第13章 広美と慧
第48話 慧への電話
第13章 広美と慧
第48話 慧への電話
亀山警部補は約束通り、竜野広美に対し竜野信也殺しの情報を一部提供した。
その容疑者の名前は勿論、容疑者が居ることすら除外してはいるが、物証から判明した犯人の特徴は全て伝えた。
そして、現場から見つかった、指紋の無いルビーのレプリカリングのことも……
例えそれが服務規程違反だとしても、広美が外部に情報を漏らす恐れは無いし、彼女自身が、警察から情報提供を受けることを、親戚友人にも一切漏らさないと厳に約束した。
そして、信也のことで新たにわかったことがあれば、即刻亀山に通知することも約束した。
だからそれが人情家亀山の、広美に対する同情心から出た行為だったとしても、事件早期解決に向けて、有効な協力関係の為だと、亀山は心の内で自らを納得させていたのだ。
広美は、十一時過ぎに掛かって来た、亀山の電話を何度も反芻していた。
(昨日までの私は、信也を殺した犯人は、貝原洋で間違いないと信じていた。
今日の午後、亀山刑事から、殺人犯が女性の可能性があると聞かされた時は、それがてっきり松原慧だと思った……
それなのに今度は、犯人は、栗色のショートヘアをした、血液B型のやや年配女性だと言う。
信也が、何故そんな女に殺されなくちゃいけないの? でも亀山さんは、共犯者が居る可能性も否定できないと言った。
犯人の検挙は近いから、くれぐれも勝手な行動をしてはいけないとも言った……
こんなに訳がわからない事件を、千葉県警は本当に解決できるのだろうか?)
広美は、このままでは絶対に眠れないと思った。
考えに考えた末、広美は松原慧の携帯番号に電話した。
柱時計は、十一時四五分を示している。コール十二回目で漸く電話は繋がったが、相手からの応答は無かった。
「もしもし、松原慧さんでしょうか?」広美は単にそう訊いた。
「……はい、どちら様でしょうか?」
抑揚の無い、ハスキーな声が返って来た。
名前を名乗っていない広美は、一応下手に出る。
「こんな夜遅く申し訳ありません……」
「はい……」
(何なんだこの女は……)
広美は腹が立った。
「私は竜野広美と申します」
広美は、聞き取りやすいようにゆっくりと発音した。
それでも向こう側からは、同じ様に力の抜けた声が返って来た。
「た・つ・の・さんですか?」
昨日土曜日のニュースで、信也の転落事故死を知ってからというもの、慧は自室に篭り亡霊の様に過ごして来た。
さっき放送された、テレ日イレブンニュースの「早耳情報」によると、一部事情通の噂話と断りながらも、竜野信也は文学賞のトラブルで、作家貝原洋に呼び出され、話し合う内に揉み合いになって、弾みで二人とも落下したのだろうと云う。
どちらにしても、信也が死んだことは事実なのだ。信也との楽しい思い出が蘇って来ては、その信也が居なくなった事実に慧は打ちのめされていた。
そこに竜野を名乗る人から電話があった…… 今の慧にとっては、それは異世界からの連絡の様に思えた。
しかし、その一瞬の後、慧の意識は覚醒した。
電話の相手は、慧のぼんやりとした質問に対して、冷たい響きで、ただ「はい」と
だけ答えた。
慧は沈黙した。
「竜野信也の妻です」いらいらを隠せずに、広美は怒ったように告げた。
「信也さんの奥さん……」慧の返事に、漸く生気が篭って来た。
「明日会っていただけないでしょうか?」
漸く話の通じた相手に、広美は用件を切り出した。
慧は、事態をやっと飲み込めた。信也の妻が、愛人の私に対して、怒りの電話をしてきたのだと……
「明日ですか? どういうご用件でしょうか?」
「用件はまだ決まっておりません。明日あなたに直に会って、色々とお話してみたいのです」
広美は勤めて冷静さを保っていた。
「亡くなった信也さんと、私のことですか?」
「そうです。会ってくれますね」
慧は、逃げることはできないと思った。
「……はい」
「明日、上智大学法学部へ行けばいいかしら?」
広美は、慧が嫌がりそうなことを言ってみた。
「大学はちょっと……近くにホテルニューオオタニがあります。そこのロビーでいかがでしょうか?」
(奥さんは、信也のメールを見て、私の事をかなり知っているようだ)覚悟を決めたように、慧はそう答えた。
二人は明日会うことになった。
十二月十二日、月曜日。
午前十一時過ぎに、竜野広美はJR四谷駅を降りた。
普段薄化粧で、服装にもあまり気を使わない広美が、この日はばっちりとメークを決めて、一番のお気に入りの服や、小物を身に着けていた。
二十歳の頃と変わらないプロポーションが、服装が変わりメークアップされた途端、広美を別人の様に際立たせた。
広美は、新宿通りを中央線東側に出た。
そこを直ぐ右折して南下すると、そこはもう上智大学の通りだ。
左手に見える、緑と鉄柵の向こう側は上智大学四谷キャンパスで、右手に広がる緑地が上智の真田掘グラウンドだ。その昔、外堀の一部が埋立された土地なのだろう。
学内正門ゲート付近から地下通路を使えば、道路を渡らずに直接グラウンドに出ることができる。
傷心の広美は、道路右手に並行する旧外堀堤の小道を歩いていた。
右下のテニスコートからは、乾いた打球音が響いて来る。
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