5.

 海の家でのアルバイト二日目はつつがなく終え、三日目も相変わらずの晴天で客入りは多く昨日とほぼ変わらない流れだった。

 すっかり慣れた作業にしかし雑にならないようにきちんと引き締めながらもテンポよく捌いていき、昼のピークを過ぎて客足が落ち着きそろそろ休憩というころに文香さんが現れた――水着を纏った小さな男の子と手を繋いで。

「……人攫い?」

「殴るわよ」

 文香さんはにっこりと恐ろしい笑みを浮かべた。

「少年たち、この子のお母さんを探してあげてちょうだい」

「え?」

「は?」

 お母さんを探してあげてって。

「迷子って事ですか?」

「こいつらが君のお母さんを探してくれるからね。ほら、自己紹介して」

 文香さんがにぱっと笑う。

 俺たちの呆然の声が重なる。

 男の子はビニールのおもちゃを手にこてんと首を傾げた。

「なつのゆうき。五歳」

 言葉とともに立てられた指は三本だった。

「あの、俺たち海の家の仕事あるんですけど……」

「もともと今日はこのあと遊ばせてあげる予定だったのよ。ほら、せっかく海水浴場に来たのに焼きそば焼くだけ焼いて帰るなんて味気ないじゃない? 青春的に」

 青春的にって。

「けど迷子ちゃんが見つかっちゃったからさ。凛兎、あなたの所属している部活の名前は?」

「え、よろず倶楽部?」

「そう。困っている人を助けるのが、あなたの部活の仕事。ということで、遊ぶ前にこの子のお母さん見つけてちょうだい。解決したら、自由行動していいから。あ、お店の方は私と澪に任せてね」

 別に遊ばなくても、とか、焼きそば焼いている方が気が楽、などと反論する余地は与えられなかったし、実際、困っている子どもを放っておくわけにもいかない。「ほら言った言った」と文香さんがゆうきくんの手を俺の手に繋ぎかえ、背を押した。

 ちらりと鷹楽くんを見れば、呆れ諦めたように肩を竦めていた。

「さっさと見つけるぞ」

「そうだな」

「おいガキ。親の特徴を教えろ」

「鷹楽くん……」

 鷹楽くんの不遜な物言いに、しかし子供は動じず「えっとね、うんとね」と繰り返してから、

「ぼくより、大きい」

 と答えた。前途遼遠だ。

「……年齢は」

「お兄ちゃんたちより、おばさん!」

「そうじゃなかったらびっくりだわ」

「あ、あとね。あとね。お肌が黒いよ。そっちのお兄ちゃんと一緒にいたら、オセロができそう!」

 ゆうきくんは鷹楽くんを指差した。

 夏休みを経ても、二日間海の家で働いて日に晒されていても、鷹楽くんの肌は相変わらず雪のように真っ白だった。日に焼けないどころか、赤く炎症を起こしている様子もない。もしかしたら徹底的に日焼け止めを塗っているのだろうかとも思ったのだが、同室で過ごしていてもそんな様子はまったく見られないから体質なのかもしれない。

 が、鷹楽くんはそれを指摘されるのをあんまりよく思っていないのか、それともまたヒントにならないと思ったのか。白い眉間の皺をいっそう濃くして「そりゃあここにいる客の三分の一が日に焼けてるわ」とぼやいた。

「ゆうきくん、お母さんの髪型とか、あー……服か水着の柄とか覚えてる?」

「ママはねぇ、頭の上にまん丸のお団子乗せてる。水着の柄は、お花がいっぱい!」

 ううん。

 ちょっとだけ的が絞れた気もするが、本当にちょっとだけだ。そんな格好の人たちもこの広い海水浴場にはわんさといる。

「ていうか、ここ迷子センターとかないのかな」

「ないから俺らに押し付けたんじゃねぇのか……多分」

 考えなしに任された線を疑うような声音に、たしかにあり得そうだと苦笑しつつ、とりあえず動かないことにはどうにもならないだろうと砂浜を歩き回った。

 迷子センターは結局見つからず、スタッフなどに聞き込んでも心当たりがないと言う。

 しばらくして、ゆうきくんが「つかれた」と沈んだ声を上げたので、ぱっと目についたパラソルが立った日陰になるベンチにひとまず座った。

 と、鷹楽くんだけが立ったまま、海辺の方に目をやった。

「向こうもこいつを探して歩き回ってるかもしれない」

「ああ、たしかに。ありそうだね」

「すれ違いになったら面倒だし、お前らはしばらくそこ休んでろ」

 はぐれた双方が動き回っていたら、再開するのはたしかに困難だ。しかし、鷹楽くんも疲れているだろうに任せてしまうのは心苦しかった。

「それなら俺が」

「お前は仮に母親見つけてもここに戻ってこれねぇだろうが。方向音痴」

 正論で一蹴された。その通りだ。

 結局、俺はゆうきくんと大人しくベンチに座って、鷹楽くんの帰りもしくはゆうきくんの母の訪れを待つことにした。

「ねぇねぇ」

 ゆうきくんが足をぶらつかせながら、俺を仰いだ。

「なに」

「お兄ちゃんと、あの白いお兄ちゃんはお友達なの?」

「同じ部活の生徒だよ」

「部活? お友達じゃないの」

無垢な顔がきょとんと傾く。俺はちょっぴり、苦く、淡く、笑う。

「……お友達になれたら良いな、とは思ってるけれど」

「お友達になろうって言ったらなれるよ」

 そう簡単な話でもないんだよなぁ。ただでさえ言語化し難い思いと縺れを、しかしこんな幼い子供に打ち明けるわけにもいかず、俺は「そうだといいな」とだけ答えて、誤魔化した。と、ふいにゆうきくんが顔を俯かせた。

「ぼくね。すごい仲の良いお友達がいるの。でもね、小学校は別になっちゃうんだって」

 その瞳にはどうしようもない寂しさが宿っていた。

「ずっと一緒にいたいのに。離れ離れになるの、嫌だな」

 どう慰めてあげればいいのか俺に分からなかった。

 大切な人と離れ離れになりたくない。その気持ち自体は、とても共感できる。だが、それを癒す術を俺は知らない。

 現に、俺は癒えていないから。いまだに、受け入れられていないから。

 それでも陰った彼の顔をどうにか照らしてあげたくて言葉を探しているうちに、しかし、彼は自らぱっと顔を上げた。

「だからね、プレゼント交換をする約束したの。それでね、かわいい貝殻集めたの。ほら」

 ゆうきくんは水着のポケットからいくつかの貝殻を出した。ミルクのような滑らかな白や、空を写したような空色の、たしかにかわいらしく美しい貝がそこにはあった。

「遠い知らない街に行っても、すぐに見つけ出せる、お友達だって印を作るの」

「そっか。それは、素敵だね」

 答える裏で、どうしてかつきりと頭が痛んだ。夏の砂浜を歩き回った疲労故か……いや、違う。俺も、昔誰かとそんな約束をしたような、そんな覚えがある。けれど、一体誰と。

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あやかしの街よろず倶楽部 爼海真下 @oishii_pantabetai

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