4.
約束の五分前に待ち合わせ場所である駅に到着すると、改札を出たところにすでに鷹楽くんの姿があった。
まばらに行き交う人々を避けるようにして柱の影に佇む彼の秀麗な顔は、相変わらずスマートフォンの青白い液晶の光に照らされている。
部活中の鷹楽くんは基本的に課題をこなしているけれど、早く片付いたときやなにもないときなんかはスマートフォンをじっと眺めている。その姿を見るたびに、そこに彼がお熱になっているらしい二次元のなにかしらがいるのだろうか、と思うも雰囲気も表情も変わらず険しく厳しい。
好きなキャラクターやらアイドルやらの推しの名前が出ただけで弾んだオーラを放ち瞳を煌めかせる文香さんとはまるで対極だ。好きなものを前にしてもちっとも空気が揺るがない人もいるのだなと鷹楽くんを見て知った。
「こんばんは」と近づけば、鷹楽くんはぱっと顔を上げて、それから眉を顰めた。
「……妖の気配がする。この間の無礼なやつか」
「へぇ、視えなくても気配で分別はつくのか。祓い屋ってのはすごいもんだね」
兒玉くんは落ち着きなく鷹楽くんの周りをぐるぐると回る。
「そう、兒玉くん。今朝、会ってさ。廃校のことも知ってたみたいで、依頼のことを話したら手伝ってくれるって言うからついてきてもらった」
「手伝う、ね」
鷹楽くんは目を眇めると、むっすりと黙り込んだ。兒玉くんを連れてきただけでこんなに機嫌が急降下するとは。第一印象がよくないままのせいか、やっぱり妖のことが嫌いなのか、両方か。
「兒玉くんはちょっと悪戯好きなところもあるけど、基本的には気さくでいいやつなんだ」
鷹楽くんに俺の友達がよく思われていないのはなんだか寂しい気がして、俺にできる俺なりのフォローをしてみた。が。「あっそ」と鷹楽くんの表情はさらに険しくなった。。それから鷹楽くんは足早に柱の影から出て先を歩き出した。俺が慌ててその後を追って少し経ってから、鷹楽くんは低くぼそりと零した。
「別にそんな慌ててついてこなくても、そいつが廃校のこと知ってんならそいつに案内してもらえばいいだろ」
「え?」
鷹楽くんは盛大に舌打ちすると、さらに歩調を早めた。何か失言してしまったかと思考を巡らせるもピンとこない。今まで人間とろくにかかわってこなかったせいで、その心の機微を察するアンテナが愚鈍になっているのだろうか。それとも鷹楽くんが難しい人なのか。とにかく、置いてかれないように俺も足を動かすと、隣で浮遊しながらついてきていた兒玉くんが悠々と愉快げに言った。
「百々瀬くん、いつのまに鷹楽のこと絆したの?」
このやりとりのどこをみてどうしてそんなワードが出てくるのか、と俺が首を傾げる。
「駅での待ち合わせを提案したのは鷹楽の方なんでしょ」
「そうだけど……それが?」
首を傾げれば、兒玉くんはどこかわざとらしくしみじみとした様子で肩を竦めた。
「僕はちょっとだけ鷹楽のこと好きになったよ」
よく分からないが、兒玉くん側の印象がよくなっただけでも喜ぶべきなのだろうか。
そうして入り組んだ道を早足で十五分ほど歩いたところで、俺たちは件の廃校に到着した。四階建てのそれは廃されてから一切の手入れがされていないのだろう、外壁はひび割れて、雑草があちこちに生えて、たしかに見た目からもあやしいさが漂い、そして実際に外からでも微かながら霊気が感じ取れた。
敷地に入ろうというところで、ふいに鷹楽くんが立ち止まった。リュックからこの間と同じ、紅に金糸で花柄が施された羽織を出し、袖を通す。
「前から気になってたんだけど、それ、なんなんだ?」
鷹楽くんはちらりと俺を一瞥した。
「塩は持ってきたか」
すり替えられた話題に戸惑いつつも、俺もリュックをおろして、そこからキッチンから持ってきた塩の瓶をふたつ取り出した。片方は白い食塩で、片方はピンク色の岩塩だ。
「なんでふたつも」
「料理好きだから、使い分けてるんだ」
「そう言うことじゃねぇよ、なんでふたつ持ってきたかって言ってんだよ」
「どれくらい必要かも分からなかったし、食塩と岩塩どっちがいいかも分からなかったから」
「別にどっちでもいいわ、そんなん」
「これ、なんに使うんだ。まさか、塩って本当に祓うのに使えるのか」
「使えない」
じゃあ、なぜ。
「だが、完全に無効というわけでもない。これもある意味、説話……つまり噂の力だ。古から除霊に効くと信仰されてきた噂の力が塩には宿っている。だから、塩にはいざというときの目眩し程度はなる……まぁ、お手伝いしてくれる妖がいるんならそんな心配もいらねぇだろうが。これも似たようなものだ」
鷹楽くんは羽織の襟を正した。
「祓い屋の家に生まれたものは皆羽織をもらう。生まれたときから、何度も解いて仕立て直しながら死ぬまで同じものを使い続けることで持ち主の信仰と思念が宿って、強力な力を持つ祓具(ふつぐ)となる」
「物を大切に使い続けると付喪神が宿るみたいなこと?」
「当たらずと雖も遠からずってところだ。俺の羽織も俺の術の効力を高めたり、使い方次第では妖の動きを縛ることができる。いつどんなやつと遭遇してもいいように毎日持ち歩いている」
「あれ、でも初めて会った時は羽織ってなかったよな」
ぐ、と鷹楽くんは柳眉をぴくりと動かすとばつの悪い顔をし、俺に背を向けた。
「……その前の晩に使って干したまま置いてきちまったんだよ」
鷹楽くんは自棄っぱちにいうと、俺に背を向け校舎の中へと歩き出す。不機嫌なところに油を注いでしまったかなと思うも、彼でもうっかりすることがあるのだなと微笑ましさも覚えながら、ずかずかと前をいく鷹楽くんの後を追いかけた。
靴箱で靴も履きかえずに中に入るというのは新鮮で、土足で屋内に踏み込むのは妙な背徳感があった。
玄関を抜けて廊下に入ると、夜の光がほとんど差し込まずかなりくらい。塩よりも懐中電灯を持ってくるべきだったのではないかと、と思ったが。鷹楽くんはスマートフォンを手に持つと、光を灯した。「おお」と思わず感嘆の声を漏らすと、鷹楽くんは瞳を眇めた。
「……機械音痴って、この程度の機能も知らないもんなのか?」
「いや、知ってはいるけど発想がなかった」
「バカなんだな」
「おい」
「まぁ、百々瀬くんがときどきバカなのは否定できないよね」
「おい」
「僕はそういうところもいいと思うよ」
そう言われてもちっとも喜べないんだが。
俺もスマートフォンを取り出して懐中電灯機能をつけようとしたが、瞬間、画面が黒くなった。
「あ」
「今度はなんだよ」
「電池切れた」
「……」
「百々瀬くん、携帯使わなさすぎて電池切れるまで充電しないもんね」
鷹楽くんは呆れたように肩を竦め、兒玉くんはあっけらかんと笑った。
スマートフォンをしまって鷹楽くんのあとに続くと、俺たちの距離がほんの少しだけ縮まる。もしかして気を遣ってくれているのだろうか。
「ありがとう」と期待して伝えてみたら、鷹楽くんは鼻をふんと鳴らした。
「どこで写真撮ろうか」
「トイレ、音楽室、理科室あたりが、学校の怪談の定番だろうな。音楽室は四階、理科室は三階だ」
「兒玉くんに手伝ってもらって勝手に鳴るピアノとか動く骨格標本とかの映像でも撮る?」
階段が見えたところで、鷹楽くんの足がふいに止まった。
「お前は、それを弟の友達に見せたところで信じると思うか」
「それは、シチュエーションの作り込みが甘いってこと?」
懐中電灯の光をほのかに受けた銀髪を柔らかく翻して、鷹楽くんが俺を向く。
「映像も写真も、どれだけ用意しても無駄だと俺は思う。茅ヶ崎も言っていたが、今時その程度の加工はやろうと思えば小学生でもできるし、生以外の情報はなんの意味もない。本当に信じさせたいなら、そのガキ共をここに連れてくる他にない」
「それはさすがに」
「するわけないだろ」
「けど、そう思ってるなら、なんで依頼をされた段階で言わなかったんだ」
珍しく鷹楽くんは口籠った。
「……俺が思ったような展開になるとは、ガキどもが確実に信じないとは一概には言えないし……代案もなかった」
鷹楽くんがわずかに俯く。伏せられた赤い瞳に長いまつ毛が細やかな影を落とす。
鷹楽くんは思いやりがある人だと思う。俺がダブりだと知ったときはバカにしたけれど、その理由を聞けば律儀に謝ってくれたように。茅ヶ崎くんへの態度はそっけなかったが、彼の弟の境遇には思うところがあったのではないだろうか。鷹楽くんがいつ呪いを受けたのかは知らないが、その前は普通に妖が見えていたのだとしたら、祓い屋の彼も普通の学校に通っていたのだとしたら、もしかしたら他人事に思えなかったのではないだろうか。
「あのさ」
実は俺もこの依頼に思うところがあったのだと口にしようとしたときだった。
「もし」
背後から細いソプラノの声がした。
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