ストーリー:1 帰ってきた空色
夕暮れの公園。
4人の幼い子どもたちが、声を上げてはしゃいでいる。
「おーいっ。こっちこっち!」
「まて、まてー!」
「きゃっきゃっ」
夢中になって鬼ごっこ。
土と草を踏みしめて、伸びる影を置き去りにしそうな勢いで走っている。
「まてまてー」
そんな子どもたちの中に、一人。
令和の世には珍しい、濃紺の甚平を着た男の子が混じっていた。
「おーい、ご飯できたわよー!」
公園を出てすぐの坂の上から、子どもの母親が迎えに来た。
彼女の他にも二人ほど。それぞれ子どもの保護者だろう人たちが、坂の上から下りてくる。
「あ、おかあさんだ!」
「じいちゃーーーーん!!」
遊ぶ時間は、おしまい。
子どもたちはそれぞれの待ち人の元へ駆けていく。
「ばいばい!」
「ばいばーい!」
「またねー!」
また明日、ここで遊ぼう。
そんな約束を口にするまでもなく、子どもたちは挨拶をかわして。
けれど。
「ばいばーい!!」
公園に、一人。
ぽつんと残った甚平の男の子が手を振る姿にだけは。
「ねぇねぇ、きょうのばんごはんなに?」
「じいちゃん! きょう、みひろくんがね!」
ただの一人も、振り返りすらしないまま。
「おーなーかーすーいーたー!」
「はいはい。帰ったらすぐに食べようね」
まるで、そこには最初から誰もいなかったのだと言うように。
そも、遊んでいた時でさえ……子どもたちの目に、あの男の子は映って――。
「ばいばーい! またねーー!!」
それでも、甚平の男の子はみんなが見えなくなるその時まで、手を振り続けた。
誰も、返事をしてくれなくても。
誰も、振り返ってくれなくても。
「ばいばーい! ばいばーーい!!」
その子は最後まで笑って、手を振り続けた。
・
・
・
やがて、他の子どもたちの姿が見えなくなって。
「……ふぅ」
公園には、甚平の男の子だけが残された。
さっきまでの騒がしさがウソのような静けさ。
山奥の村にあるこの公園は、目の前の国道でさえ車の通りはほとんどない。
もうしばらくすれば最寄りの市と往復するバスの最終便が出て、それで終わりだ。
「………」
無言のまま、男の子は公園を出て、国道を渡る。
村最大の二車線道路を越えた先には、深く広い、谷山の風景が広がっていた。
「ん、しょっ、と!」
転落防止用の手すりによじ登り、男の子は下を向く。
そこにはうっそうと茂る木々とこの村唯一の学校の校舎、そしてその先、谷底を流れる清流が見えた。
耳をすませば、谷風の音に混じって涼しげな水の音も聞こえてくる。
顔を上げる。
夏の緑の山々が、空の茜に染められていた。
それを見つめる瞳の主は、その姿を変えていた。
「………」
手すりの上に立つ、二足歩行の
先ほどまで甚平を着た男の子に化けていたのは、この狸めいた雄の獣だった。
妖怪。
いつからか人々にそう呼ばれ、恐れられ、親しまれてきた存在。
そして今、令和の世において。
人々の心から、静かに、静かに……その実在を忘れ去られる最中にある存在。
「はぁ……」
この狢もまた、そんな妖怪たちの中の一人だった。
人の世に寄り添い。
時に交わり。
関わり。
そして今日もまた、相手にされなかった。
何年か前ならば、まだ。
一緒に遊んでくれる子どもがいた。
共に野山を駆け、清流を泳ぎ。
笑って、喧嘩して。
仲直りしてくれる
だけれどそれも、過去のこと。
今この狢が声をかけても、この村の、霊脈に連なるこの地に住む子どもたちでさえ、気づいてくれる日がたまにある程度。
「あぁ、あの頃が懐かしいなぁ」
昔を懐かしむ、切なげな言葉。
もう何度も口にしたその言葉は、今日もまた。
黄昏の空に、溶けていく――。
と。
「――おっ」
「!?」
その時。
誰かが声を上げた。
「お、お、お、お?」
見れば、そこに若い男が立っていた。
二十歳になったかならないかの、短髪茶髪に幼さと大人びた感じが合わさった顔。
シャツにジーパンというシンプルで動きやすさ重視の服装は、左右にひとつずつ持つ大きな大きなボストンバッグを携えやすくするための、彼なりの工夫だろうか。
ついでに左手でこれまた大きなキャリーバッグを引く姿は、まごうことなき細マッチョ。
見るからに旅人で、旅人にしては大荷物な若者。
男は小首を傾げながら、探るような目で狢を見ていた。
「ムジナだ」
「!?」
飛び出た言葉に、狢はびくりと震えて動きを止める。
見えている。
見えている、が――。
今のこの狸めいた獣の姿は、人に化けている時よりも人目に付きやすい。
だからきっと、野良の獣か何かだと思って見ているに違いない。
大間違いだった。
「――いよっ! ひさしぶり!」
「!?」
男の顔に、元気な笑顔の花が咲く。
腰を落とし、狢と目線を合わせてから、ずずいと覗き込んでくる。
狢を映す若者の瞳が、夕暮れを浴びて鮮やかに煌めいた。
それは、いつか見た真昼の晴れ渡った空のような、澄んだ色。
茜に染まることもなく、美しく、青々と輝くスカイブルーだった。
「……ナツ?」
自然と、その名が出た。
「どうした、ムジナ?」
自然と、返事があった。
「ナツ?」
信じられなくて、もう一度口にして。
「そうだよ。
「~~~~ッッ!!」
ハッキリと肯定された、その瞬間。
狢は勢いよく飛び上がり、若者――ナツに抱きついた。
「わぁ~~~~!! ナツだぁ~~~~~!!」
歓喜のままに飛びついて、わしゃわしゃと彼の体を這いまわり、肩に留まる。
「ナツ、大きくなった!?」
「もう19になったからな」
「本当にナツなの? 別の妖怪が化けたとかじゃない?」
「ないない。さっきのバスで、7年ぶりの帰省」
「くんくんくん……ナツだぁ~~~~~!!!!」
匂いを嗅いで、本物だと理解して。
狢は心の底から嬉しくて、また大きな大きな声で鳴く。
「久しぶり! 久しぶり! ナツ!」
「久しぶり、ムジナ。ジロウやみんなは元気してる?」
「してない! 前よりしょんぼりしてる!」
「そっか~……」
夏毛を擦りつけてくる狢を、痛くすぐったそうに受け止めながら。
ナツは、パンッと膝を叩いて立ち上がる。
その瞳は、暮れゆく茜空よりも、もっと遠くを見つめていた。
「ナツ?」
「ムジナ、悪いけどみんなに声をかけてくれるか?」
「なに? なに?」
「んーっと、どうするかな。とりあえず、話したいことがあるから家に来てくれ、かな?」
「わかった!」
ナツに頼まれ、狢は颯爽と地面に飛び降り、コンクリートの上を鉄砲玉のように駆け出す。
それと同時に口を開け、里中に響き渡れと声を張り上げた。
「みんな~~~~! ナツだよ!
「待った! ムジナ!! そのあだ名はもうこの年だと色々と恥ずい!!」
ナツの叫びは、走り去る狢には届かなかった。
「あーあーあー……はぁー……」
切なげにムジナを見送ってから、しばらく。
「まぁ、しょうがない……か」
遠く、星の見え始めた故郷の谷山を一目見てから、ナツは降ろしていたボストンバッグを掛け直す。
かなりの重量を持ったそれは、持ち上げるとガチャガチャ金音を鳴らしていた。
「よぅし、やるぞーっ!」
気を取り直し、歩き出す。
目指すはかつて住み、そしてまた世話になる懐かしの我が家。
妖怪が見える青年が、大切な家族と過ごした場所。
――これは。
「ただいま~、って、おおっ!? 思ったより綺麗にしてある! 孝太郎さんには明日お礼言っとかないとだ」
ここを舞台に始まる、令和の妖怪化け話。
「うん、うん。これならやれる……いや、やるぞ! そのための準備は整えてきたっ!」
この日。
その
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