ストーリー:32 否定者


 その変化に最初に気づいたのは、オキナだった。


「!? いかん! すまん、ナツ!!」

「えっ?」


 オキナの叫びにナツが反応する。

 その一瞬の出来事。


 バキィッ!


 オキナの放った油壺が、縁側へ通じる大窓を砕き、吹き飛ばす。


 直後。


「ジロウ!」

「わぁってる! ワビスケ、ミオ!」

「えっ」

「なっ!?」


 ゴゥッ!


 突如として吹き抜ける荒風。

 その風に呑み込まれ、吹き飛ばされた窓の位置から、妖怪たちが外へと飛び出した。


 その瞬間。


「いぎっ!?」

「あぐっ!」

「ぬぅぅ……!」

「ぐぇぇぇ!!」


 四人の妖怪の口から、それぞれ苦悶の声が出る。


「……みんな!? うおっ!」


 それを目で追うナツだったが、不意に感じた異様な気配に、思わずのけぞり距離を取る。



「え?」


 気配の出どころは、彼のすぐ近く。


「ハル!?」


 その正体は、どす黒い、けれど邪悪とは言い難い、どこまでも深く昏いオーラをまとった、彼の幼なじみだった。



      ※      ※      ※



「………」


 ハルは、突如として大窓が割れて外に飛び散ったのを、気にも留めていない様子だった。

 ただ無言で、何事かを考えているような様子で、畳の上に立ち尽くしていた。



「ハル……」


 異様な気配を漂わせる幼なじみを、ナツは心配そうに見つめていたが。


「! みんな!」


 外へと飛び出した仲間たちを思い、ひとまず彼らのもとへと向かうことにした。



「………」


 そんなナツにいつの間にか視線を向けていたハルは、それを虚ろな瞳で見つめていた。



「大丈夫か!?」


 縁側を飛び出し、妖怪たちに駆け寄る。


「ぐぬぬ、ワシとジロウは大丈夫じゃが……」

「ワビスケとミオが、ちょいとばかしよろしくねぇな」


 飛び出した妖怪たちは、体勢を立て直すこともできず、苦しげに地に伏していた。

 ワビスケとミオに至っては、意識すら飛ばしている様子だった。



「オキナ、いったい何がどうしてこうなったんだ?」

「あの子じゃ」

「あの子?」


 ナツに助け起こされながら、オキナが言う。


「……ハルの嬢ちゃんが、ワシらの存在を心の底から否定したんじゃ」

「は? え?」


 思ってもいなかった言葉に、ナツは驚きを隠せない。

 

「いや、だって……ハルは」

「そうじゃな。理屈では、納得しかけておったように見える」

「じゃあ!」

「じゃから、心の底から、感情で、それを否定したのじゃろう。妖怪にいて欲しくない、との」

「!!」

「要は、駄々捏ねてんだよ。あの嬢ちゃんは!」


 忌々しそうに吠えるジロウが、縁側を睨む。


「……!」


 その視線を追ってナツも見れば、縁側の木床に立つハルが、ナツを見下ろしていた。



「そのイタチ。窓が割れたのに巻き込まれちゃったの? 大丈夫?」

「ぐぇぇっ」

「!?」


 ハルが言葉を発した瞬間、ジロウの口から呻きが上がる。


「あ、もしかしてその子がジロウ? そっか、それがあのVtuberの元ネタなんだね?」

「ぐぎぎぎぎっ!!」


 まるで言葉そのものに圧があるかのように。

 圧し潰されているかのような声がジロウから溢れ出る。


「いかんな。ジロウですら、相手の言霊に強く影響されておる。ワシらは現世うつしよの民ではないゆえ、かような強い言葉の前には、抗いきれぬのじゃ」

「そんな!?」

「絶対的な否定の意思を前にしては、ワシらのようなあいまいであることが望まれる存在に入り込む余地はない。アレに対してワシらには、打つ手なし、ということじゃ」

「……!」


 嘘偽りのないオキナの言葉からナツが感じ取ったのは、諦め。

 そう思わせた相手に、改めてナツは目を向ける。


「ハル!」

「ナツ? そこにいるのは誰? 誰かいる気がするんだけど、よく見えなくて」


 見て、気づいた。



(ハルのあの目……正気を失ってる!?)


 それは言うなれば、怒りに我を忘れているかのような状態。

 化かされて戸惑い冷静さを失っている状態とは似て非なる、むしろ真逆の、強烈な衝動にただ真っ直ぐに突き進もうとしている、危うさを感じる姿。


「………」


 縁側からナツを見下ろすハルは、目の焦点こそ合っているが、その目には何も映っていない気がした。



(だったら……!)


 ナツは、一縷の望みをかけて声を張る。


「ハル! 落ち着いて聞いてくれ!」

「………」

「俺には、ハルがどうして今そうなってるのか、まったく見当がつかない!」

「………」

「だから、俺にもわかるように教えて欲しい! ハルが、何を考えてるのか!」


 そんな、必死のナツの呼び声が届いたのか。


「……!」


 ハルの表情が柔らかく、呆けた。


「ハル!」


 だが。



「や、だ……」

「え?」

「やだ!!!」

「!?」


 返ってきたのは、さらに強烈な拒絶の言葉。


「答えたくない!」

「な、なんで」

「答えたくないって言ってるの!!」


 それは先ほどまでのナツの言葉にも負けない、強くて、必死な声だった。



      ※      ※      ※



「妖怪なんて、いない! 妖怪なんて、いらない! そんなの! いて欲しくない!!」

「ぐぅぅ……!」

「や、べぇぇ……!!」

「みんな!?」


 再び響く否定の言葉に、妖怪たちが苦しみ、もがく。


 現世の理に沿った絶対的な否定者を前にして、彼らは無力だった。



(このままじゃみんなが危ない。今すぐにでもハルを何とかしないといけない。でも……!)


 無駄と知りながらも、ナツは妖怪たちを庇い立てするように、両者の間に割り込み、立ちはだかる。


(一体、どうしたらいいんだ! せめてハルが、どうしてこんなにも妖怪みんなを否定しようとするのか、その原因が少しでもわかれば、話す余地がありそうなのに……!)


 彼女の抱える思いの原点。

 長年のあいだ、その胸の内にある思い。


(ハルが……守ろうとしてるものって、なんなんだ!?)


 それを今、ナツは必死に手繰り寄せようと、考えを巡らせていた。

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