第12話 慧からのメール その2
第12話 慧からのメール その2
「信也様、あなたは私にとっては今でもシンです。だからシンと呼ばせてね。
二〇〇三年の十一月。
あれから一年半が経ったのですね。あのようなメールを送り一方的に絶交を宣言した女が、今更何の用事だろうとお思いでしょうね。その通りです。あの時の、多分正しかった決断に従うなら、このようなメールを送るべきではないのでしょう。
でも…… 一年半が過ぎて、今自分の心の中には二人のケイが居ます。あの時のkeiと現在の慧です。
あの年の夏、私達は
あのチャットが廃止されたことはつい最近知りました。
やがては彼女の公式HPも、人気の陰りと共に消えてしまう日が来るかも知れませんね。でも今の私は、そんな風にして大切な思い出が薄れ、消えてしまうことがイヤなのです。
私はこの春、上智大学法学部の二年生になりました。高校生の時からの目標である外交官になる為に、大学では毎日勉強に励んでいます。
でも私は同級生達を見ていると、何故か不思議な気がしてならないのです。
苦しい受験勉強を自分に課して、その結果希望の大学に入り、大きなチャンスを手にしているのに、まるでもうゴールしてしまったかのように毎日を遊んで暮らしている。
彼等の話題と言ったら、どこどこの店で今ブランドセールしてるとか、今度どこそこでA大学の子と合コンがあるから一緒に来ないかとか、B子がC男に振られたとか振ったとか、たまに大学の講義の話題になれば、休講情報と、好い男あるいは好い女が何とかの講義に出てるけど知ってるかとか、その他には代返の依頼みたいなことばかり。
彼等は何の為に大学に入ったのでしょう…… どうやら私は少しばかり本論から脱線してしまったみたいです。
私の言いたいことは、実力以上の志望校に入学できたのだから、そのチャンスを活かしたいと思っているということです。
でも大学の講義がそれほど難しいと思ったことはありません。何故大学の先生はあの程度の講義しかしないのでしょう。
私はこのように、大学生活の色々なことに対して怒っています。いや悲しいのです。
三年生になればゼミナールがあります。その授業は一般の授業とは全く違うと言ってくれる先輩が居ます。私は今それに期待しています。
折角シンに、この大学に入る勇気と力をもらったのだから、それを無駄にしたくないのです。
本当を言えば、私が受けた数々の講義の中に、あの時シンが教えてくれた論文の書き方ほど役に立ったと思えることは一つもありませんでした。
今更ですが、あの時書いたメールで、シンのことを最後の方でけちょんけちょんにやっつけてしまったこと……
きっぱりと別れる為に、シンのことを嫌いになろうと思って懸命に書いたのです。そしてその方が、シンの為にもなると信じていました。
だってシンには守らなければならない、大事な配偶者がいるのだから。そこに割り込む形にはしたくなかった……
私の心の中にいつしかシンが住み着いてしまったように、シンの中にも私が住んでいると、あの時は錯覚してしまったのかも知れません。
私がメルボルンのハイスクールで三年生の最後の時期を送っていた頃、チャットとメールで仲良くなったシンが国際電話してくれると言ってくれました。
そしてその通りしてくれたよね。それから毎日のように一時間も二時間も話しましたね。時には四時間を越えたこともあった。そんなことが二週間ほど続きました。
あの頃、実は私はとても不安だったのです。
帰国子女の為の上智大学の試験は、書類審査と小論文と面接だけでした。
私はハイスクールの担任教師から推薦状をいただいてました。書類審査がそれでとても有利になったのです。
ご存知の通り、欧米系スクールでは十月から九月までが学習年度ですから卒業は九月です。その九月の卒業が近づいて、色々なパーティが次から次へと催されました。
私のクラスには日本の同じ高校から来た留学生が居たのですが、彼女ホームシックが酷くなって卒業を前にして三年生の春に日本に帰っちゃったのね。
それからの私は、ネイティブの子に気に入られようとしてかなりの無理をするようになっていたの。
クラスの子達は概ね良い子ばかりだったけれど、中にはやっぱり不良も居るの。
私、その子達ともお酒を一緒に飲んだり、時にはマリファナパーティにも行ったのよ。勿論、周囲の大人たちや、先生や、ホームスティ先のクリントン家の人達に、それを知られないように十分注意していたつもり。
でもクラスのジョディに誘われた九月のパーティの時、皆でお酒を飲んでつい羽目を外してちょっとした騒ぎになったことが、先生に知られてしまったの。
その頃丁度、上智大学からの合格通知が来たのよ。正直第一志望校が合格するとは思っても見なかった。
シンの論文指導があったからこそだと今でも思っている。それで担任教師は迷ったらしいのよ。
その教師は厳しい指導で有名だったから、私一時は留年も覚悟していたの。
実際に普段から素行の悪いジョディは留年したしね。でもクリスティ、ああ担任教師の名前よ、彼女は日本からの留学生が一人脱落し、もう一人まで留年させることを躊躇していたのね。そこに上智大学の合格通知でしょ。
クリスティも、ソフィアユニバーシティが一流であることは知っていたの。そこで、卒業はさせるけれど、卒業後も二週間のボランティア活動すること、と云う懲罰を私に課したの。
それくらいのペナルティは、私にとってはなんてことないことだったけれど、クリントンさんにもそのことは知らされてしまった。
オーストラリアでの保護者だから、当然と言えば当然だけどね。
クリントンさんがシンの電話を取り次いでくれなくなったのは、そんな事情があったからなのよ。
最後の二週間を無事に過ごさせて、ハイスクールをきちんとした形で卒業させて日本に帰してやりたい。そんな親心から出たものだから、誰もあの時のクリントンさんを責める事なんかできない。悪いのは全て私だもの。
クリスティは約束してくれたけれど、元々彼女とは折り合いが良くなかったから、私はその約束を信じ切れなかった。
卒業させる条件を、クリスティと話し合っていた丁度その頃、シンが初めて国際電話してくれた。私はそのおしゃべりで、随分とプレッシャーから解放された。そして、ああいう気持ちが芽生えてしまって……
だから丁度良かったのよ。あの時クリントンさんが取り次いでくれなかった電話。
あの前の日、帰国したらディズニーランドでデートしようと、シンが言ってくれた……もしシンとデートしたら、私は自分の気持ちを抑えられる自信が無かったから。
そしてその数日後、あのメールを書いたの。
でもメールは暫く出せなかった。
帰国の日まで私は、それまで通りシンとチャットで会い続けました。そして帰国前日、私は漸く決心した。あのメールを日付だけ直して、送信ボタンをクリックした。
最近ね、あの頃シンとやり取りしたメールを読み返してみたの。あの時全部削除しておけば良かったのにね……
そうしたら私わかったの。あの時シンが私と同じ様な気持ちだったのかもと云うのは、私の都合の良い希望的解釈だったんだって。
シンのメールはいつだって私に友情を示していた。それはとても強い大きな友情で、本当に大切なものだった。
それを私が勝手に壊したんじゃないかって……
私は今そう考えています。そして、それを伝えるべきだと思いました。シンの為ではなく、自分自身の為に。
本当に勝手な考え方だと思います。でも、シンのメールを読み返していたら、こんな私でも、許して受け入れてくれるような気がしています。
シンさん、このメールに返事はしなくてもいいですよ。
私はこのメールを書いたことで十分満足してますし、書いたことをきっと後悔しないと思いますから。
慧より 」
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