ストーリー:35 9年越しの結論


「……この世界に、妖怪なんていないのかもしれないな」


 ナツの口から飛び出した言葉に。


「なっ!?」

「むむむ……!」


 彼を見守っていた、ジロウとオキナは大いに動揺した。


「ちょ、ちょちょちょ待て待てナツ! お前がそれを言っちまったら!」

「………」


 妖怪が見えるナツが、妖怪の存在を否定する。

 それはこの場で、一番あってはならないことで。


 言葉選びを間違えた。


 そんな考えが二人の脳裏をよぎって。


「さすがにこりゃ逃げ」

「逃げなくていいって。ジロウ」

「!?」


 思わず後ろに下がったジロウに、誰かが声をかけた。



「大丈夫。アタシはナツが、言葉を間違ったとは思わねぇ」


 清流のように美しく流れる、二つ結びの青い髪が揺れる。


「……ミオ! お前無理すんな!」

「うっせバーカ。バカジロウ。ここが根性の見せ所つったのお前だろうが」


 風の守りから自ら出てきて、ミオが不敵に笑う。


「ボクも同じ意見だよ。大丈夫」

「ワビスケ、おヌシが一番辛いじゃろう」

「いいえ。オキナ様。一番苦しんでるのは、きっとボクじゃありません」


 同じく風の守りを抜けて出てきた、ワビスケが言う。


「今、一番辛いのは、お互いの向き合いたくないものと向き合ってる、あの二人です」

「むむ……!」


 思わぬ言葉にオキナが唸れば、ワビスケとミオは互いに頷き合い、二人に並ぶ。



「もう一度言います。大丈夫です。ナツは、ボクたちを絶対に見捨てたりなんてしません」

「あいつと何回も勝負したアタシにはわかる。さっきの目は、ここから勝負を仕掛けるって合図だ」


 口々に語る二人から伝わるのは、全幅の信頼。

 老練の妖怪であるジロウとオキナとは別種の、純然たる想いの力。


「なら、ボクたちがしなきゃいけないことは……」

「こうやってしっかり立って、何言われてもここにいるって示してやることだぜ!」

「……へっ。そうかよ」

「じゃったら、もうひと頑張りじゃの」


 そんな気持ちに感化され、妖怪たちは奮い立つ。



「ナツ。ナツの好きに、やりたいようにやっていいよ!」

「アタシらは、お前が何を言おうがブレねぇ。存分にぶつかってこい!」


 その声が、今の、ハルと相対するのに全力なナツに聞こえるかはわからない。


 それでも。


「やりてぇことをするのが、妖怪オレたち流だ!」


 今もなお自分たちを打ち消そうとする圧に耐えながら。

 彼らはその声援を、止めることはしなかった。



      ※      ※      ※



「……え?」


 ナツの言葉を聞いたハルは、まず最初に自分の耳を疑った。


「妖怪なんて、いない?」


 それは、彼女が彼から最も引き出したかった言葉で。

 けれど同時に、あまりにも唐突だったその言葉の違和感に、動揺が隠せなかった。


「……どういうこと?」


 思わずといった様子で聞き返す。


「うん。俺からしてみれば、もしもの話かな」


 それが。

 二人の対話が始まって、初めてハルの方からしかけた、問いだったとは気づかずに。



「……つまり?」

「俺が見ている妖怪たちって、もしかしたら妖怪たちじゃないのかもしれないって、ちょっと考えたんだ」


 問われたナツは、立ち上がり、ハルの視線に応えて自分の考えを口にし始める。


「俺が今、妖怪だと思っているものは、少なくともハルには見えないか、違う何かに見えてしまう。それはもしかしたら、同じように見える人でもそうなんじゃないかってな」


 それは。

 特に根拠があるわけでもない推察の話。


「ある人には全部がかわいい妖精に見えてたり、ある人には全部恐ろしい化け物に見えてたり、もしかしたら、宇宙人なんかに見えちゃう人もいるのかもしれない」

「宇宙人って……」

「いや、否定はできない。だって、科学の世界じゃ未証明な物は、なんだってあり得るんだから。俺が妖怪だと思ってたものは、異星の民が超技術でなんやかんやして地球に根付いた存在なのかもしれない」

「ゲームみたいな話だわ」

「いつだったか、推しVたちがそんな感じの世界観のゲームやってた気がする」


 語りゆっくりと、縁側まで歩み寄り、その縁へと腰掛ける。

 笑ってポンポンと隣を叩けば、ハルもおずおずと、ナツの隣に腰掛けた。



「でもさ。その考え方って、頭では理解できるけど、心がめちゃくちゃ嫌がるんだよ」


 そう言ってナツの目を向けた先には、変わらず仲間の妖怪たちがいる。


「やっぱり、見えてる物に引っ張られるし、ずっとそうだと思ってきた自分を信じてるから」


 隣へ視線を移せば、そこには幼なじみがいる。

 今、向き合うべき人を、強く意識する。



「……だからかなぁって、思ったんだ」

「?」

「ハルが、妖怪のこと話す俺のことが嫌いなのって」

「なっ! ぁっ……!」

「お、やっぱりそうだったんだ」


 繋がった。

 それを確信して、ナツはズキリと響く胸の痛みを、深いため息と共に吐き捨てる。


「俺もハルも、自分の見えてる世界を信じてる。だから、そうじゃない見え方をする人の話って、ずっと聞き続けるのは大変なんじゃないかと思う。ハルは小さいころ、たくさん俺の話を聞いてくれてたよな。俺、あれにすっごく救われてたんだなって、今ならわかるよ」

「それは……その、ナツの話って、おとぎ話の世界そのものみたいで、好きだったから」

「そっか。もしかしたらそのおとぎ話たちも、作者さんや、その人に語って聞かせた誰かの実体験だったかもしれないな」

「………」


 ハルの隣でナツは笑う。

 何の根拠もない、想像に想像を重ねたような話を語りながら。


「ハルの見ている世界はきっと、俺の見ている世界とは違う。でも、きっと」


 当たり前のことように、告げる。



「それはそれ、これはこれ、なんだと思う」

「……?」

「どっちが正しいとかじゃなくて、どっちでもいいんだろうなって」


 あの日、ぶつけあった想いを。

 今、この時、清算する。


「ハルが溺れた日、あの時、ハルは俺に助けられた。それは、間違いなんかじゃない」

「!?」

「そう、間違いじゃないんだよ。だって、そうハルが信じてるんだから」

「ナツ……!」


 そして再び。


「だから」


 叩きつける。


「ハルが溺れた日、あの時、俺はハルを、妖怪と一緒に助けた。それも、間違いなんかじゃない」

「なっ!?」

「こっちだって、間違いじゃないんだよ。だって、俺がそう信じてるんだから」


 それは一見して、相まみえない平行する意見。


「それはそれ、これはこれ。俺は俺の信じたいものを信じてるし、ハルはハルの信じたいものを信じてる。それでいいんだ」

「そ、それじゃ何も解決してないのよ!」

「いいや、解決してる。だって、どっちも現状、俺たちは証明できない。なら、今はどっちも存在するって互いに認め合うのが、一番な答え、だろ?」


 しかし。

 ひとたび視点を変えれば、重なり合うことが許された、共存する意見。



「へっ、屁理屈っ!?」

「いいや、二人の意見を合わせて、より良い結論を導き出しただけだ。だって……」


 畳みかけるように、一番大事なことをナツは伝える。


「俺はハルとこれからも仲良くしたい。そして、ハルに俺の好きなものを、俺の見えてる世界を認めて欲しい。でも、ハルの見えてる世界を俺は否定したくない」


 確信した想いへ、ナツ自身の想いをぶつける。



「……だって俺は、ハルのことも好きだから」


「!?!?」



 そうして射ち出された思いの矢は。


「な、ばっ、は、へぁっ!?」


 相手のハートの、ど真ん中オブど真ん中を打ち抜いた。



「さぁ、どうだハル! 俺と今後も仲良くしたいなら、ハルも俺の見ている世界を信じてくれ!」

「なんっ、な、に、それ……!」

「ハルが妖怪なんていないって駄々捏ねるなら、俺だって妖怪は絶対いるって駄々捏ねるからな! お互いが認め合えないなら、このままケンカ別れだ!」

「ちょ、ま、待ちなさいよ!」

「いいや待たない。この問題は9年ものあいだ、俺たちのあいだでずっと燻ぶってたんだ。ここらでビシッと結論付けないと、ちゃんと、ハルと向き合えない」

「~~~~っ!!」

「俺はハルの見てる世界を否定しない。でも、俺の見ている世界を認めてもらうまで、何度だって同じ主張を繰り返すぞ!」

「ぅぁ、う、ぅぅぅ……!!」

「さぁ、それが嫌なら俺のことを好きにフるなり追い払うなりしてくれ!」

「う、ぐぐぐ、ううううっ!」


 なおも言葉の雨を降らせるナツの攻勢に。


「で、で……」


 特異点の巫女、ハルの放つ否定の圧は。


「……できるわけないでしょそんなことーーーー!!」


 その瞬間、ついに。


「……?」


 通りすがったタワシの木っ端妖怪すら消せないほどに、弱まった。



「……ふむ」

「……うむ」

「……うん」

「………」


 それを最後まで見守っていた、妖怪たちは。

 受ける圧が消え、自分たちが勝利を勝ち取ったのを理解するのと同じくして。



「……ボク、ナンパって初めて見ました」

「将来有望じゃな」

「ゲヒャヒャ、ありゃ近い将来タラシになるぜぇ」

「………」


 ナツの示した新たな可能性に。

 彼の評価をそれぞれに少しずつ、変えたのだった。



「じゃあ妖怪はいるかもって認めてくれるんだな!?」

「そうね。いるかもしれないわね! あなたの中にはね!」

「やったー! ありがとうハル! やっぱりハルは話せばわかる、最高の幼なじみだ!」

「あー、もう! ずっと考え込んで拗らせてた私がバカみたいじゃない……」


 9年越しの清算。

 幼なじみのあいだに亀裂を作っていたすれ違いが、修繕された。


 それは木の裂け目に木工用ボンドを流し込んで固めたような、あまりにも無茶な直し方で。


 けれど。


「よし、じゃあハル。次の交渉なんだけどさ」

「え?」

「AYAKASHI本舗の運営、手伝ってくれ」


 そんな雑で完ぺきとは程遠い修繕だったからこそ。


「は? 何言ってんのあんた?」

「は? 何言ってんだナツ?」


 あいまいな彼らを繋ぐには、ちょうどいい塩梅だった。

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