ストーリー:15 3つの見え方


「そうか。順調そうで何よりだよ」


 話を聞き終えた孝太郎は、そう言ってナツに優しい笑みを向けた。


「妖怪さんたちの調子も良さそうなんだね?」

「はい。自分たちの仕掛けた何かが相手に伝わるってのが、とにかく嬉しいみたいで」

「そうだね。話を聞く限り、彼らにとっては数年ぶり……いや、数十、百を越える時を経てのことかもしれないものね」


 ナツの言葉も、自分の言葉もよく噛みしめるような深い頷き。

 そんな孝太郎の所作に、ナツは敬愛すべき大人特有の落ち着きを感じる。


 同じような仕草を、たまにオキナもやっていた。



「うん、うん。その調子で色々やってみるといいよ」

「はい! ありがとうございます!」


 活動報告も終わり、用は済んだ。

 が、まだ残っているお茶と茶菓子を食べ尽くすまでは話をしよう、と孝太郎がナツを引き留めて、ナツもそれを了承する。

 今日も家にはジロウたちがいるが、遅くなるかもとは事前に伝えてあった。



「ちょっと待ってて」


 お仕事モードからの切り替えついで、少し換気をしようと立ち上がった孝太郎が窓を開け。


「おや?」


 そこでピタリと、動きを止める。


「どうかしました?」

「うん。夏彦君、ちょっとあそこを見てもらえるかな?」


 孝太郎に手招きされて、ナツは促されるまま窓の外を覗きこむ。


「お、梅子婆ちゃんだ」


 そこには、お参りに来た老婆と。


「ウォウッ! ワオンッ! たっのし~!」


 白いボールを追いかけて遊ぶ、犬っぽい妖怪の姿があった。



      ※      ※      ※



「夏彦君。あれは……」

「はい。犬っぽい妖怪が遊んでますね」

「そっか」


 何を聞かれるかわかっていたナツは、孝太郎の言葉に被せるようにして答える。

 それに孝太郎も何を言うでもなく、返ってきた答えに納得した様子で頷きを返した。


「……なるほど」

「はい」


 今。

 二人の見えている世界は……違う。


「やっぱり僕には、白いボールがひとりでに飛び跳ねているように見えるよ」

「ですよね」


 そんなやり取りをしていると、窓の外の光景に変化があった。



「おやぁ、どこん子ね?」

「クゥ~ン」


 ボール遊びしている妖怪犬に老婆が気づき、声をかけたのだ。


「よしよし、ふふ、人懐っこかねぇ。白か毛並みが綺麗な子ばい」

「クゥ~~ン」


 老婆はすり寄る妖怪犬の頭を優しく撫でまわしている、が。


「………」


 それを見つめる孝太郎の目は険しかった。



「僕には彼女が、何もないところを撫でているようにしか見えないんだけど……」

「撫でてますよ。犬の妖怪」

「そう、か。こればっかりは、何度見ても不思議だね」


 ナツ、孝太郎、老婆。

 この場にいる3人の人間には、それぞれ違うものが見えていた。



「梅子お婆ちゃんには、多分、白い毛並みの犬が見えているんだよね?」

「だと思います。そして、孝太郎さんには何も見えてない」

「うん。で、夏彦くんの目には……」

「白地に歌舞伎の隈取みたいな黒い紋が入ってる、犬っぽい妖怪が見えてます」


 どう違うかを、二人で確かめる。


 と。

 目の前の景色に変化があった。



「……おや。どっか行ってしもたばい」


 老婆が、犬妖怪を見失う。


「夏彦君」

「いますよ。彼女のすぐ隣に。尻尾振ってます」


 ナツの目にはしっかりと、満足げに尻尾を振る犬の妖怪の姿が見えている。


「……やっぱり僕には、見えないな」


 だがそれを、孝太郎は見ることができない。

 視線の先にはただ、動きを止めたボールがあるだけだった。



「ま、よかねぇ」


 老婆は、突如として消え去った犬に対して特に疑問も抱かないまま、参道へと戻っていく。

 それを静かに見送って、孝太郎はまたゆっくりとした口調で呟いた。


「本当に、不思議だ」


 その呟きには、感嘆と、深い興味が滲み出ていた。



      ※      ※      ※



 妖怪が見える人。

 妖怪が見えない人。

 妖怪は見えないけど、変な何かが見える人。

 

 人間は大体この3種類にわけることができると、今のナツは知っている。

 そして孝太郎は、そのうちの3つ目に該当する人物であった。



「面白いのは、見えない人が、妖怪ではない違う何かを見ている場合があるってところだね」

「ボールがひとりでに飛び跳ねるわけがない。だから、ボールが飛び跳ねる現実的な理由があるはずだ――みたいな感じに、無意識に補正してるんだって聞いたことがあります。オキナが言うには、現世うつしよはそうやって、色々なことから守られているって話らしいんですけど」

「守られている、か。考えさせられるね」


 妖怪が見えない人は、目の前で起こった不可解な何かを自分の納得できる形で補正する。

 似た別の何かに置き換えたり、近くの誰かがやったことにしたり、それこそ見間違いだと忘れたり。


 対して、妖怪が見える人は、その補正が全く利かないか、そもそも世界の見方が違う。

 そう、ナツは幼いころに聞かされていた。 



「僕の場合はそれが半端だから、超常現象みたいに見えている、ってことなんだろうね」


 そう口にする孝太郎の顔には、ほんの少しだけ悲しみが宿っていた。


 半端な補正の利き具合。

 そのせいで、およそ普通ではない現象を、孝太郎は何度も目の当たりにしてきた。


(きっと、色々と大変な思いもしてきたんだろうなぁ)


 察するに余りあるその苦労に、ナツが思いを馳せていると。


「夏彦くん」


 優しく、名前を呼ばれた。



「僕にはどうしたって妖怪さんは見えないけれど、夏彦くんのおかげでそんな存在たちがいる可能性を信じることができる。僕にとってそれは、ある種の救いだったんだ」


 真剣な眼差しで孝太郎が言う。

 窓の外から、再び動き出したボールが跳ね回る、軽快な音が響いていた。



「だから僕は、キミがやろうとしていることを応援したい。夏彦くん。キミの見ている世界が見える、その頑張りを、ね」


 そう告げる孝太郎の優しい微笑みには、深い深い敬愛の心が込められていた。


「……ありがとうございます!」


 ナツは、自分に向けられるその顔が、昔からずっと大好きだった。



      ※      ※      ※



「……いやいやいや。孝太郎さんマジで大人すぎて、尊敬しかない!」


 神社からの帰り道。

 ナツは一人、興奮しながら歩いていた。


「俺だって、孝太郎さんが俺の言葉を信じてくれたから、人も妖怪も同じくらい大好きになれたんだって!」


 相変わらず夏の日差しは厳しく、セミもうるさいくらいに鳴いていたが、それらがまったく気にならないほどに、今のナツは感動に打ち震えている。

 近くを通り過ぎるタワシのような木っ端妖怪が、不審者を見る目で見上げていた。


「はぁー、俺もああいう落ち着いた人になれたらなぁ。だいぶ無理だが」


 理想と現実のギャップにスンッと冷静さを取り戻したりしつつ、帰宅する。


「ただいまー」


 そんな、ふわっふわな意識のせいで。


「うおらぁっ! ナツ!!!」

「ほぐぅっ!?」


 対応が遅れた。



「ごふっ! じ、ジロウ?」

「おいこら、ナツ! おせぇ!」

「いや、遅くなるかもって言ってただろ!?」


 帰宅直後にお見舞いされる、かまいたちのジロウの体当たり。

 腹を抑えて悶えながら抗議するナツに、見事な着地を決めたジロウが二本足で立ち声を張る。


「そんなこたぁどうでもいいんだ! それよりナツ! 協力しろ!」

「協力ぅ?」

「おう!」


 真剣な眼差し……というには、どこか目端に後ろめたさも浮かぶ視線で。


「俺の配信を、もっともっとバズらせやがれ!!」


 ジロウは、自分の要望を口にするのだった。

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