第3話 お家でランチデートです

「なぎさちゃん、待たせたね」


 駅の改札口で先に予備校を出て待っていたなぎさは、なんだかカップルっぽいやりとりににやけてしまった。


「ううん、待ってなんかないよ」


 いかにも待っていた彼女風の応対ができることに無情の喜びを覚える。


「じゃあ行こうか。後ろから着いてきてね」


「うん」


 予備校の最寄り駅ではあまり近づかない方がいいに違いない。まだ講師ではないが、そのうち、誓約書の禁止事項に該当することになる。それに新人講師になるタスクに悪い噂が流れることは避けたい。


 同じ車両に乗るが、ドアの左右に分かれて、特に話はしない。


 となり駅で多くの乗客が降りたところで、なぎさは連絡を入れる。


〔お昼、まだでしょ?〕


 もう14時になろうとしているが、9時から4時間の短時間のアルバイトのため、タスクには昼休みがない。


〔食べて帰ってもいいけど、帰ったら僕が何か作るよ〕


〔本当?〕


「軽くパスタだけどね」


 扉をはさんでタスクは口に出してしまい、ばつの悪そうな顔をしてなぎさを見た。


「もういいでしょ?」


 なぎさは2歩でタスクの側に寄った。


「そうだね。用心しすぎだね」


「4月からはダメなの、誓約書を見てよく分かった。だけど今日は予行練習だから」


「先輩方みたいに人気が出るといいんだけど」


「その点については複雑だけど、人気が出るといいね」


「どうして複雑なの?」


 タスクは本気で分からないというような顔をする。


「だって知っているタスクくんがまた遠くなっちゃう」


「それを言うならなぎさちゃんだって僕が知っていたなぎさちゃんじゃなくなっちゃって遠くなったなあと思っていたのに」


 タスクは少し悲しげな顔をする。昨晩、子供のときのようになぎさがタスクに突進しなかったことを言っているに違いなかった。


「それは……私だって、少しは大人になるんだから」


「うーん。考えてみればあの頃のなぎさちゃんをギュウしても犯罪だけど、今も別の意味で犯罪だ」


「え? そうかな?」


「だって、育った」


 タスクの目がなぎさの胸に向いた気がして、なぎさは顔が熱くなり、両手で胸を隠す。


「確かに、無駄に育ちましたが……」


「ごめん。そういう意味ではなかったんだけど」


「そうでしたか……意識しすぎでしたか」


 電車は最寄り駅に到着し、2人は揃って降りる。


「ちょっと贅沢しようかな」


 スーパーに立ち寄り、タスクはサーモンの切り身とハーブ、しめじを買う。


 そしてマンションに帰り、タスクはキッチンに立ち、手早く調理を始める。スーツのまま始めたものだから、なぎさはタスクにエプロンを手渡す。


「汚れちゃうよ」


「ありがとう。エプロンは持ってきているから、あとで荷物の中から発掘するよ」


 タスクはサーモンの切り身をキッチンペーパーで余分な水分をとり、アルミホイルの上に置き、ハーブとしめじ、こしょうしてバターも入れて包む。そしてトースターに入れてじっくり焼き始める。それから鍋を火にかけ、塩を入れて沸騰するのを待つ。


 その間に2人は荷物を片付け、戻ってくるといい感じに沸騰し始めていた。


 パスタを投入し、ゆで上がる前にニンニクを刻み、オリーブオイルを入れたフライパンを弱火でじっくりと低温のままニンニクの風味をオリーブオイルに移す。


 その間になぎさはコーヒーを2杯いれる。


 ゆで上がったパスタをすぐにフライパンに移し、オリーブオイルを絡めるように炒め、塩こしょうのあと、皿に載せ、トースターからホイルを取り出してパスタの上に乗せる。冷蔵庫のプチトマトを添えて完成だ。


「サーモンとしめじのパスタのできあがりです」


 こたつの上に2皿と2杯をセッティングし、遅めのランチになる。


 サーモンを少し崩してからパスタを一口食べ、それだけでなぎさは思わずうなる。


「美味しい!」


「貧乏1人暮らしが長かったからね」


 タスクは苦笑する。


「そういえば僕が料理を始めたのはなぎさちゃんがウチに預けられたときだったね」


 なぎさの母が大病を患い、長期入院したのは小4の夏休みだった。預け先のタスクの家も共働きで、高2のタスクに面倒を見て貰った。その頃のタスクは美形とはとても言えず、かわいいけど小太りの少年だった。


「最初に作ったのはそうめんだったなあ」


「覚えている。ダマができてた」


「いらんことを覚えてるな」


 タスクはまた苦笑する。なぎさは思い出を口にする。


「薬味の長ネギも切れてなかった」


「今なら自分で包丁も研げるからそれはない」


「カレーも作ってくれたね」


「ニンジン、まだ固くってさ。ジャガイモは小さく切っておいてよかった」


「覚えてる。1個1個取り出して、やわらかくなるまで電子レンジで加熱した~」


 面倒だったが、楽しい思い出だ。


「花火もやったね」


「線香花火の勝負、私の方が長かった。お祭りにも連れて行ってくれたね」


「お約束で足が痛いって言って背負って帰ったなあ。なぎさちゃんは本当によく覚えているね」


「忘れてたらそれは恩知らずってものだよ」


 なぎさは肩をすくめる。


「小学生の女の子の扱い方なんか分からなかったから申し訳なかったかな」


 なぎさは首を横に振った。


「絶対に忘れられない夏になったよ」


 そのタスクくんが何故かこんな美形になって同居を始めるなんて夢にも思わなかった。


「その甲斐あって僕も忘れられなかったわけだ」


「勉強の邪魔しちゃったから?」


「そうか。今のなぎさちゃんがあのときの僕の年齢なんだね」


 タスクは意外とでも言いたげな表情を浮かべる。


「ときが過ぎるのは早いよね」


「本当だ。僕もいよいよ社会人だからね。本当に突然、迷惑かけるよ」


「迷惑だなんて思ってないし、恩返しできると思えば」


「そう言ってもらえると気が楽になるよ」


「お風呂場のラッキースケベ展開には気をつけます」


 残念だが自分は、こんな美形になったタスクに見せられるような身体ではないとなぎさは思う。


「もちろん僕の方が気をつけるよ。あのときは一緒に入ったけどね」


「だって知らないお風呂、ものすごく怖かったんだもの」


「後にも先にも女の子と一緒にお風呂に入ったなんてあのときだけだ」


 信じがたいことだがタスクも今まで彼女がいなかったのだろう。というか小学校中学年とはいえ、全てを見られているどころかなんなら背中まで流して貰っていることを思いだし、なぎさは死にそうになる。胸を押さえながらどうにか生還し、会話を続ける。


「――でもどうしてこんなに突然にウチに来ることになったんですか?」


「うん。実は就職希望していた文化財の研究所に空きができるって話だったから待っていたんだけど、最近ダメになっちゃって、大学の先輩を頼って今の予備校が拾ってくれたんだ」 


 タスクは表情をやや曇らせた。


「でも、就職できて良かった」


「本当に。就職浪人するよりはいい。顔が良くて本当に良かった。いや、自覚はないんだけどね」


 タスクは苦笑する。


「でも、もう、今、スタイリッシュだよ?」


「全部、予備校所属のスタイリストの指示なんだ。そのための支度金も貰ったんだよ」


「苦労するね」


「うん」


「私が知っているタスクくんだと分かって嬉しい」


 素直に思いが言葉になり、なぎさはすっきりする。タスクと一緒にいて、感じていた違和感はもうない。それが嬉しい。美形の中に初恋の人がいる。頼りになって、優しくて、自分のことをかわいがってくれるタスクくんがいる。


「なぎさちゃんはずいぶん変わったんじゃないの? 彼氏とか絶対いるでしょう?」


「い、いないよ! 彼氏いない歴イコール年齢更新中だよ」


「はは、僕と同じだ」


 タスクは大きな声で笑い、すぐにそれは苦笑に変わる。


「――まあ、それもこの予備校で働いている間は更新継続決定なんだけどね……」


 そして大きくため息をつく。


「恋愛禁止とか? アイドルみたい」


「まあ、そういう図式スキームの商売だから。親会社は有名なアイドルがいっぱいいる芸能事務所でしょう? きっとそういうことだ」


「バラエティ番組に講師が出演することもあるもんね。もしかしたらタスクくんも……」


「ないよ。だって、格好よくて実績がある先輩が山のようにいるんだから」


「でも、今のタスクくん、本当に格好いいから」


「はあ……僕のことを好きだっていってくれたなぎさちゃんが小4じゃなくて今の高2だったらどれほど嬉しいことか」


 それはぬか喜びさせる気だったのかと問い詰めたくなるような、冗談でも冗談にならない破壊力を有していた。なぎさの心臓はどっきどきだ。かろうじてなぎさは応える。


「でも、恋愛禁止なんでしょう?」


「そうなんだよね……忘れて」


 タスクは俯いて大きなため息をつく。


「それにきっと大人気になって、無数の女の子に囲まれるようになるから、私なんか目に入らなくなるよ」


「そもそも僕なんかで人気が出るか怪しい。アルフヘイム、厳しいんだよ」


 それは体験入校だけでも感じられた。生き残りが厳しい予備校業界だ。予備校全体で切磋琢磨するだけでは足りず、常に職員1人1人が真摯に問題に向き合い、生徒の獲得と成績向上に努めなければならないに違いない。


 そしてタスクは思い出したように言った。


「ああ、そうだった。肝心なことを聞いていなかった。体験入校どうだった?」


「本当に肝心なことだった」


「授業どうだった?」


「英語のミカエル先生、すごかった。わかりやすいしポイントのまとめ方も凄い」


「あのすごさが分かるのはこの辺で1番偏差値が高い公立進学校に行っているだけのことはあるね」


「実はちょっと背伸びして入学したので勉強は苦しいのです」


「これからは大丈夫。少なくとも日本史は任せて」


「期待しています。英語だけでもアルフヘイムの実力はよくわかった」


「ミカエル先輩が聞いたら喜んでくれるな」


「もしかして……」


「うん。大学の先輩なんだ、そのつてで就職できたんだよ。あと光一郎さんって先輩もいて……」


「数学講師の? オンライン受講したよ」


「そう。あの2人には頭が上がらないな」


「もしかしてだから授業中に名前を呼ばれたのかな」


「え? そうなの? 確かに行くかも、とは連絡しておいたけど」


「納得」


 いくら入校するかもしれない生徒とはいえサービスが過ぎると思っていた。


「写真を送ったら、かわいいから頑張って欲しいって言っていた。個人授業するなら、かわいい子の方が役得だから。どうせ生徒とはお付き合いはできないんだから」


「個人授業?」


「あれ、知らない? 内外の該当試験でその科目で1位をとると個人授業を1日受けられるんだよ。実際は個人授業という名のデートを希望する子が多いんだけどね」


「デートぉ?!」


 なぎさは声が裏返ってしまった。


「HPにも外出可って書いてあるよ」


「じゃあ、タスクくんも授業を持ったら、その授業のクラスで1位をとった子はタスクくんとデートできるってこと???」


 タスクは頬を掻いた。


「そうなる」


 初恋の人の就職先は鬼のようなシステムが構築・実装されている予備校だった。


 なぎさは考える。


 もしかしたら、タスクとデートすることになる女の子の中に、彼の運命の人がいるかもしれない。そうなったら女の子に免疫がないタスクはたやすくなびいてしまうに違いない。それはイヤだ。絶対にイヤだ。


「そんなの聞いてない~~!!」


 なぎさは目の前で苦笑するしかないタスクの前で心から叫んだのだった。

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