第13話 1日中、デートです
翌朝、なぎさは快眠であったと思いつつ、何の憂いもなくベッドの上で半身を起こした。今までが勉強に根を詰めすぎだった。昨夜はしっかりストレッチをしてから眠ったからだろう、さほど身体も痛くない。タスクとデートだからと分かってコロッとモードが切り替わるなんて我ながら単純だ。
起床は6時前、いつも通りの時間である。
ベッドから起き出してリビングに行くとカウンターに眠そうなタスクのパジャマ姿があった。
「おはよう」
「どうしたの? あんまり眠れなかった? コーヒー入れようか?」
「今朝はコーヒーは控えよう。その代わり紅茶かな」
「なんで? ま、いいけど」
なぎさはタスクの分の紅茶も入れる。といってもティーバッグのフレーバーティーだが。それでもフレーバーに使われている柑橘類の香りがリビングに漂うと目が覚めていく感じがする。
「ありがとう」
「朝ご飯は?」
「それも控えよう。デートは朝ご飯を食べに行くところから始まる」
「だからコーヒーも飲まないんだね」
「正解。だから飲み終わったら出かける支度をしてね」
「超特急だね?!」
「急行くらいでいいかな。清澄白河に8時だから」
「それならやっぱり特急だよ。こっちは女の子なんだから」
タスクはカップを持ちながら笑った。
「そうだね」
紅茶を飲み干し、なぎさは準備に取りかかる。
実は夜のうちに決めてあった。白のロングスカートにグレーのスウェットパーカー。足下はスニーカー。シルバーの薄いブルゾンは暑くなったときに脱げる用だ。
鏡の前で髪型を整える。ボブは楽だが雛姫のように伸ばしてみたくも思う。しかしそれはそれで面倒だし、時間が掛かるだろうしで躊躇する。
今日は前分けにしておでこを出して、ワンポイントにヘアピンも使ってみる。
準備完了と思うと、タスクが順番を待っていた。前髪をふんわりさせた上で無造作に立ち上げるにはそのままではできないのだった。
もう着替え終えていて、デニムに大きめの青いコットンシャツ。袖はまくってある。首元は大きく開けて、グレーのTシャツがのぞいている。
「タスクくん、高校生みたい」
「そうかな」
「スーツを見慣れちゃったからかな」
今日は昔使っていた野暮ったいセル縁眼鏡なのが理由かもしれない。だいぶ雰囲気が違っているのでアルフヘイムで授業をとっている生徒も一見では気がつかないだろう。
「似合わない?」
「むしろこっちの方がタスクくんっぽい」
鏡越しにタスクが笑ったのが分かった。
2人が準備を終えて家を出たのは7時前で、駅で都営線1日券を買って、清澄白河に到着したのは8時前で、都心の下町を歩いて行くとタスクの目的地に着く。
白が基調で青をポイントに使ったデザインの大きなカフェで、ちょうど開店したところでお客さんが店内に入っており、もう8割の席が埋まっていた。
「朝ご飯はここでとろうと思ってさ」
幸い、奥だが窓際の2人用テーブルが空いていたので荷物を置いて席を確保したあと、注文カウンターに並ぶ。まだ5人ほど
天井が高く、解放感がある。店内も白が基調で、単にカフェというより何かのセットかモデルルームかと思うくらいだ。
「タスクくん、来たことあるの?」
「ないよ」
「どうしてこんなところを知っているの?」
「昨日、調べたんだよ」
「ここがタスクくんが来たかったところなの?」
「ここも、かな。まだ行きたいところはあるんだ」
「うん……」
ここはファッションに疎いなぎさでも知っている有名な世界チェーンのカフェだ。コーヒーが美味しいこともさることながら、この店舗でしか出していないスイーツで昼間は行列ができると雑誌で見たことがあった。
メニューを見ても高価だ。
「お給料貰っているんだから、気にしないで頼んでいい」
「それはタスクくんは社会人だけど」
「今の仕事、高給取りなんだ」
それは働いている時間が長いからだと思う。
それでもなぎさは遠慮していても仕方がないので面白そうなコーヒーとオシャレなスイーツを注文した。タスクはコーヒーだけだ。
「実は早起きしてもうトースト食べていてさ」
「というかもしかして寝てない?」
「ははは」
苦笑するタスクの表情にはなんともいえない自信のなさが浮かんで見えた。
席に着き、タスクは続けて言う。
「いろいろ考えたんだ。僕が行きたいところってどこかなあって」
なぎさとタスクは小さなテーブルを挟んで向かい合う。
美形になったタスクの顔が正面にあり、話している彼の目を見なければと思いつつも、照れてしまってどうにもまっすぐ見られない。なぎさはカップに目を移す。
「それで、ここ?」
「お、QRコードあるね」
テーブルに名刺大のカードが置かれており、このカフェのものと思しきQRコードが印刷されていた。タスクはカードをなぎさの方に指で滑らせて向ける。見てはどうかということらしい。
なぎさが自分のスマホでQRコードを読み取り、HPを見てみるとコーヒーのワークショップが実施されているページを見つけ、なぎさは吸い込まれるようにしてそのページを隅から隅まで読み込んだ。もちろんコーヒーを飲みながら。
「つまり、こういうところもあるよと私に教えたかったの?」
「なぎさちゃんが好きなものってコーヒーしか知らないから」
「あとタスクくんね」
返答はなく、まさか知らなかったのかと思い、なぎさは顔を上げてタスクを見る。タスクはびっくりしていた。
「面と向かって言われるとは思わなかった。照れる~」
「そうだったっけ?」
「ほら、職場、恋愛禁止だからって」
「そうだったそうだった。言ってなかったね。今でも好きなんだなあって分かるよ」
もうタスクが下宿を始めた日が遠い気がするなぎさだった。
「興味ある?」
「もうすごく」
「じゃあ、それだけでも今日、ここに来た価値があった」
「タスクくんの行きたいところに行くんじゃなかったの?」
「なぎさちゃんが行って楽しくなるところが僕の行きたいところ」
なんて嬉しい言葉をかけてくれるのだろう。
なぎさの胸は自然に高鳴っていく。
「――そんな甘い言葉を口にしないで。夢を見ちゃうから」
「昨日、なぎさちゃんも言っていたじゃないか。僕が一緒にいてくれるだけで十分だって。それは僕も同じなんだ。だったらなぎさちゃんが思ってもみなかったこと、もしかしたら興味を持つことを僕なりに考えてみたらこうなったってこと。だから行きたいところじゃなくて、ここはなぎさちゃんに見て貰いたいところなのかな」
「意外と教育的な意図があった」
「正しいモチベーションの方がいいに決まってる」
ふむ、となぎさは考える。
歴女の雛姫とタスクの会話の盛り上がり方はあれはいいモチベーションあってのものだろう。すみれにしたって光一郎先生推しだが、自分のように過剰に執着しているのではなく、正しく勉強のモチベーションにしている。
「反省します」
「そんな必要はないよ。人間はバランスだからね。少しずつ波が上下して、落ち着いていくものだよ」
「あー思い出しちゃった。今月も誰かと特別授業があるんだね」
「今はそれは忘れて.今は、今しかないんだから。そもそも僕とデートしている最中だろう?」
「それはそうだ」
「過去のことを嘆いても仕方ないからね。覚えていて。それに僕もいつまでも今の勤め先にいるつもりはないよ。就職浪人回避のためだから」
「そうなの?」
「言わなかったっけ? 文化財研究所に入れそうだったって話。まだ諦めていないんだ。来月から試験が各所で始まるから、今年は片っ端からエントリーする。今の職場は地方校でオンラインで授業やるとか日を入れ替えるとかもできるから都合がいいんだ」
「――そんなの聞いてないよ」
「ずっといると思ってた?」
なぎさは首を横に振った。
「そうだけど近くにいると思っていた」
「近くになるかもしれないし、遠くになるかもしれない。でも、好きなことで生きていきたいと思うなら、今、頑張るしかないから」
そういうタスクの顔にはあの輝きが浮かんでいる。好きなことを話しているときの雛姫と同じ輝きだ。
「止めたりはしないよ。むしろ応援する」
それはなぎさの本音だ。タスクくんの人生のブレーキにはなりたくない。
「なぎさちゃんの家から通えるところに就職できるといいんだけどね」
「是非、そうしてください」
なぎさはそう言って、残りのコーヒーに口をつけ、スイーツに手をつけた。
しかしコーヒーはともかく、スイーツは味が分からなかった。相当動揺しているんだな、となぎさは自己分析する。
「でもそう考えるとタスクくんをとられちゃうの、アルフヘイムにいる間だけなのか」
「その名前を出さないで」
「そうだね。どこで誰が聞いているか分からないものね」
都内だが、好みの講師を選んでオンライン受講している生徒は全国にいるのだ。タスクも全国にファンを獲得しつつあるところだ。
それでも期限があるならと思えばなぎさは耐えられる気がする。
いつまでタスクがいてくれるのか。
なぎさは漠然とした不安を改めて覚えた。
その後も、2人は1日中、都内のコーヒーショップ巡りをした。
下谷に新宿に青山、渋谷。と4軒を巡り、それぞれコンセプトが異なり、面白く、また、美味しく巡ることが出来た。青山から渋谷には、せっかく1日券を買ったのだからと都バスを使ったのも楽しかった。普段、地下鉄やJRで行く渋谷だが、都バスを使うだけで渋谷の街の大きさと青山との位置関係がわかって面白かった。
渋谷から新宿までまた都バスで出て、軽く観光気分を味わえた。
帰りの地下鉄の中、隣り合って座ってタスクと話す。
「今日はデート券、使いでがあったよ」
「そう言っていただければ幸いです」
タスクは優しく微笑む。
すぐ隣に彼の笑顔があることが幸せだ。初恋の人が隣で微笑んでくれることをついこの前までなぎさは想像もしていなかった。
独占できないとかできるとか考えるのを止めて前を向こう。
そう思いながらなぎさがもう一度彼の笑顔を見ようと隣を向くと、タスクは目を閉じて寝息を立てていた。今日の計画のために徹夜したのだ。今までよく保っていたと思う。
降りる地下鉄の駅は終点だ。乗り過ごす心配はない。
なぎさも一眠りしようとタスクの肩にもたれたのだった。
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