第46話 八階の容疑者
第46話 八階の容疑者
「その通りです」鈴木はきっぱりと宣言した。
亀山と小湊は、どちらかとも無く、お互いの肘を突き合わせた。
鈴木は、またファイルを一枚捲った。
「次に、八階第二現場からの鑑識結果を報告いたします。
ここのコンクリート製防護柵上部には、竜野のジャンパーと同じ素材繊維が、擦り付く様に付着しておりました。
その外貝原の衣服繊維が少々と、黒く染色された牛皮繊維が検出されました。
これも擦り付けられた物ですが、恐らく皮手袋に使われる素材だと思います」
富里が落ち着きを取り戻し、冷静に質問する。
「皮コートと皮手袋の、素材の違いがわかるのかね?」
「断定はできませんが、カーフと云う子牛の皮で、なめし方などの特徴から、手袋である可能性が高いでしょう」
鈴木は自信を秘めた口調で、そう答えた。
そしてファイルに一旦目を落とした。
「途中の質問で既に答えたことですが、第二現場床部からは、竜野信也の衣服に付着していたものと同じ、B型女性の、栗色、短めの髪の毛が回収されました。
後、これも既に報告済ですが、床に転がっていた二つのボタンの一つは、貝原のコートのもので、もう一つは竜野のジャンパーのものでした。
ボタンそのものを引きちぎったのではなく、衣服を強く引っ張った時に千切れたものと見ていいでしょう」
そろそろよろしいですかと言う様に、軽く聴衆を目で抑えて、鈴木は次に進んだ。
「では、屋上第三現場からの鑑識結果に移ります。
これも途中の質問で答えたことと一部重複しますが、コンクリートフェンス上部には、貝原のコートと同じ繊維が擦り付いていました。
外には、貝原のコートに付着していたものと同じ、キツネの毛が幾つか付着してました。
また、床部からは、貝原の衣服に付着していたものと同じ、O型女性の、黒色に染められた、長めの髪の毛が数本回収されました」
亀山と小湊以外は、それが何を意味するのか、頻りと考えているように見えた。
富里にも、構図がはっきりと見えて来たようだ。彼は落ち着いた感じで、こう質問した。
「それらのことから何がわかる?」
鈴木は、千両役者の様に、全体をゆっくりと見渡してから、こほんと一つ咳払いした。
「先ず、屋上第三現場から、キツネのコートを来た、O型の血液を持つ、染色されたセミロング黒髪の女性により、貝原氏がフェンスから身を乗り出して、下を覗きこんでいる時に、足元を掬われて突き落とされたものと見られます。
次に、八階第二現場から、黒いカーフ製の手袋を身に付けた、B型で、栗色、短めの髪の毛を持つやや年配の女性により、竜野氏が防護柵から身を乗り出して、下を覗きこんでいる時に、足元を掬われて突き落とされたものと見られます。つまり、その手口は全く同じと言えるでしょう」
多くの刑事達が息を呑んでいた。
その時、小湊の鋭い声が、その一瞬の静寂を破った。刑事達は一斉にその方向を見た。
「富里警視! 私が会った人物の中に、八階の人物に該当しそうな者がおります」
「それは一体誰だね?」富里はゆっくりと訊いた。
皆の注目の中で、小湊は静かに「黒木アユは、栗色ショートヘアで四六歳の女性です」と答えた。
意外な名前に、富里は一瞬固まってから口を開く。
「黒木か……竜野を殺す動機などなさそうだが、貝原の盗作スキャンダルを隠す為に、殺したと云うことも考えられるか?」
納得していない様子の富里を一瞥してから、小湊はその言葉を継いだ。
「作家年鑑によると、黒木の血液型はBです。彼女のDNA鑑定をしてみましょう」
富里の顔には、明らかな迷いが見えた。
「本人の同意が得られなければ、今の段階では強制できないぞ」
小湊はクールに反論する。
「横田利夫の線から、黒木の動機を洗います。直に繋がらなくても、必ず黒木には動機がある筈です」
「アリバイはどうだ?」
「彼女にアリバイはありません」
「黒木は、その時間どこに居たと主張しているのかね」
「自宅にて執筆中だったと、彼女は言ってます」
「訊いたのか?」富里は、未だ迷いの消えぬ顔で訊ねた。
「いいえ、本日事情聴取した時、世間話の様な感じで、黒木の方からそう言いました」
小湊の様子から、ゆるぎない自信を嗅ぎ取って、富里は迷いを振り切った。
「黒木は焦っているようだな。よし、動機が出れば重要参考人として呼び出そう。横田の線は有力か?」
「奴は何か知っていそうです。横田の弱味も握りました」
「コミさんは、その線から追い詰めてくれ」
富里は力強く、そう指示した。
小湊が「はい」と間髪を入れずに答えた。
富里は、壇上の鈴木に近寄って行った。
「鈴木君ご苦労さんだった。今日の鑑識班の働きは実に見事だ。飯島君、吉原君、並木君達にもよろしく伝えてくれ」
富里は、鈴木に向かって敬礼した。
「ありがとうございます! 富里警視」
鈴木は最敬礼を返し、小会議室を出て行った。
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