ストーリー:6 谷底の再会・2



 道の駅隣の公園前から道路を渡り、崖みたいに急勾配な坂に掛かる階段を下る。

 右手に中高合同の学校校舎を眺めつつ、下り終えた先でまた少し歩いたところ。


 その辺りから聞こえてくる、水量の多いせせらぎの音を楽しんで。

 存外に真新しく舗装された道を進めば、そこからさらに下る階段へと辿り着く。


「よっ、はっ、ほっ……と」


 1段飛ばしで駆け下りて、踏みしめるのはジャリジャリとした河原石。


「ふぅ……すぅー、はぁー……すぅー、んんー!」


 そこで大きく深呼吸すれば、ナツの胸の中を清らかな空気が満たした。



「……ぷはぁー! 確かに、ここは癒されるなぁ」


 ここも、7年ぶりの来訪になる。

 懐かしさと、安堵の気持ちが湧いてくる。


「変わらないな。いや、変わらないうちに戻ってこれたのか」


 複雑な思いと共に見つめるナツの視線の先。

 そこには、7年前とほとんど変わらない、清流カワベ川の姿があった。


 クマ川支流、カワベ川。

 隈本くまもと県が誇る一級河川にして日本三大急流に数えられる名川へと合流する支流の中で、最も大きな川である。


 流れの始まりはここ、五樹村。

 川はここから遙か一夜志ひとよし盆地へと向かい、長い長い谷底の道を行く。


 五樹の大自然を象徴する場所のひとつであり、そして……。


(そう遠くない未来、ここはダムの底に沈む)


 いつか、失われる場所だった。



      ※      ※      ※



 ゆっくりとした足取りで、ナツはカワベ川の上流を目指す。

 少し進めばだんだんと、川遊び用に整備されていた場所から自然剥き出しの姿へと変わっていく。


「あー、そうだそうだ。ここでも結構遊んだなぁ」


 少し目を配るだけでも思い出す、幼い日の記憶たち。


(この辺でみんなと泳いだり、小魚捕まえたり、岩の上から飛び込んだり……)


 同世代の友達との思い出や、妖怪たちとの思い出。

 妖怪は自分にしか見えてなかったけれど、彼らも交じって一緒になって、たくさんたくさん遊びまわった。


 ここには、みんなとの思い出がたくさんあった。



「おっ、この辺は……ミオとよく遊んでたところか」


 三つ連なっている大岩を見たところで、ナツはまた一人、思い出す。

 ホーイ、ホーイと鳴くばかりで、まともに話した覚えのない、妖怪ゆうじんの顔を。


(ミオは確か、セコって妖怪だったよな。山の水場にいるっていう、小さな水妖)


 小学生だったナツと同じくらいの背丈で、二人でよく相撲を取ったのを覚えている。


「負けず嫌いで、自分が勝つまで何度も何度も挑んでくるんだよなぁ。……ま、今やったら俺の方が大きいし、圧勝だろうけど」


 そこまで思い返して、そういえば、と思い至った。


「……あいつ、いなかったな」


 あの日、ナツが帰って来た日。

 セコのミオは、集まった妖怪たちの中にいなかったのだ。 



『……たまたまここに来ておらん奴もおるが、もおるじゃろう』


 不意に、オキナの言葉がナツの脳裏をよぎる。


「………」


 力を失った妖怪は、現世には留まれない。


 大多数の人々が妖怪の実在を信じなくなって久しい、令和の時代において。

 セコのように元々力の弱い、そして知名度も高くない妖怪であれば――。


「……いや、まだだ。まだ大丈夫」


 浮かびそうになった言葉を、頭を振って散らす。


(――みんながVtuberとして有名になって、妖怪を信じる人の数が増えればきっと)



 ドクドクと脈打つ胸の鼓動に急かされるように、ナツは辿り着いた三つ岩に登る。

 高所を取って見通しが良くなれば、即座にぐるりと辺りを見回して……無意識に、小さな面影を追う。


「そうそう。案外その辺で川遊びに夢中になってたり……っ!?」


 そこで、見つけた。



「………」


 登った三つ岩から臨む、さらに川を上った先。

 清き川の流れを二つに割く、苔むした大岩の……その上に。


「………な、ぁ?」


 その距離で見ても、なお。

 ナツが目を見張るほどの、とびっきりの美少女が腰かけていた。



      ※      ※      ※



 大岩に腰かけた美少女は、遠く、遠く。

 見上げた空を、見つめていた。


(オキナたちが言ってた華ってのは、間違いなくあの子のことだ……!)


“清流の妖精”


 まるで、カワベ川の清流がそのまま形を得たかのような存在だと、ナツは思った。



(もっと近くで、見てみたい)


 知らず、誘われるような足取りで、ナツは少女の元へと歩み寄る。

 ふらふらと彼女が座る岩の傍まで辿り着き、より間近でその姿を捉えれば。


(……綺麗、だ)


 圧倒的な存在感に、見上げるままに言葉を失った。


「………」


 少女はそんなナツの接近にも気づいた様子なく、物思いに耽っているようだった。



 年の頃は、高く見積もっても15か6。

 一部を除き、パッと見は中学生かと見紛う小柄な少女だ。


 腰まで伸びるツインテールは、流れる水でそのまま線を引いたかのような澄んだ水色。

 その瞳も淀みなく透き通るような青を湛え、バチッと揃ったまつ毛が美しい。


 元は、とても白い肌なのだろう。

 その面差しは谷底に差し込む日を浴びて淡く、健康的に色づいてる。


 纏う衣服はノースリーブのセーラー服にホットパンツの、中性的な組み合わせ。

 けれどもそれが、かえって少女の肉感的で豊満なボディラインを際立たせ、その幼顔おさながおとも相まり、アンバランスで魅惑的な雰囲気を漂わせていた。


 さながら、清流と激流の共存。


 ナツにはそれが、いくつもの顔を併せ持つ、カワベ川の表裏おもてうらみたいだと思った。

 そうでも思わなければ、およそ現実的ではない人外の美に、あっさりと呑み込まれてしまいそうだった。



「……ッ」


 風が、谷底を吹き抜ける。


 少女の長い髪が、風に誘われさやさやと揺れる。

 それを少女はそっと伸ばした手で支え、くすぐったそうにやり過ごす。


 たったそれだけの所作で、ナツの目はますます釘付けになった。



(間違いなく、彼女は妖怪だ。俺の知らない、けれどとびっきりの華を持った逸材だ)


 これだけの美少女ぶりだ。

 多少2Dにデフォルメされたガワで表現したところで、十二分に人々の目を惹くに違いない。


 それに、オキナたちが太鼓判を押すくらいなのだから、きっと。

 交渉の余地だってあるはず。



「……すぅ」


 正直これだけの美人を相手に、緊張しないではいられない。


 それでも。


「そこのっ、妖怪さん!」

「!」


 ナツは、自らの目的のため、勇気を振り絞って声を上げた。

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