかった。結論は出なかったけれど、それでも手を着けて論文って形にしたんだからすごい。それで苗字を見てもしかしたらと思ったら名前も一致して、ああ、この人の情熱のお裾分けが欲しいなと思って」


 雛姫の瞳は好きなことを話すときに誰もが抱いている光を放っていた。


「そう、なんだ……」


 なぎさが知らないタスクの姿を間接的だが、雛姫は知っている。


 その事実に嫉妬する。


「偶然、その人の授業を直に受けられるなんてモチベーション上がりそうだね」


「そうなの。全方向にモチベーションがあがって。自分でもすごいなって思う」


 それは好きな人ができたときの女の子特有の熱量に違いなかった。


 おそらく雛姫には恋心の自覚はない。そもそも恋ではないかもしれない。しかし人間全体のベクトルがタスクに向かっている。そしていつそれが恋として目覚めるのか分からない時限爆弾のようなものに思われてならない。


「それはとても分かる」


 自分はどこの誰とも知らない女にタスクとデートをさせないために頑張ったのだ。力は及ばなかったが、次は頑張る。とりあえず格好いいからという理由でタスクの日本史の授業を選んだのではないことは分かった。それはタスクの人間性を見ていることでもある。


 なんだ。シチュエーションは全然違うけど、自分と同じだ。


 そう気がつくと雛姫が極めて危険なライバルなのだと分かった。


「だから今度の特典の個人授業は、勉強じゃなくて、論文を書いたときのお話を聞こうと思うんだ。そうすれば自分も研究者を目指す身としてモチベーションを更に高められると思う」


「雛姫さん、すごいね。もう好きなことを目指しているんだ」


 勉強で負け、ルックスで及ばなくて、人間性でも負けた、となぎさは思う。デートでないのはありがたいが、そのくらいの話、特典を使わなくてもなぎさの立場があれば聞くことが出来るだろう。しかし、タスクと自分の関係を、申し訳ないがそう簡単には彼女にはバラせない。すみれと違って知り合ったばかりの人間であればなおのことだ。


 雛姫は少し考えて、間を置いてから応えた。


「なぎささんだって人の話を聞くのも引き出すのも上手いもの。きっとぴったりな職業が見つかるよ」


 ウルトラ美形の雛姫が笑うとその瞳は外道照身霊波光線並みに輝く。


 眩しい。好きなことを話して生き生きとしている女の子はこんなにも眩しい。


「だと、いい。でも、今は勉強が先だ」


「勉強は可能性を広げることだもんね」


「その通りだね。雛姫さんと話をしていると発見がいっぱいあるや」


「発見?」


「自分が考えてもみなかったことが、実は自分の中に眠っているんだってこと」


 そう。未来を考えることは必要だ。その未来はきっと自分の中にもうあるに違いない。


「なぎささん。楽しかった。是非、またお話ししてくれると――うれしいんだ、けど?」


「こっちこそお願いするよ」


 2人ともコーヒーカップは空になっている。


 いつの間にか日が沈みかかっており、タスクの日本史の授業の時間が迫っていた。


「一緒に行こうよ」


「はい。なぎささん」


 2人の女子高生はカップとトレイをケータリングカーに戻し、穏やかな、しかし夕方になって少し冷たくなった春風が吹く中、妖精の国アルフヘイムへと小走りで駆けていったのだった。

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