第15話 なぎさ、小6の春休み

「タスクくんがウチに泊まりに来るんだって?!」


 小学校を卒業して長いお休みに入っていたなぎさはそのビッグニュースに胸を躍らせた。タスクの家は北関東にあり、結構遠い。そのためそもそも年に1度くらいしか会う機会がない。このお正月はタスクが大学受験ということもあり、会いに行かなかった。初恋のタスクが来てくれるのは嬉しい。小4のときのように胸がときめくことはないだろうが、今でもそのときめきは思い出せるし、また、彼に優しくして貰った思い出が蘇り、自分も優しい気持ちになれる。


 なぎさは母のスマホをのぞき込む。タスクの父、叔父からの連絡だった。


 明日の10時くらいには到着予定で数泊したいとのことだった。


「やったあ。どこかに連れて行ってもらおう!」


「そうだね。あんたは世話になったからね。叔父さん家から帰るときなんて、エンエン泣いていたんだって?」


 なぎさの母はまだそのとき自宅療養中で、なぎさを迎えに来たのは父だけだったため、伝聞なのだった。


「泣いた。すっごい泣いた。あんなに泣いたのあのとき以来ないかも」


「それはいい夏休みでしたね」


「お母さんも無事生還できたいい夏でした」


「本当にね」


 職場復帰が危ぶまれるような大病だったが、今はもう職場復帰している。


「駅まで迎えに行く?」


「車だそう。なぎさが改札口で迎えてあげて」


「うん。きっと荷物多いだろうからね」


 今から楽しみで仕方がない。なぎさはまたタスクと遊べる日がくるのを心待ちにしていたからそれが現実になる。今から貯めていたお年玉を使う算段をしなければ。


 なぎさはまずは明日に思いを馳せた。




 翌日、電車の到着予定時刻ちょうどに自家用車は駅前のロータリーに着いた.ロータリー内の待機場所に車を停めて母が待機し、なぎさは駅まで走った。そして改札口までの階段を駆け上ると、正面に大きな荷物を手にしたタスクの姿を見つけた。


「タスクくん!」


 なぎさは一目で分かった。少し痩せているのはきっと受験勉強が大変だったからだ。野暮ったいセル縁眼鏡、いつ買ったか分からないようなブルゾンを羽織り、デニムのパンツと汚れたスニーカーを履いている、どこから見ても冴えないが、笑顔はかわいいタスクがそこにいた。


「うわ、なぎさちゃん。かわいくなって!」


 タスクは笑顔をなぎさに向けた。


「ありがと!」


 なぎさはタスクの側に駆け寄ると荷物を1つ奪おうとする。


「重いでしょ。1つ持つよ」


「今まで座って来たんだから大丈夫だよ」


 なぎさはそのまま荷物を手にし、荷物越しにタスクとつながって一緒に歩いて行く。


 一緒に歩けるのが、なぎさは嬉しい。


 階段を降りて荷物を車に積み、なぎさはタスクと一緒に後部座席に収まる。


「あら。もうタスクくんにベッタリなのね」


「時間が限られていますから」


 なぎさはシートベルトを締めるとタスクの肩にもたれかかった。


 マンションに着き、車から荷物を下ろして家に入る。


 タスクは家の中に誰もいないのに気づき、なぎさに聞く。


「求くんは?」


 タスクと同い年のなぎさの兄はタスクと普通に仲が良かった。


「卒業旅行に高校の友達と行ってるよ。しばらく帰ってこない」


「そうか、それは残念」


「私には好都合。タスクくんを独占できる」


 そしてなぎさはにやりと笑った。


「僕の相手してくれるんだ?」


「全面的に。映画行こう、遊園地行こう、それに、動物園も」


「盛りだくさんだね」


「全部本気にするとタスクくんが疲れちゃうわよ」


 なぎさの母が心配してくれる。


「いえ、なに。なぎさちゃんが遊んでくれるならそれが嬉しいです。だってもう最後になってしまうかもしれないから」


 タスクが神妙な顔でいい、なぎさは固まってしまった。


 なぎさはタスクにコーヒーを入れながら、カウンターの椅子に腰掛ける母とタスクの会話を聞いていた。


「そっか~関西の難関大学に受かったんだもんね」


「4年間はこっちに戻ってこないの確定ですし、里帰りはしますけどこちらには顔を出すこともないでしょうから」


「そうだよね。そのまま関西で就職とか十分あるよね」


「仮にこっちに戻ってきたとしてもそのとき、なぎさちゃんは高2でしょ。その頃にはもう彼氏なんかもできて従兄弟と遊ぶような歳じゃない」


「むう」


 タスクの言葉になぎさはへそを曲げつつ、コーヒーカップをタスクにサーブする。


「タスクくん、オススメはブラックです」


「なぎさちゃんが手でドリップしてくれたんだ?」


「この子、TVでバリスタのドキュメンタリーを見てからはまっちゃって」


 なぎさは母の暴露にも憤慨する。


「それは別にいいじゃない」


「理由はどんなのでもチャレンジすることは大切だよね。じゃあオススメ通り、ブラックでいただきます」


 タスクはコーヒーカップに手を合わせてから飲み始めた。


 丁寧な所作がなぎさには嬉しかった。


 タスクは一口すすってコーヒーカップをカウンターに置いた。


「どう? どう?」


「美味しいよ。お店で飲むコーヒーみたいだ」


「ほらやった~!」


「良かったねえ」


 なぎさの母は半分娘に呆れているらしい。


「でも、もしかしたらこっちで就職するかもでしょ? ここなら余裕で都心に通える範囲だよ」


「そうだね。どうなるか分からないからね。じゃあ、そのときまた来たら僕と遊んでくれる?」


「うーん。そのとき、彼氏がいなかったら」


「一度も彼氏ができたことない小学生が何を言っているんだか」


「もう来週には中学生です~」


 なぎさはタスクに背中から抱きつく。


「そうなんだよね。ああ、なぎさちゃんは大きくなって僕のことを好きだと言ってくれたなぎさちゃんからどんどん変わっていっちゃうんだなあ」


 そういうタスクの表情は後ろから抱きついているなぎさには見えない。


「でもまだ今、くっついてるよ~」


「それは嬉しい。別の意味でも嬉しい」


 もう結構胸が大きいと言われるなぎさに抱きつかれればきっと意識しているはずだと思われた。まあ、これくらいはサービスだ。


「じゃあ、映画行こう、行こう」


「仰せのままに」


「やったあ」


 なぎさはさらにぎゅうと力を込めてタスクに抱きついた。



 

 翌日は近所のショッピングモールにある映画館で感動ものの洋画を2人で見た。


 ポップコーンを片手に男の人と一緒に映画を見るなんて、少し大人になった気がした。


 映画館のエントランスで同級生の男の子たちと遭遇してからかわれたが、なぎさはタスクの腕を取って腕組みして、男の子達を黙らせた。


 映画の半券で貰えるメダルでメダルゲームをして、お買い物をして、その日、一日、2人は面白おかしく過ごした。


 翌日はまたなぎさのリクエストで動物園に行った。動物園といっても市営の動物園でそれほど大きくはないものだ。それでもペンギンはいるし、レッサーパンダもいるし、アルパカもいる。どれもかわいらしく、小学校低学年以来だったのでなぎさはそれだけで十分楽しめた。


 残りあと1日ということでどこに行こうか悩んだが、近くの博物館に行くことにした。その博物館では360度スクリーンのプラネタリウムが見られるので、人気だった。


 地上では決して見られない星空の中に浮かぶような体験は言葉にしがたい。


「ああ。楽しかった」


 プラネタリウムから出てきたタスクは言った。


「明日帰っちゃうんだ?」


 なぎさは名残惜しくて、分かっていても聞いてしまう。


「うん。引っ越しの準備もあるから」


「そうだね。寂しくなるね」


「寂しいよ」


「タスクくんは私の初恋の人だもん。どれだけ大きくなっても忘れないよ」


 なぎさはタスクを見上げて言う。


 タスクは軽く驚いた様な顔をして、なぎさの頭を撫でた。


「まだそう言ってくれるんだね。嬉しいよ」


 その手は優しい。いつまでも撫でて貰いたかった。


 別れの朝、マンションのエントランスでなぎさは母に自分のスマホを手渡し、言った。


「タスクくんと一緒の写真が欲しい」


 自撮りはしているが、自撮りはやはり自撮りだ。しっかりした構図で全身が入っている写真が欲しかった。


 なぎさの母はスマホを構え、タスクとなぎさを並んで立たせた。


「もっと寄って」


 ぴったりとくっつくまでなぎさは寄った。


「はい、OK」


 なぎさの母はそのまま数枚、写真を撮った。その写真をタスクにも転送し、タスクはスマホで確認すると言った。


「この写真、大切にするね」


 なぎさも確認すると2人ともいい笑顔で撮れているこれ以上はないツーショットになっていた。


 タスクは車に荷物を積み込み、そしてなぎさの母は車を発進させた。


「上京するときは寄ってね」


 後部座席になぎさは一緒に乗り、タスクに言う。


「寄るよ」


「忘れないから、タスクくんも忘れないでね」


「忘れないよ」


「ぜったい、今よりもっとかわいくなってるから」


「期待しているね」


 そして車は駅前のロータリーに着き、タスクは両手に大荷物を持って、改札への階段を上っていった。


 なぎさはそこで別れることにし、大きく手を振った。


 タスクも1度振り返り、大きく手を振って、改札前に至る辺りで見えなくなった。


「改札まで行くんだと思っていたわ」


 車を走らせると、なぎさの母が言った。


「だって、絶対、ガマンできないから」


 じわ、と涙が浮かんでくるのが分かる。


 悲しいからではない。寂しいからだ。似ているけど大きく違うと思う。


 寂しいのはきっと、一緒にいるのが当たり前のはずなんだと、もう心の底から思っているからだとなぎさは思う。


 なぎさは声を上げて泣いた。


 子供の感情で泣いた。


 もう、こんな風に泣くことは人生でないんだろな、と心の片隅で思っていた。




「懐かしいな。レッサーパンダだ」


 リビングでタスクはなぎさに声をかけた。


 なぎさはリビングに寝転がってタブレットで昔の画像を見ていた。


 それは動物園のレッサーパンダのコーナーの前で2人、自撮りした画像だ。小さく隅に、なんとかレッサーパンダが見切れずに写っている。


「こんな画像、撮ってたんだっけなあ」


 画面を推移させるとプラネタリウムの半券の画像もみつかった。


「また行こうよ。動物園もプラネタリウムも」


「うん。いいね」


 その機会は今のところ、まだいっぱいありそうだとなぎさは思う。


「別れたあと、エンエン泣いちゃったんだよね……」


「改札口まで来てくれなくて、本当は凄くショックだったんだよ」


「だって、絶対泣いちゃうって分かっていたから。あ、でも、あのとき一緒に出かけたのって、デートだったのかなあ」


「小6と高3だからなあ。親戚のお兄さんと遊びにいったってのが正しいよね」


「でも、今ならデートだ」


 なぎさはにんまりと笑った。


 一緒にいるのが当たり前――いつの日かそうなるといいな、と思った。

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