第5話 文芸誌「交差点」新人賞の選考について

第5話 文芸誌「交差点」新人賞の選考について


「俺には何もわからないさ」


「わからないなら俺のことはほっとけ。所で竜野、今日は何か用があったのか」


「悪かった。そう怒るなよ。

 お前にちょっとな、文学賞の選考方法についてレクチャーしてもらおうかと思ってな」


 竜野が本題に入ると町村の怒りは一気にめた。


「お前、本気か」


「マジさ」


「止めた方が良いとは思うが、知っていることは教えるよ」


 諦め顔と笑顔が対照的に向き合っていた。


「お前の担当部署が『交差点』とは驚いたぜ」


「『交差点』の編集者になってもう十年になる。元々俺は文芸誌を希望していたからな」


「作家志望だったなら文芸誌を希望して当然か。そこで是非、文芸誌の編集者殿にお訊きしたい。

 お前の所の新人賞の場合、どうやって選考するの」


「お前、俺の所に応募するつもりなのか」

 町村は悪びれもせずに訊ねる竜野に呆れた。


「行く行くは大手出版社の有名な文学賞は全部チャレンジしてみようかと思ってる」


 出まかせのムーンボールにバッターは手を出すのか。つまみをぽりぽりとやりながら、竜野は上目遣いにボールの行方を見る。


 何だ、こいつやる気満々じゃないか。町村は困惑した。

「俺が担当者の間はお前の作品は選ばない。もし出来が良かったとしてもな」


「どうして」


「こうやって賞のことでお前と会った以上、利害関係者になってしまったからだ」


「どうして利害関係者になるんだ」


「俺は、新人賞その他の一次選考の前段階で下読みを担当しているからだ。

 まあ全部じゃないけどな。俺の所に回ってきたら黙って落すしか無い。

 他の担当者に回す手もあるんだろうけど、その理由を話すとまずいことになる。だから、俺以外の者に初めの下読みが当たることを祈るしかない」


「そういうことか」


「そういうことだ」


 対照的な表情が入れ替わった。


「了解、お前の所には投稿しないから選考過程の裏側を教えてくれ」


「裏なんて別にないぞ」


「本当に」


 疑わし気な目を見て町村は話し出した。

「大体な、うちの新人賞の場合は年一回の作品募集に対して短編作品の応募が三百ほど来る」


「うん」


「選考委員は中堅どころの小説家五名だ」


 五本の指を立てる男。それを見詰める男。


「うん」


「先生方に読んでもらうのは候補作品十作だ」


「他の二九〇はどうなる」


「俺達、各選考委員担当の五人の編集者で下読みを分担して、先ず二十作に絞る。

 五人で三百作だから、一人当たり六十作下読みすることになる。

 明らかな駄作も多いから、俺の場合は最初の十枚を読んだだけで五十作はボツにする。

 残った十作を最後まで読んで、その内四作に絞る訳だ。一人四作で五人で二十作品になるな」


「ふむふむ」


「この二十作品は、各編集者の感想を付けて編集者会議で検討する。そこで候補作品十点に絞り込まれるって訳だ」


「選考委員の目に触れる応募作品は、その十作品だけか……」

 うーんと唸った。竜野は編集者の力量を信じていなかった。


「そういうこと」

 竜野が凹んでいる様子を見て町村は気分が良くなった。素人の自信過剰は困ったものだ。そういう人たちに町村は悩まされ続けて来た。


「編集者がその十作品に絞るポイントはどういう所なんだ」


「文章の基本に大きく外れていないこと。気になる所、どこかに作品の魅力が強く感じられるものかな」


「作品の魅力とは」


「先ず、テーマ自体の魅力と、テーマが十分掘り下げられているかどうかだな。

 他には、目新しい文体とか、斬新な表現方法を持っている場合は大いに気になるね。

 文章がうまいかどうかは勿論重要だが、それよりも、登場人物が魅力的に描かれているか、ストーリィに新規性があるかどうかなどの方が重要視される」


「なるほど」

 ポイントを突いている。編集者は専門家だなと竜野は見直した。


「詰まる所、その作家の次の作品を読んでみたいかどうかだな。

 高額賞金の付いている賞は、その作品自体の魅力が重要で、次の作品という期待は余り関係無い。

 新人賞は、その作家がどう変貌するかまで含めて見ている」


「うん、良くわかる」


「作家志望は掃いて捨てるほどいるんだから、あまり夢を追わない方が身の為だ」


「町村、俺の作品を読んでみてもらえないか」

 客観的評価、それも力量のある人の評価を訊きたい。


 町村にはプロとしての自負がある。良き編集者は良き作家を育てる。そう信じていた。作家志望を諦められたのも、そう考えられるようになったからだ。

「応募済の作品は読みたくないな」

 強烈な自負が言わせた言葉だった。


「応募済を読みたくない理由は俺にはわからないが、まあいいさ。だったら俺のホームページにある作品を見てくれないか」

 竜野は名刺を差し出した。役所の名刺ではなく個人として遊びに使う名刺だ。カードにはホームページのURLとEメールアドレスが記載されていた。

 二人の間で嘲笑と苦笑いが対立する。


「ここにお前の小説を載せているのか」


「『インターネットの人々』と云うチャット日記と、書き掛けの小説を二点ほど載せている」


「一応読んではみるが、見込みが無いと思ったらお前には連絡はしないぞ。それでいいか」


「ある程度見込みがあると思ったら、その時は必ずメールをくれ」


「約束する」


 二人は三杯目を空けてからその場で別れた。


 町村にはこの後、寄る所があった。

 

 竜野は、銀座方向へ向かう背中を暫く見送ってから踵を返し東京駅に向かった。

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