第35話 巽竜介の聴取2
第35話 巽竜介の聴取2
「私はクリスマス賞の選考委員長の外に、二つほど文学賞の選考委員を勤めております。
その外、連載小説を三つほど受け持っておりまして、丁度、その連載小説の一つが八月始めの号で終了し、その号で出版化を予告いたしました。その手直しなどもあって、七月中旬から十一月上旬に掛けては、非常に忙しかったのです。
私にはプロ作家の、うるさい評論家もいますからね。下手な作品は出せませんよ。だからあの長編は、手直しの方が寧ろ大変で、半分以上は書き下ろしみたいなものでしたね。その本は漸く、十二月二日に出版されましたよ。
貝原君の三年振りの新作が出ていたのは、勿論承知してましたが、それを私が読み始めたのは、十一月中頃でした」
巽の答えには淀みが無かった。
「なるほど。その本のタイトルと出版社名を教えてくださいませんか、私も巽先生の新作を読んでみたいと思いますので」
それでも巽は、気を悪くした様子も無く、その質問に答えた。寧ろ巽龍介は、推理小説のネタになるだろうと、警察の事情聴取を楽しんでいたようだ。
その後は、夷隅が中心となって、巽と貝原の不仲になった経緯や、その後のトラブルなどについて確認していったが、特にめぼしい材料は得られなかった。
最後にと言って、小湊がした質問は、
「貝原氏と黒木アユ女史の間柄ですが、巽先生は、何かご存知でしょうか?」
巽は、一つ小首を傾げてから答える。
「彼等は同期のデビューで非常に仲が良いですよ。一部では二人は盟友とも言われているようですがね」
「二人の間に、いわゆる男女の関係などはありませんか? また、そんな噂を聞いた事がありませんでしょうか?」
小湊はさらっとした調子で質問した。
「ふうむ。そのようなことを、私に訊かれても困りますが」
「巽さんから聞いたとは、誰にも言いません。印象でもよろしいですから、何か教えてもらえませんでしょうか?」
小湊はにこやかに訊いた。
巽は、腕組みのまま、小さく何度か頷いていたが、やがて顔を正面に向けた。
「そういうことでしたら、私が受けた印象を申し上げましょう。
あの二人は、新人賞などを取って、文壇に華々しくデビューした翌年か、翌々年の『交差点』新年号で、巻頭対談をしました。実際には十二月中旬に対談したものですがね。
その対談の後、スタッフは先に帰されて、二人だけがその料亭に残り、その後二人連れ立って消えたと云う話を聞いたことがあります」
巽の真っ直ぐな視線を、小湊は平然と受け止めていた。
「なるほど」
「私の印象ですが、二人はその頃から恋仲になり、多分その後一、二年で交際が終了し、巷で言われているような親友関係になったと思います」
そう答えた巽は、腕時計を見て、これ位でよろしいでしょうかと言った。
ありがとうございましたと言って、小湊は握手の手を差し出した。
巽は刑事の手を力強く握った。
国立は千葉から遠い。小湊と夷隅は県警本部に戻ることにした。
本部に戻ると、総務部文書課の名前が記入された角封筒が、小湊のデスクに置かれていた。
中身は、依頼していた「シャッター」の記事と、写真のコピーと、担当記者の情報である。
夷隅は、太平洋書店の町村博信から貰った、役所信也作品のコピーを、特急で数部作成するよう総務部文書課に依頼した。
彼の手許には、帰る途中で購入した、貝原洋の新作単行本も数冊あった。
貝原の本と、役所のコピーを揃えると、夷隅はそれを、丁度戻って来たばかりの亀山警部補と高滝巡査部長に配った。
小湊は亀山に、本日の首尾を訊いた。
「コミさん、こっちはそれほどの成果は無かったよ。まあ当るべき所は一通り行って来たがね。で、コミさんの方はどうなんだい」
小湊は無表情で、亀山に答える。
「まあまあだな。但し、これから読まなければならない資料が、多過ぎるんだな、これが」
亀山は、小湊がこの日の事情聴取で、かなりの手応えを掴んだ事を知った。
夷隅がデスクから振り返って、二人に声を掛けた。
「小湊さん、太平洋書店の町村から、合同会議と、最終選考委員会の議事録のファイルが、たった今Eメールで届きました」
「おう、来たか。じゃ、それもコピー作ってくれ」
小湊は、つまらなそうにそう答えた。
「直ぐ作ります」夷隅はにっこりとして答えた。
亀山の相棒の高滝が、夷隅の席に近寄り、何だ、その議事録ってのは? と小声で訊いた。
亀山も何か問いた気に、小湊を見る。
小湊は、亀山の肩にそっと手を載せた。
「また、資料が来たよ。今日は打ち合わせの前に、資料の下読みが必要だぜ。本の方は、必要な所だけ読むとして、会議は一時間後で良いかな? 亀さん」
「コミさん、会議が楽しみだな。それじゃあ、六時に」
亀山は、先ほど受け取った、付箋のある本と、コピーの束を軽く右指で叩く。
小湊は無愛想に、手を振って答えた。
亀山はにやりと笑うと、書類を左脇に抱えて資料室の書見台に向かった。
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