7.
「それでは。私の、そしてあなたの望みが叶う時を楽しみにしてますわ」
そうにっこりと告げてナノコは教卓から姿を消した。その際にはまた、出会った時の少女の姿に戻っていた。
思わぬところで点と点が結ばれたところで、しかし俺たちの目的は未だ達成されていない。茅ヶ崎くんの依頼は弟と出会った幽霊を見つけることではなく、弟を守るために幽霊がいた証拠を作ってほしいというものだ。
しかし鷹楽くんは思うところがあったらしく、そして俺もまた思うところがあると話そうとしていたところで、ナノコとの一悶着があった。
「まさか、君の依頼人の弟くんを脅かした子に会えるとはね」
ナノコから聞いたことをかいつまんで話すと、俺の隣の席の机に腰を下ろした兒玉くんがしみじみと言った。鷹楽くんは教卓の前に立ち、静かに俺を見下ろしている。
「証拠を作ることが茅ヶ崎くんの弟にとって一番いいことなのかな」
「それが君への依頼なんじゃないの?」
「そうだけど……ナノコが脅かしたって言うなら、茅ヶ崎くんの弟の話は本当だったってことだろ。視えていたかは分からないけれど、たしかに〝怪奇現象〟にはあったはずだ」
茅ヶ崎くんの弟に自分を重ねた。俺が昔、視える世界をそのまま周囲に伝えていたころと。自分の現実を信じてもらえないどころか揶揄される悲しみを。
「鷹楽くんも言ってたけど、幽霊とか妖とかそういうのがいるって証拠があってもことが解決するとは限らないし、それよりも、自分が視たものを認めてくれる人がいた方が嬉しかったりしないかな」
そう、それだけで嬉しかったはずなのに。
兒玉くんの方を向けなかった――どうして俺は、俺の目を信じてそばに来てくれた彼を受け入れることができなかったのだろう。
中学時代、学校ではほとんど孤立して過ごしていた。けれど、三年生の頃だけ、人と関わりを持っていた。同じクラスになった兒玉くんが俺に声をかけてくれたのだ。
はじめて授業でペアになれる相手ができて、休みの日に会う相手ができて、けれど俺はきっとあの日まで、彼のことを心から信じ切ることができていなかった。
あの日――兒玉くんが妖になった、あのときまで。
妖に対して心を開くほどに、人間に対して臆病に捻くれていったことは覚えている。俺はいつだって、不器用で愚かだった。だから、欲しいものはうまく手に入らず、大切なものを失ってばかりだった。
「だからってどうするんだ」
鷹楽くんの問うてくる声にはっとする。
「視えるお前が茅ヶ崎の弟にでも会うのか。赤の他人であるお前が尋ねて共感を示したところで、身内や学校からの差金としか思わねぇんじゃねぇの」
「……弟さんと茅ヶ崎くんをここに連れてくる、ってのが、一番いいかもしれない」
「茅ヶ崎まで?」
「弟のこと、信じてはいなかったけれど、大切にはしていそうだったろ。それに、弟も茅ヶ崎くんが信じてくれることが、一番嬉しいんじゃないかと思う」
茅ヶ崎くんの弟は茅ヶ崎くんに自分の身にあったことを話し、その上で「兄貴には分からない」と言ったらしかったから。
「だから、俺が立ち会った上で、ナノコに会わせたら、みんなの望みが叶うかも……って思うけど、正直悩んでる」
「まぁ、たしかにね。悪いやつじゃなさそうだったけれど、恋ってのは厄介だ。今は落ち着いていても、顔を合わせたらどうなるか分からない」
兒玉くんがそっと瞳を伏せて、肩を竦める。
「もしなにかあったとき、俺に守り切れる自信がない」
俺ができることはささやかだから。体を張れば逃すことぐらいはできるとは思うが。
「……百々瀬、先輩」
「え」
鷹楽くんの声で名前を呼ばれるのははじめてだった。つい驚いて「な、なに」と吃って仰げば、鷹楽くんはどこか落ち着かない様子で耳朶を飾るピアスを弄んだ。
「俺は祓い屋だ」
「知ってるよ」
「俺もお前の部活の部員だ」
「うん」
突然何の確認だと首を傾げる。鷹楽くんはしばし俺を見つめるときゅっと下唇を噛み、それから痺れを切らしたように身を乗り出して俺の前にある机をだんと叩いた。
「だから―― 俺を頼ればいいだろ!」
瞠目した先には、赤く染まった頬や耳朶が映った。
「これでも俺は優秀な祓い屋なんだよ。視えなくなったぐらいで腫れ物扱いしてくるような連中の大半が今の俺にも及ばねぇ。疑うなら叔父さんにでも聞けばいい……だから、俺にはお前らまとめて全部守れる、自信がある。それでもお前が心配ってなら、信頼できねぇってんなら」
赤い瞳がまっすぐに、俺を見つめた。
「お前が俺の目になればいい」
それは、かつて俺が彼と友達になりたくて手向けた文言だった。
「そうしたら精度も高まるし悪くねぇ話だろ」と鷹楽くんはどこか罰が悪そうにそっぽを向いた。俺はしばらく呆然としていた。胸に込み上げてくるこの熱いものをすぐに理解することができなかった。
「お前をこっちに巻き込む気はなかったが、巻き込まずともお前は勝手に無茶するからな。正式に手を組んだ方がお前の手綱を握れそうだ」
「まぁ、それは一理あるね。ありよりのありだね。鷹楽と組んでるって意識があれば、百々瀬くんも多少は自分を大事に……できるかなぁ?」
鷹楽くんがため息を吐く。兒玉くんが顎に手を当て首を捻る。俺は胸元をきゅっと握る。
人に心配してもらえるのは、頼っていいと信じていいと言ってもらえるのは、記憶にある限りだと、はじめてだった。
嬉しくて、ほんの少し切なくて、ちょっとだけ泣きそうになった。
「ありがとう、鷹楽くん」
声が上擦りそうになるのを堪えた。鷹楽くんはほんの少しだけ目を見開いて、また顔を背けて白銀の髪をくしゃりと掻いた。
「……手を組むからには、とことん付き合ってもらうからな。俺の目的のための手伝いもしろ」
「それは、最初から手伝う気だったんだけどな」
それから少し躊躇いながら、こぶしを掲げてみる。鷹楽くんは訝しげに眉を顰めた。
「なんだそれ」
「コンビを組むときはこぶしをぶつけるもんなんじゃないのか?」
「何知識だよ」
「この間みたバディもののドラマ」
鷹楽くんは呆れた様子で、けれど粗雑に自身のこぶしを俺のこぶしにこつんとぶつけた。
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