4.
「私たちにとって一番大事なのは私達の生きる人間世界なの。秩序を乱す妖は壊して当然。むしろ感謝して欲しいくらいだわ。私のおかげで、妖は暴走せず、あの人は助かったのだから」
ゆかりさんは視線を動かした。俺も辿れば、先の女性がいた。砂浜を歩くその人はもうずいぶん遠くに行っていた。
「力も持たないのに変にでしゃばるもんじゃないわよ。いえ、でしゃばってもいいけれど、私のいないところでしてちょうだい。目の届くところで死なれたら私達の失敗にされちゃうもの。死に急ぎ野郎のせいで罰を被るのはごめんよ……なるほど、だから哉世先輩も似合わない部活をはじめたってわけね」
「え……?」
ゆかりさんが意味深な笑みを浮かべた。
「祓い屋にとって人間に被害を出すのが一番の禁忌なの。勿論全人類なんて救えないけれど、それでも目の届く範囲にいるあなたを死なせてはならない。同じ学校にいるってだけで十分にその対象だし、守れなかったら罰が下される。割に合わないわよね」
はじめて知ったことだった。茫然とした。口の中がからりと乾く感覚がした。
「本当、哉世先輩は人が良くて運が悪い。あいつみたいな愚か者やあんたみたいな錘のせいで地べたを見せられて……ほんとうはすごいひとなのに」
ゆかりさんが低く静かに言った。「目の呪いさえとければ、あの頃の哉世先輩を取り戻せるのに」
日中の言い合いだと嫌いあっているように聞こえたけれど、そうではないのだろうか。
「あんたは、鷹楽くんの呪いを解くためにここに来たのか」
ここに足を運んだのは鷹楽くんのせいだと彼女は言っていた。祓い屋界隈の複雑な事情はわからないけれど、しかし今に垣間見た彼女の鷹楽くんへの思慕を考えると、鷹楽くんのためも含まれているように感じた。
鷹楽くんはもともと呪いを解くためにこの街に来た。この街には、祓い屋一堂が目をつけるほどの、解呪にまつわるなにかがあるということなんじゃないか。
それはなんなんだ――そう尋ねようとしたのに、しかし、
「な、ななななななななななななにバカなこと言ってんの⁉︎」
素っ頓狂に叫んだゆかりさんの顔は茹蛸みたいに真っ赤に染まっていた。
「べ、別に、哉世先輩のためなんかじゃない変なこと言わないでちょうだい私がここに来たのはあくまで彼の監査であってそのついでに彼の呪いも解けたらいいなとは思っているけれどそれはあくまで祓い屋界隈の底上げのためであって決してかれのためなんかじゃないんだから!」
立板に水、のべつまくなしに彼女は言うと分と鼻を鳴らして身を翻し、どすどすと砂を踏んで遠ざかった。残されたともりくんを見ればちょうど目が合ってしまい、へこへこと頭を下げられる。
「す、すみません。ゆかり……姉はちょっと情緒不安定なところがあるんです」
それはまぁ、見てればなんとなく分かるし、出会って間もないながらそれの一番の被害者は彼なんじゃないかとすら思うが。
もしかして鷹楽くんのことを尊敬しているだけでなく特別な好意も抱いているのかもしれない。まぁ、関係のないことだけれど。それよりも聞きたいことがあった。
「鷹楽くんも呪いを解くためにこの街にきたって言っていたけれど。この街に一体何があるって言うんだ」
ともりくんは困った顔をした。
「そ、それは……」
「話せないことなのか」
「ち、違くて……ぼ、僕たちもよくは知らないんです」
「は?」
「おい」
凛とした低声が割って入った。俺とともりくんが揃って向いた音の先には、鷹楽くんが立っていた。
「お前ら、何してる」
「な、何も、してないです」
「何もしてないことはないだろ。部屋に戻ったらお前はいねぇわ、女の叫び声が聞こえるわ……術の気配がここに残ってるわ」
「そ、それは……暴走しそうだった妖を払っただけです……あ、えっと、僕じゃないですよ、ゆかりがしたんです」
おどおどとするともりくんに、鷹楽くんが大きくため息を吐いた。
「お前いい加減腰巾着やめたら。十分力もってんだから」
「う……」
「まぁ、どうでもいいけど……ところで、百々瀬先輩」
「え、なに」
「風呂のお湯出しっ放しで外に出んな」
「あ」
すっかり忘れていた。
「まだ風呂入ってねぇんだろ。とっとと部屋戻るぞ。お前もとっとと失せろ」
「は、はい。失礼します」
ともりくんはまたへこへこと頭を下げると、駆け足でゆかりさんの跡を追った。
俺と鷹楽くんも宿までの道を歩き出す。
「それで」
鷹楽くんが静かに、少し不機嫌に問う。
「なにがあった」
「ともりくんが言っていた通りだよ。暴走しそうな妖がいて……駆けつけたところで、ゆかりさんが」
祓った、問おうとして、しかし躊躇いが唇を重くした。俺にとって妖を祓うという行為は昔から、妖を元のあるべき形に戻すものだった。だから、あれを祓うと呼ぶのは、なんだか嫌だった。
「あいつが祓うところを見たのか」
浅く頷く。鷹楽くんがわずかに眉間の皺を濃くする。
「なぁ」
「……なに」
「コワシに祓われた妖はもう元には戻らないのか」
答えはなんとなく分かっていた。聞かずにはられなかった。
鷹楽くんは少し間を置いてから「戻らない」と答えた。
それからしばらく無言が落ちた。あの光景を思い出したくなくて、けれど忘れられなくて、俺は歯を噛み締めた。
宿泊部屋にもどったとき、鷹楽が再び口を開いた。
「あいつら……まぁ、大概はゆかりの方だろうが。何か言われたか」
俺はすぐには答えられなかった。
いつの間にか溺れていた自惚れに気づいてしまった。
茅ヶ崎くんの件を経ても、鷹楽くんとの距離が縮まっても、鷹楽くんが我が部に入部した理由を忘れていたわけではない。彼はもともと叔父である真司さんに命じられて我が部に来た。だが、ゆかりさんの話を受けてある可能性に気づいてしまったのだ――あのとき、真司さんの命を存外あっさり受けたのは、俺が視えるうえにでしゃばりだから、罰を受けたくないためにも放っておくわけにもいかなかったから、止むを得ずの結果だったのではないか、と。
胸の中はぐちゃぐちゃとしていた。
仕方ないことだとも思った。何を今更だとも思った。だからどうしたとも思った。寂しいとも思った。そしてやっぱり、安堵している自分もいた。
この距離感がちょうどいいのではないかと思う。俺が友達になりたいと思い続けるだけの距離。鷹楽くんが仕方なくも部員でいてくれる距離。
彼のことを知りたいと、彼のうちに踏み込みたいと思いながら、しかし踏み込んではならないとも思う。それは、嫌われたくないと言う望みの一方で、もし彼が俺を受け入れてしまったらと考えるからだ。そうなったら俺は――いつか彼を傷つける。
友達になりたいと思う。
むかつくこともあるし、デリカシーがないなと思うこともあるけど、それでも、彼のあり方や強さを尊敬する。きっと、妖絡みのことがなくとも、彼とかかわれば憧れたとも思う。
だから、友達になりたいと思う。
けれどその権利が俺にはない。
「何も言われてないよ」
俺はそういう呪いにかかっている。
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