5.
それは俺への呼びかけに感じた。だから、振り向かなかった。
鷹楽くんが身構える。兒玉くんが俺の背に回る。ということは、やはり、心霊スポット巡りに来た人間などではなく、妖なのだろう。
「お嬢さん、どうしたの」
「あなたではありません。私はそこの殿方たちに呼びかけていますの。聞こえているのでしょう」
「彼らをどうしたいの」
「大事な大事なお話があるのです。ねぇ、私の声に応じてくださいな」
「うーん、あんまり邪な気配はしないけれど、内容を教えてもらえないんじゃあなぁ……百々瀬くん振り向いちゃだめだよ」
「ああ、分かってる」
内容を明かさずに応対を要するとは、いかにもあやしい。
これも護身のためにと父から教わったことだった。
知らない妖の呼びかけには気をつけること。少なくてもその意図がわからないうちは決して振り向いてはいけない。向こうの呼びかけに込められたいと次第では、応じたことによって呪いをかけられたり、契約を結ばされる可能性もあるからだ。
「……どういう状況だ」
鷹楽くんが羽織のうちに手を差し込む。
「俺の後ろに妖がいる。暴走はしてない」
「そんなんは気配で分かるわ」
「俺たちに用があるみたいだけれど、内容は分からない」
「力づくで聞くか」
「穏便に済まそうよ」
「残念ながら、そういうわけにもいかないみたいだよ」
と言ったのは兒玉くんだった。
どういうことだ、と問う前に背から漂う霊気が増幅する。
「いいでしょう。私は、追われるより追いたいの。振り向いてくれないなら振り向かせるの」
ソプラノの声が歌った直後、妖の気配がふわりと舞い上がり、俺と鷹楽くんの前に降り立った。それは、長い髪を縦巻きにカールしフリルやリボンがふんだんにあしらわれたピンクのワンピースをまとったかわいらしい小学三、四年生くらいの少女の姿していた。
彼女は俺と鷹楽くんの間でバレリーナのようにくるくると回ると、やがて俺の前で止まりうっそりと微笑んだ。
「あなたがいいわ」
そして少女は鷹楽くんの方を向き、踏み込んだ。
「鷹楽くん!」
まずい、と鷹楽くんの体を突き飛ばす。
丸く見開かれた赤い瞳に、やがて聞こえた低い呻きとスマホがリノリウムに転げる音にごめん、と思って瞬いた次の瞬間――俺は知らないところにいた。
左右には教室らしいドアが、校庭が覗く窓がある。窓の向こうに広がる俯瞰の景色からして、ここは先までいた一階の階段付近ではなくどこか上階なのだろうと思った。
黒く長く続く一本の廊下に俺は立っていた。そして、俺の目の前には、先の少女の妖がいた。
「ふたりは……さっきのふたりはどうした」
少女はにっこりと微笑んだ。
「自分よりも他人の心配をするのですね」
「答えろ」
「なにもしておりませんわ。さしずめ、突然私とあなたが消えたことに驚いている程度でしょう」
「そうか」
ひとまずほっと胸を撫で下ろすと、少女は鈴を転がしたみたいに笑った。
「視えるうえにお人好しとは、前途が心配になる人間ですわね」
「はぁ?」
「まぁ、私にとっては都合がいいですけれど。あなたが来てくれてよかったですわ」
「あんたが話したかったのは……もう一人の方じゃないのか」
少女は「いいえ」と首を横に振った。
「祓い屋の殿方は私のことが視えないでしょう」
「彼のこと知ってたのか」
「以前にもここにきましたから。私たちの気配は感じ取れているのめは合わない、けれど邪を飲み過ぎてしまった子を正してくれる不思議な子でしたから、よく覚えていますわ」
「じゃあ、なんで知らないふりをして彼の方に飛びかかった」
「作戦に決まっているじゃありませんか」
少女は顎に手を当てて、わずかに首を傾けた。
「あなたがお人好しそうだったから、ああすれば簡単に術にかかってくれるんじゃないかと思って。ああ、術と言っても呪いなどではないのでご安心くださいませ。ご覧の通り、ただの移動の術ですわよ。二人きりになりたかったんですの」
「俺を試したってことか」
「そもそも、私は最初にあなたがいいと言ったじゃありませんか」
先よりもずいぶんと明るく饒舌になった少女は悪びれもなく笑顔で頷いた。
「それにあなたたちも悪いでしょう。話を聞いてほしいだけなのに、あの妖はうるさいし、あなたたちも反応してくれないから、やむをえずですわ」
そりゃあ、要件を伏せて熱心に応対を求められたらそうもなるだろうが。
まぁ、なってしまった状況は仕方ないと短く息を吐き、少女を見た。
「それで……あんたの話ってなんだよ」
「あら、さっきは頑なに返事をしてくださらなかったのにあっさりと聞きますのね」
「こうなっちまったからには、その方が早くことが片付くと思っただけだ。俺もただここに遊びにきたわけじゃないし、応じることをあれだけ要求してきて、わざわざ邪魔されない場を作ってまで話したいことだ。ただの世間話じゃない。なにか、聞いてほしい望みがあるんだろ」
少女はくるりとスカートを翻して、そばにあった教室のドアを開けた。
「あなたは人は良さそうですが、お口はあまりよろしくないのですね。私はあんたなんて名前じゃありませんの」
「それなら、名を名乗れ」
「本当にお口は悪いですわね」
少女は呆れたように肩を竦めた。
「ナノコと申します。あなたのお名前は?」
微笑みに弧を描く黒い瞳を見つめ返す、ほんの少しの躊躇いの間。
名前とは一番身近な術である――そう言ったのは父だった。だから、信頼できない妖には名乗ってはならないよとも注意されていたし気をつけている。
「凛兎だ」
ちょっぴり強引なところはあれど兒玉くんも言っていた通り、邪な気配はしない。彼女は本当にただ、俺に聞いてほしいことがあるだけなのかもしれないと思った。
「あら、かわいらしいお名前ですこと。じゃあ、リトさん。立ち話もなんですから、腰を据えてお話ししましょう」
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