第17話 クリスマス賞第二次選考 第三回最終合同会議その2
第17話 クリスマス賞第二次選考 第三回最終合同会議その2
既に講評済の十作品に対する簡単な紹介が一つ一つ行われ、七つ目に役所信也こと竜野信也の『欲望の罠』の順番が回って来た。
そこで貝原洋から、次のような意見が出た。その貝原は背が高く肩幅の広い男で、中々の男前で声も良く響く。
「私は、役所信也の『欲望の罠』は、この賞にふさわしくないと思う。そう一言申し上げておきたい」
貝原がこう発言した時、右隣の席の黒木アユは、肯定の意思表示のように頻りに頷いた。
黒木は、貝原より五つ下の四六歳で、
貝原の左隣に座る選考委員長の
巽は一七五の
顔もげっそりとこけているが、そのせいで目は普段でも、らんらんと何かを睨みつけているように見える。プロ作家としては、貝原よりも五年ほどキャリアが上であるが、年齢は同じである。
風見新一は、各委員各様の表情を探っている。
町村博信は、能面のように無表情を装い、貝原を見詰めた。
しかしながら、その顔に、僅かな笑みが含まれていることを、町村の後輩編集者、高橋良太は見逃さなかった。
「役所君の作品が、本賞にふさわしくないとおっしゃるが、それはどういう点でしょうか」
こう質問したのは巽委員長だ。
顔付きそのものが、人を睨みつけているように見える。
貝原は嫌そうな顔を隠さない。
そんな貝原を、まあまあと目で制し、黒木アユが発言する。
「それは貝原さんの口から言いにくいでしょうから、私から申し上げますわ。
彼は作品の中で、特定の個人を中傷しています」
黒木は確信に満ちた目を、テーブルを取り囲む面々に向けた。
それはまるで犯人探しのような目付きである。
「どこら辺に、そんな記述があるんですか?」
巽は、渋々と黒木に振った。
黒木は左隣の貝原に、任せておきなさいという意味の、素早いウィンクを送ってから、次に巽を睨みつけるように言った。
「前回、前々回を都合で欠席していた貝原先生は、ご存じないかも知れませんが、他の先生方は、そのことを話していたではありませんか。違ってました?」
「ううむ」唸ったのは神林だ。
巽は神林を一瞥し、黒木にしかめ面を向け、次に貝原を見た。
「貝原さん。これはあなたから言い出したことだ。
どういう理由で二回も会議を欠席したかは、この際訊かない事にするが、その間に候補作は全て読んでみたのかね。
もしご自分で読んでもいないで、お友達の黒木アユ女史からご注進を受けて、そう言ってるのだとしたら、私は君の見識を疑うがね」
これに黒木アユが噛み付いた。すごい剣幕である。
「巽先輩、失礼な言い方は止めて下さらない」
「黒木さん 失敬、失敬。
さて貝原君、君自身が読んでそう考えたのであれば、『欲望の罠』のどこに、そんな記述があるのか指摘してもらえないでしょうか」
巽は形ばかりの謝罪で黒木をいなすと、貝原の尋問を再開した。
貝原は椅子を引き、ゆっくりと立ち上がり、各委員達を見回しながら話し始めた。やや頬を紅潮させている。
「わかりました、巽先生。では私から直接申し上げましょう。
後半の方はまだ読んでおりませんが、序盤の方にその記述が有る。
『欲望の罠』の第三章『雄三』の所です。
この雄三という男はかなり乱れた人物だ。
彼のエピソードが、そこにはたくさん書かれているが、その幾つかは、業界では良く知られている私のエピソードそのものです。
確かに私は、バカなことを色々やっては来たが、それを週刊誌などで叩かれることはどうにか我慢できる。
しかしながら、小説に書かれたあの犯罪者は、実は貝原洋がモデルだとか、まことしやかに解説されるのは、私としてはとても承服し得ないのです。
これは誰かの陰謀ではないかと思います」
最後の言葉は、巽を見詰めながら放ったものだ。
巽は貝原の五年ほど先輩だが、酒の席で同い年の気安さから貝原が失言して以来、二人は犬猿の仲と言われている。前年の選考会議でも、作品の論評を借りて、かなり激しい論争を繰り返していた。
巽は、大げさに居住まいを正してから反論する。
今度は本当に怒っているようだ。
射竦めるような視線が貝原を貫く。貝原は立ったまま、怒った顔を中空に向けている。今にも湯気が立ちそうなほど、顔全体が真っ赤になっていた。
「誰かとは私のことかね? 言っておくが、私はそれほど卑怯な男ではない。見損なっていただいては困る。
第一、この役所君とは全く面識が無いのだ。何なら役所信也をここに呼んでみたらいいだろう。
貝原君、二度とこのような、私に対する
最後に巽は、テーブルを両手でばんと叩いた。
その音に黒木アユが首を
神林がほおほおと笑った。
「まあまあ巽先生」と声を掛けた神林は、さらに巽に向かって、リラックスしろというように、両手を下向きに上下させる。
巽は
貝原はすうっと着席し、落ち着いて言った。言葉には鋭い棘が含まれている。
「私は巽先生の陰謀などとは、一言も申しておりません。
それでも言掛りを付けるのであれば、議事録用の録音を、この場で再生してみたらいかがですか」
これに反応しようとする巽を、先ほどと同じポーズで制してから、神林は貝原にほおほおと笑い掛けた。
「まあまあ貝原さんも、巽さんもそうムキになりなさんな。穏やかにやりましょう」
巽はタバコに火を付け、胸一杯に吸い込んだ煙を、白くして吐き出した。どうやら少し落ち着いたようだ。
「はあ、ここは神林さんの顔を立てて引き下がりますよ」
「そうそう巽君、人の顔は立てておくに限る。貝原君もそうしてくれるとワシはとても気分が良くなるのだがね」
「承知いたしました」
貝原も休戦に応じた。
神林は嬉しそうに両人を見比べてから、ほおほおと笑ってその目をすっと閉じた。
黒木と風見は、
会議は
最後に二作品を選ぶ記名投票が行われた。
問題の役所信也の『欲望の罠』は、選考委員三名と編集者四名の票を獲得して、最終候補五作の中に残った。
竜野の小説に協力した筈の町村は、担当作家の貝原洋に気を遣った為か、役所信也以外の二作に投票した。
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