6.
ナノコは俺を最前列の真ん中の席に座らせると、教壇に立った。
「最前列がなにげに教師にばれず一番寝やすい席なんですって」
「お前も昔人間だった類か」
「お前も、というと。あの姦しい子はそうだったんですか。私は違いますわよ。先の話は、この間、ここにきた女の子たちが話してましたの。私がもし学生とやらだったらそんな不真面目な真似はしませんわ」
「じゃあ、その格好は」
「可愛いと思った子を真似ているだけですわよ。ちょっとした〝わぁぷ〟とこれが私の特技なんですの。ああ、あなたにもなれますわよ」
「ほら」と、ナノコが指を鳴らすと、鏡写しのように俺が現れた。教卓に頬杖をつくと、口端を持ち上げて上品な微笑みを浮かべている。
ナノコが俺の顔で俺の声でふふっと微笑む様が、なんというか、気味が悪い。
「私、〝らんどせる〟とか制服とか、学生や学校というものに憧れがありますの」
「学校に住んでいるのにか」
「だからこそですわ。私は住処を点々とする性質でして、今までいろんな学校を巡ってきたんですの。それでここにも最近こしてきましたわ」
「最近って、いつごろだ」
俺の顔をしたナノコが、黒色の瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「いつ頃、といわれましても。私、あまり時間というものを気にしない性質ですから……ああ、でもそうですわ、私が南西から上がってきてすぐで……そういえばあの頃、どこかに大きな〝しょっぴんぐもぉる〟ができたから連れてってほしい話していた子がいましたわ。そう、それが私が先までしていた姿のお姉さんだったはず」
ここいらの大型ショッピングモールと言われて思いつくのは、ラスカぐらいだった。
学校や我が家の最寄り駅がある路線の下りの終点がここで、ラスカは真反対にある上りの終点にある。俺が中一になる春にできたばかりで、母に連れられ開店セールに行った記憶がある。それ以降新しいショッピングモールでができた話は聞かないし、だとしたら、もしかしたら。
「じゃあ、俺と少し似た雰囲気の祓い屋に会ったことはあるか」
彼女がもしその頃からずっとここに住み着いているのなら、父のことを知っているかもしれないと思った。
「あら、何でそんなことを聞くのかしら」
「みんなが持つ、あの人の、父の思い出が知りたいんだ」
「へぇ。あなたのお父様は祓い屋なのですね。あなたからはそう言った雰囲気はしませんでしたが」
「俺は視えるだけのただの人だから。祓い屋だったのは俺の父だけで……前まではこの街にいてここらへんを整えていた唯一の祓い屋だった。だから、ここにもきていたなら、あんたがあったことがあるなら話を聞きたい。あんたにとって父がどんな人だったのか、知りたいんだ」
ナノコは、俺顔でにんまりとあやしく微笑んだ。
「じゃあ、取引しましょう。あなたが私のお願いを叶えてくれたら、その答えを差し上げますわ」
「誰かに迷惑をかけることじゃなければ、聞いてやる」
「交渉成立ですわね」
「けど」
「なにかしら」
「話す前に先にその姿解いてくれ」
「あら、面白いのに」
「俺は面白くねぇ、ぞわぞわする」
「じゃあ、祓い屋の彼にでもなりましょうか」
「え」
いや、元の姿に戻ればいいだろ――と思う間にナノコはパチンと指を鳴らすと、鷹楽くんの姿になった。銀髪をかきあげ、耳元で黒猫のピアスがかわいらしく揺れる。
「ふむ。なかなか悪くない見目ですわね」
にっこりと微笑むそのさまは、かつて俺が予想した通りにまるでアイドルのように見事に華やかだった。そしてそれを見た途端、俺は頭の奥に妙な引っ掛かりを覚えた。
鷹楽くんの笑顔を見るのは――本人ではないけれど――これが初めてのはずのに、なんだか、覚えがある。夢かなにかで見たのだろうか。
「じゃあ、気をとり直して。私の話を聞いてもらいましょうか」
正直その姿でされるのも妙な気分だが、このままでは埒が開かないし自分と対峙するよりはマシだろうと黙って先を促した。
「会いたい人がいるんですの」
「人なのか」
「ええ。あなた方が訪れるよりちょっと前のことですわ。とても素敵な殿方がここを訪れたんですの。一眼見た瞬間びびっときて……久々の一目惚れをしましたわ」
けれど、と柳美がくんと下がると共に長い睫毛が伏せられる。
「彼は私のことが見えませんでした。いつのころからか妖を認識できる人間は一気に減ってしまいましたから、仕方がありませんが。ああ、彼があなたほどの目を持っていればよかったのに」
「そいつに目を譲れとかは流石に無理だぞ……」
「言いませんわよ。私をなんだと思ってますの」
ナノコはむっと唇を尖らせて、続けた。
「たとえ視えなくても、せめて私がいるということだけでも知って欲しくて……音楽室のピアノを鳴らしてみせましたの。まぁ、ちょっぴり驚いた顔を見たい気持ちもありまりましたわ」
「あんたも悪戯好きの類かよ」
「むしろ悪戯が嫌いな妖はそういませんわよ。そしたら想像以上に驚かれてしまって、逃げられてしまったんです。もともと妖と人間、叶わぬ恋であることは分かっています。【兒玉くんはそれを超越してしまったけど】けれど、逃げられたまま終わりというのはやはり寂しいです。だから、どうしてももう一目だけ彼に会いたい。そして、願わくば」
ナノコはとん、と教卓にのぼる。鷹楽くんの姿をしているから身長が高いため、頭が天井にぶつかりそうになっていた。
「好きだーーーーー!」
突然、教卓の上でナノコが愛を叫んだ。鷹楽くんの声で。
「って伝えたいんですの」
「今の必要だったか?」
「昔、覗き見た学校で男の子が屋上で叫んでいたのを真似てみたくて」
「ああ……何となく心当たりあるよ」と応えながら、照れたようにはにかむ鷹楽くんを今後見ることはないだろうなと思った。
ナノコが教卓の上の埃を払うように何度かなぞってから、腰を下ろし足を組む。
「だから、どうかあなたに彼を連れてきてももらって、あなたに私の思いを代弁してほしいのです」
絶対無理というほどの依頼ではないが、ハードルはかなり高い。ナノコが会いたがっている人間に俺が変な人だと思われるのはこの際置いておくとしても、そもそもここは心霊スポットとして話題らしいから、ナノコが探している人間が地元の人とも限らない。ナノコが会いたい人を見つけ出すというのが、一番むずかしい。
「そうとう時間かかると思うぞ」
「構いませんわ。私にとって時間なんてものは些細なものですから」
ナノコの真似た白皙が妖艶に微笑む。俺は短く息を吐き出した。
「とりあえず、そいつについて知っていることを洗いざらい教えてくれ」
「引き受けてくださるということでいいのかしら?」
「もし連れて来れたとして、その人間に危害を加えないって約束できるなら」
「もちろん、お約束いたしますわ。私は好きな相手の幸せを願える性質ですことよ」
「分かった。できうる限りは頑張ってみるよ。子でも一応、なんでも屋だからな」
自業自得な節はあるけれど健気な思いを聞かされて袖にするほど冷たくもなれない。悪意のない依頼であればなんでも引き受けるなんでも屋を妖にまで発揮する日が来るとは思わなかった。
「知っていること、というと、そうですわね。彼は背丈が小さいですわ。先の妖よりも小さい。あとメガネもかけてましたわ」
「小学生か、下手すると幼稚園児か……そいつがここにきたときは誰かといたか」
「いいえ、ひとりでしたわ」
「だとすると幼稚園生っていう線はないか。そういやそいつがきたのは俺たちが来る少し前って言ってたけど……あー、でもあんたは時間にはこだわらない性質だもんな」
「でもそれは本当に少しですわ。そうですわね、ここの校庭にある桜が散った頃だったかしら」
「桜が散るっていうと、それが今年ってんなら先月の終わりあたりか」
ん?
小学生が、四月末に、一人でここに――?
まさか、とある可能性がよぎったそのとき、教室のドアががらりと開いた。
「あ、百々瀬くんみっけ!」
鷹楽くんと兒玉くんがいた。兒玉くんは勢いよく駆け込んで来ると、ぎゅうっと俺に抱きついてきた。
「もー、心配したよ。うまく気配隠されちゃってさぁ、まさか魔界にでも連れてかれたのかって不安になりつつ一階から四階まで膳教室開けて回ってきたんだよぉ。四階に上がったところで誰かが叫ぶ声がしたからほーんのちょっとだけ手間が省けたけれど、鷹楽は僕のこと見えないくせに脅してくるし、ていうかあいつさぁ……あ?」
饒舌がドスの効いた声と共にパッタリと止まる。兒玉くんの顔は教卓の方を向いていて、そこでにっこりと笑うナノコ――鷹楽くんの姿をしたナノコを見て、半紙に墨を点にこぼし落としたような見たこともない顔をしていた。
「……どういうプレイ?」
こら。
兒玉くんでこの反応なら、と、ちょっぴり好奇心が疼いてまだドアのところに立っている鷹楽くんに顔を向けた。向けてから鷹楽くんにはナノコが視えないことを思い出して、赤い瞳と視線が絡む。それは、細く歪んでいた。何度か見たことのある表情だった。
多分、間違いなく、怒ってる。
突き飛ばしたのはやっぱりよくなかっただろうか。スマートフォンがリノリウムを転がる音を思い出し、あの弾みに壊れてしまったかもしれない、と冷や汗が滲む。
鷹楽くんがゆっくりとこちらに近づいてきた。俺が座る机の横までくると、じっと見下ろしてくる。
「突き飛ばしてごめん」
鷹楽くんがスマートフォンの熱心に触れていることを知っているし、これは怒られても仕方ないとなるたけ真摯な気持ちを持って謝ったが、しかし鷹楽くんは返事も反応もせず、無言で見つめてきた。それがむしろ怖い。
「鷹楽くん?」
「百々瀬くんは百々瀬くんだなぁ」
傍で兒玉くんが笑った。眉を下げて、どこか呆れたように、苦々しく。
「そこじゃないと思うな」
「そこじゃないって?」
「まぁ、そこが君の素敵ところで困ったところなんだろうなぁ。手の届く範囲のものを守ることを当たり前と思い驕らないところが。それを見ている僕らのことを思わないところが」
「え?」
「……お前」
鷹楽くんが低く零す。
「怪我は。なにも……他になにもされてないか」
「鷹楽くんこそ大丈夫だった?」
「俺がお前に聞いてるんだ」
「俺はしてないけど……」
鷹楽くんは短く息を吐きだすと、懐から札を取り出し、教卓の方を向いた。
「え、ちょっとなにする気」
「縛る」
「縛るって」
「これ以上厄介なことをしでかさないように身動きを取れなくする」
「ま、待ってくれ。そんなことする必要ないって」
鷹楽くんがぎろりと俺を睨んだ。
「お前はお前に危害を加えた妖にまで心を配るのか。おめでたいやつだな」
「危害って言ってもちょっと上の階につれてかれただけだから。本当にそれ以外なにもされてないし、話を聞いただけで」
舌打ち表情を歪める鷹楽くんとは対照的に、ナノコが変身する鷹楽くんが「ふふふ」と愉快げに笑った。
「祓い屋の彼はよほどあなたのことが心配だったんでしょう」
「鷹楽くんが?」
「……誰と何の話をしてる」
「えっと、ナノコ……さっきの妖が、あんたが俺のことをよほど心配してたんだろうっていうから」
鷹楽くんがひくりと眉間に皺を寄せる。「あーあ」と兒玉くんがどこか意味深に笑みを浮かべる。
「え、なに」
「妖の方がよっぽど情緒があるみたいだな」
鷹楽くんがふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「難儀だね」
と兒玉くんは笑うと、それから、
「で。結局話って何だったのさ」
と尋ねてきた。そうだ、とナノコを見た。
「ナノコ。その、お前が会ったやつの姿になれるか」
兒玉くんと鷹楽くんが不思議そうな顔をして教卓に目を向ける。
「え、彼に? それは、まぁ、なれなくもないですけれど……でも好きな殿方に変身するなんてそんな」
ナノコが頬に手を当てモジモジと身を捩らせる。兒玉くんがすかさず「うっわきついな……」と零す。なかなかに辛辣で失礼だ。
「姿が分からないやつを探すのは難しいだろ。それに、そいつに心当たりがあるかもしれない」
「本当ですの⁉︎」
身を乗り出すナノコに「ああ」と頷く。
ナノコの話からして、彼女が恋をした相手は茅ヶ崎くんの弟なのではないかと思った。勿論彼の弟に会ったこともなければ写真も見せてもらったことはないけれど、茅ヶ崎くんは弟を自分と似ていると言っていた。もしその話が本当ならば。
「じゃあ、ちょっとだけですわよ」
ナノコが頬を赤らめながら、ぱちんと指を鳴らす。
そして現れたその小学生の姿に――思っていた以上に茅ヶ崎くんとその弟は似ているようだと思った。
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