2.

 ついに昼になれば盛況になったが、その頃には調理にだいぶ慣れて、スピードも求められるようになってきた。客の行列は眩暈がするほどに伸びたが、それをてきぱきと捌いていくのは結構楽しかった。

 文香さんの目論見通り、鷹楽くんはとても女性にモテていてナンパしようとする客や、作業が少しでももたつけば短気を露見させる客もいたけれど、幸いクレームを言ってくる人はいなかった。前者は鷹楽くんが淡々とあしらっていたし、大抵の人は遊びにきたということもあってか楽しげな雰囲気の温和な態度で接してくれていた。

 それでもピークが過ぎればどっと疲労が押し寄せた。澪さんや駆けつけてくれた彼女の友人とそれぞれ交代して一時間ほど休憩を取ってから、昼下がりのまばらになった客足に応対した。

 そんな中で、ある海水浴客が目についた。鷹楽くんに次いで休憩から戻ってきたら、海に似合っているような不似合いのようなセーラー服を纏った中学生くらいの男女が海の家の方をじっと見つめていた。黒髪を高いところで結わえたポニーテールに切長の瞳をした凛とした雰囲気の少女は膝下までのプリーツスカート靡かせ、少し垂れ目のどこから心もとない印象の男子の方はスラックスを履いているから学校の制服のようだ。ここいらでは見ないから、遠くから来たのだろか。だが、わざわざ制服でなぜここに来たのだろうか。

「あの子たち、焼きそば食べたいのかな」

 客が途切れたところで鷹楽くんに囁けば、鷹楽くんはなぜか苦い顔をした。もしかして。

「知り合い?」

「……知らない」

「知らないなんて、酷いですね」

 少女の方が少しだけ声を張った。知らないと言ったはずの鷹楽くんが「相変わらずの地獄耳め……」と呟いた。

 二人はゆっくりとした足取りで砂を踏んでこちらに近寄ると、鷹楽くんを見つめた。

「お久しぶりです、哉世先輩」

「お、お久しぶりです」

 印象通りに、少女は凛と、少年はどこか気弱に鷹楽くんに声をかける。それから、俺の方を見た。

「あなたは……哉世先輩のご友人で?」

「同じ部活の、一応先輩、ですけど……」

「部活。哉世先輩が、部活」

 少女は瞬くと、くすくすと笑った。

「すみません、哉世先輩にあまりにかけ離れたワードだったので……ああ、申し遅れました。私は、喜多村(きたむら)ゆかりと申します。そしてこっちは私の双子の弟のともりです」

 紹介された少年はへこへこと何度も頭を下げた。

「鷹楽先輩とは古くからの付き合いでして」

「えっと……幼馴染、みたいな?」

「まぁ、そんなところです」

 だとしたら、もしかして彼らも――。

「お前らと馴染んだ覚えはねぇよ」

 鷹楽くんは忌々しげに眉間に皺を寄せて、舌打ちした。

「お前らなんでここにいる」

「中学生が夏休みに海水浴女に遊びに来てはおかしいですか」

「そんなたまじゃねぇだろ。お前ら。仕事か」

「さぁ、どうでしょう」

 そっと瞳を細めて躱すゆかりさんを鷹楽くんは睨んだが、噛み付くことはしなかった。

「どうでも関係ないが、俺はお前らと話すことも話す気もない。焼きそば買うわけじゃねぇならとっとと失せろ」

「買います!」

 そのとき、しばし静観していたともりくんが食い気味に口を開き手を挙げた。が、どうしてかゆかりさんはそれを睨んだ。喜多村くんはびくりと身を震わせながら、

「焼きそば……食べてみたいから……」

 おずおずと言った。

 俺はそれにちょっぴり驚いた。焼きそばを食べてみたいということは、焼きそばを食べたことがないのだろうか。いや、海の家の屋台のものを食べたことがないだけかも知れない、けれど。

 夏休みに入ってすぐに部室の夏季清掃として集まった。その帰りに文香さんが奢ってあげるとファストフード店に連れて行ってくれたのだが、入った店内を物珍しげに眺め、少しだけ緊張したような態度で注文して、ハンバーガーを一口食んで瞳をきらめかせた。文香さんが「なにその新鮮な反応」と笑ったら「こういうところ来たの初めてだから」と鷹楽くんはむっとして応えた。俺と文香さんはびっくりして思わず顔を見合わせたほどだった。

 もし、鷹楽くんの幼馴染……古くからの知り合いである彼らが、鷹楽くんと同じ祓い屋だとしたら――仕事などと話していたからほぼ確信に近いが――彼らもまた、一般社会に疎いのかもしれない。それが名門故か、それと祓い屋としてなにか規則があるためかは知らないが。いや、でも焼きそばくらいは鷹楽くんも知っていたし……。

「……五百円」

 鷹楽くんがぶっきらぼうに紡いだのを聞いて、俺ははっと焼きそばを調理にかかる。その間にちらりと前を向けば、ともりくんはわたわたとポケットから財布を取り出し、ゆかりさんは深々とため息を吐いた。

「ともり。何勝手なことしてるの」

「だ、だって……」

「私たち遊びに来たわけじゃないのよ」

「へぇ、遊びに来たわけじゃねぇのか」

 すかさず言葉尻をとった鷹楽くんに、ゆかりさんは一瞬罰が悪そうに顔を顰めたが「そりゃあそうでしょ」と開き直った。

「私たちがここに来たのはあなたのせいです」

「上のやつらに様子を見てこいとでも言われたのか」

「……この街が禁則の地であることを知らないわけじゃないでしょう」

「理由を何も教えてくれない、あんな気持ち悪い規則なんざ知らねぇな」

「理由を教えてもらえなくても、上が決めたことは絶対です。それをどうにかしたいなら、トップにでも立てばいいんじゃないんですか。まぁ、その目じゃ無理でしょうけど」

 一瞬、手が止まった。あまりに容赦なく侮辱的だった。反射的に隣を見れば、鷹楽くんは激昂することなく、顔に不快を浮かべるだけで静かだった。それにむしろ、鷹楽くんはこの街に来るまでこういった冷笑をさんざんに浴びてきたのかと想像させられた。

「あの」

 だから、つい、口をついて出た。

「鷹楽くんのこと悪く言わないでください」

 三人が揃って瞬く。俺が口を出すことじゃない、とは思うけれど、それでも、友達になりたい相手のことを笑う人を許せなかった。

「あなたには関係のない話です」

「鷹楽くんは十分に優秀です」

「はぁ?」

「鷹楽くんは何度も、俺を助けてくれました」

「……あなた、もしかして」

「ゆかり」

 一音一音の輪郭がはっきりとした、鷹楽くんの声が俺たちの間を裂いた。

「関係のない話だって自覚があるなら、こんなところでするな」

 ピシャリと鷹楽くんが告げると、ゆかりさんが肩を震わした。怒りのためかその顔がわずかに赤く染まり、わなわなと唇が震えた。けれど、罵詈雑言などは放つことなく、きっと眦と唇を引き締めると、踵を返した。

「ともり、行くわよ」

「あ、え、でも、まだ焼きそば」

「ともり!」

「は、はい!」

 早足で先をゆくゆかりさんを、ともりくんが追いかける。たまにちらちらと惜しげに焼きそばを見ては、ゆかりさんに叱咤されていた。

「あの二人も祓い屋なのか」

 率直に聞けば、鷹楽くんは少しの間を持ってから「まぁな」と答えた。

「仲、良くないのか」

「ぼんやりしている弟と強気な姉なんて相性悪そうだろ、いかにも。まぁ、昔はあそこまでじゃなかったと思うが」

「そうじゃなくて、鷹楽くんと彼らが」

 鷹楽くんはちらりと俺を見るとまた、

「まぁな」

 とだけ答えた。それからしばしの無言が落ちた後に、

「お前はあいつらと関わらない方がいい」

 とも言った。その理由は教えてくれなかった。

 先に鷹楽くんがゆかりさんに放った言葉を反芻する。

 関係のない話。

 たしかに、俺自身は祓い屋ではないし、その界隈のいざこざにはなんら関係はない――鷹楽くんが他の人とどう付き合っているかは俺には関係はない。それでも、寂しさを覚える。鷹楽くんと出会ってから、邪険にされるとも違う、じんと鈍く響くような、胸に小さな穴が開いて空っ風がそこを抜けていくような、今まで知らなかった感覚がする。

 俺が鷹楽くんと親しみたいと思っているからか、ここ最近は近づけたと思っていた反動なのか。

 いく宛のない切なさには蓋をして。いく宛のなくなった焼きそばは、ちょうど学校の用事を終えて戻ってきた文香さんが美味しそうに平らげた。

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