第24話 約束のデート

 タスクが歴史民俗博物館の内定を無事貰ったのは9月のことだった。


 結局、学芸員ではどこも受からなかったが、事務方であっても、歴史に関わる仕事ができることはタスクにとっては嬉しいことだったに違いない。悩みはあっただろう。しかし事前に歴史民俗博物館を見ることができたのは、彼の心の安定に大きく役立ったに違いなかった。


 それにどうやら面接で今の仕事について語ったことが良かったらしく、様々なイベントに活かせる人材と判断されたようだった。単体でもいけるし、広報活動に力を入れて欲しいとのことだった。アルフヘイムの1年は無駄にはならなかったのだ。それが嬉しいとタスクは言っていた。


 いつものように土曜日の講義に行く朝、なぎさはコーヒーを入れてあげる。


 こんな日常が来年の今頃も続いているであろうことをなぎさは喜ぶ。


「歴博の大学院にも行きたいけどそんなお金はないからね」


「今の仕事を続けて貯金して行けないこともなかったんじゃない?」


「うん。でも、そうだね。それも選択肢だったかもしれない。けれど就職しても勉強は続けられるし、歴博で学芸員の募集があったら応募もできるから。人事じゃなければね」


「是非そうしてください。人生は長いんだから」


 なぎさはカウンターで朝食を取り終えたタスクにカップを手渡した。


「うん。いろいろ考えることはある。だけど前に進まないとならないことも間違いない」


「ゆっくり考えられるのは、学生の今、か」


 なぎさはタスクの言葉を反芻する。


「なぎさちゃんも将来のこと、考えてね」


「ああ。それならやっぱりコーヒーかなって思う。けど、別にコーヒーを入れる職業っていうよりもその流通とか生産とか世界的な問題があることも勉強すればするほど分かったから、経済学でもいいかもしれないと思う」


「それは潰しが効いて何よりだ」


「まだまだそっち方面の勉強も必要だけど」


「興味を持っただけでももう、答えにたどり着いていると思うな」


「別の角度から見たらそうかもね」


 タスクの言うことは分かる気がする。


「まだ何十年って生きるんだから、その答えに執着することもないしね。ところでなぎさちゃん、明日のご予定は?」


「ないよ。勉強するつもり」


「じゃあちょっと時間ください。明日、今年のプラネタリウム上映会が最後の日で、席を予約したんだ」


「科学館のプラネタリウム?」


 そこは小学6年生のときにタスクと行って以来になる。設備の老朽化で何年間かプラネタリウムは休みになっていたからだ。


「うん。行く約束を君としてたのを思い出したんだ」


「是非、行こう。明日を逃したら来年になっちゃう」


「良かった」

 

 タスクは安堵した顔をしてコーヒーを飲み干した。


 そしてなぎさに玄関まで見送られて、出勤していった。


 母は疲れてまだ寝ている。社会人になると言うことはとても大変なことだ。


 学生のうちに楽しむことは楽しみたいと思うが、それ以上に未来も見たいと思う。


 スマホでプラネタリウムの席の予約確認をするとまだ若干残っているようだったので、雛姫に情報を入れる。悠紀と一緒に行ってデートらしいことをして欲しかった。もちろん、今回は予約しても席はバラバラになる。同行しても一緒にはならない。邪魔するつもりはないし、いい雰囲気になって欲しかった。


 母の代わりに洗濯機を回し、参考書を片手に暗記と復習をする。


 いい天気だ。今日は外に干せばすぐに乾くだろう。


 なぎさは日常の幸せを感じた。


 雛姫からはすぐに返事が来て、悠紀を誘うこともできたようだった。同じ上映回なので、科学館の入り口で待ち合わせることにした。


 悠紀は帰りの電車の中で雛姫とずっと話していたが、もう夢中なのは誰の目から見ても明らかだったから、2人のどちらかが暴走して下手を打たない限りは、きっと上手くいくに違いない。ダメ押しのつもりでプラネタリウムに2人を押し込もうとなぎさは思う。明日が楽しみに思えた。




 9月の日曜日はやはりまだ灼熱の真夏日だった。


 雛姫は愛らしいセーラーデザインのワンピースに涼しげなカーディガンで科学館前に現れ、その愛らしさに心洗われた。


 悠紀も少し遅れて、それでも待ち合わせの時間の前だったが、現れた。ポロシャツにデニムパンツの落ち着いた格好だったが、人柄がうかがい知れた。


 入館料を払って予約番号を伝え、整理券をもらう。


 プラネタリウム上映まで少し時間はあるが、ゆっくりしたくてタスクとなぎさはもうプラネタリウムに入ってしまう。中は冷房が効いていて寒いくらいだった。


 雛姫と悠紀は館内の展示を見て回ってから入るようだった。


 ここで別れるのがいいだろうとなぎさは思う。


 2人はいい雰囲気だ。熱々の恋人関係にはなれなくてもゆっくり、穏やかな、お互いを認め合えるカップルになれるような気がする。2人とも人間関係に臆病だからゆっくりにならざるを得ないのだろうけれど、それでこその雛姫のような気がする。雛姫の家庭環境を考えると悠紀くらい落ち着いた男の子がいいに違いなかった。


 すみれも光一郎先生と連絡くらいとれる間柄になっているようだし、このところ、いいことずくめだ。光一郎は特撮番組の撮影準備にもう入っているらしい。TVの仕事は大変だと思う。すみれは別に光一郎のことを恋愛対象としているわけではないので、距離を置きつつ、推し続けるとのことだった。逆にタスク情報ではそれを聞いた光一郎の方がガッカリしているということだったから、すみれの推し活が恋愛感情に変わるのかどうかが焦点になりそうだった。確かにサバサバ系女子のすみれである。恋愛感情を飛び越えて先にさらっと恋人関係になりそうな気もする。


 そうなると心配なのがミカエルとほのかの関係だが、進展はないらしい。お互いの立場が足かせになっているのだろう。それを考えると来年には転職するタスクと自分の方に問題がないことがありがたく思える。ほのかには幸せになって貰いたいなぎさだった。


 指定の席が見つかり、なぎさはタスクと一緒に席に着く。


 明るい360度スクリーンのプラネタリウムは小ホールの2階席という感じだ。


 暗くなるまで20分ほどもあるが、なぎさは目を閉じてしまう。


「始まったら起こしてね」


「うん。いいよ」


 タスクの優しい声が返ってくる。


 これが日常になりつつある今、タスクの存在が目の前から失われることなどなぎさには考えられなかった。


 席をリクライニングさせて横になると睡魔が襲ってくる。真面目に勉強習慣がついているが、6時間睡眠はやはり最低限の時間だ。こうやってこまめに休息を入れないと睡眠負債がたまってしまう。


 なぎさはすぐに眠りについた。


 上映開始のアナウンスが流れ、覚醒する。


 しかしタスクに起こして貰いたくて、なぎさは目を閉じ続ける。


「なぎさちゃん。暗くなってきたよ」


 そしてようやく目を開けるとスクリーンに空が映し出されていた。


 視界いっぱいに夕方の空が投影され、西の空は赤く、東の空はもう暗くなり、少し星が見え始めていた。


 アナウンスが始まり、観客を夜の星々の世界へと誘い、上映が始まる。


 雛姫と悠紀もきっとどこかにいて、同じ画面を見ているに違いなかった。


 プラネタリウムの中が真っ暗になると、一面に無数の星々が投影され、銀河がくっきりと浮かび上がってきたのが分かる。目が暗いところになれてきたのだ。


「本当ならこれくらい見えるんだね」


「都会じゃ光が多くてぜんぜん見えないからね」


「僕の田舎の方でもこんなに見えない」


「いつかこんな星空を見に行きたいね」


「うん。本当に行ってみたいね」


 タスクとは歴史絡みでないところに行くのがいいとこの前の歴博で思い知ったので、それがいいとなぎさは心から思った。


 9月だが、プログラムは夏のもののままなので、銀河のお話や織り姫と彦星の話などを紹介しつつ、最新の天文学の紹介が始まる。


 はくちょう座のブラックホールの話などを興味深く聞く。発見されて半世紀経つのに、質量が訂正されるなど、宇宙は分からないことばかりのようだった。


 そしてこと座の話も始まる。有名なオルフェウスの竪琴の話だ。冥界に下った妻を取り戻そうとするが、失敗して命を落とす話だ。


「古事記の伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみの黄泉平坂の話も元は同じ話で東西に分かれて変化していったって言われているよ」


「また歴史の話か……」


「しょうがないよ。僕だもの」


「諦めています。受け入れています」


 なぎさは小さくため息をつく。これもまた日常だ。


「じゃあ、分かったところで、これ、受け取ってくれるかな」


 タスクがなぎさの目の前に小さな輝きをかざした。それはプラネタリウムに投影される無数の星々の輝きを受けて、キラリと光っていた。


「――指輪?」


「うん。エンゲージリングとまではいかないけど、左手の薬指にはめて欲しい」


 なぎさの身体にぶわっと熱いものが生じ、全身に広がっていく。


 これは幸福の感覚だ。


「はい。喜んで」


 なぎさは左手を出し、プラネタリウムの満天の星空の下、タスクが薬指に指輪を通すに任せる。


 金属のはずなのに冷たくないのはタスクがずっと手にしていたからだろう。


 指輪はぴったりとはまり、なぎさはそれを星々にかざした。


「私、今日の日を忘れない」


 タスクは頷き、プラネタリウムのスクリーンに目を戻した。


 きっとこれからもいろいろなことがあるだろう。タスクの就職が決まったと言っても決まっただけだ。仕事で悩むことも、また研究したくて辞めて大学院に行ってしまうような波瀾万丈が待っているかもしれない。


 そんな好きなことに夢中なタスクを支えるためになぎさは自分なりに頑張ろうと思う。


 小学生のときに過ごしたあの夏以来、ずっとタスクが好きだ。


 この思いを抱いたまま、タスクと一緒に年老いて、幸せに生きたと思いたい。


 満天の星空を、指輪を眺めながらなぎさは思う。


 今、私は幸せだ、と。


 プラネタリウムの時は過ぎ、東の空が明るくなってきた。


 もう上映時間は終わりだ。


 館内の照明が点灯し、来場客が立ち始める。


 タスクはなぎさに手を伸ばし、なぎさはその手を掴む。


 そして2人は手をつないだまま一緒に立ち上がり、プラネタリウムを後にしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイドル芸能事務所がイケメン講師揃いの予備校を始めたら、何も起きないはずがない! Girl's Side 八幡ヒビキ @vainakaripapa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画