あやかしの街よろず倶楽部

爼海真下

プロローグ

——君はきっと怒るだろうけれど、俺はあの日の選択を、決して後悔しない。





「人だから善とは限らず、妖だから悪とは限らない。結局はそのものの心のあり方次第だ」

それは、たしかにそうかもしれないと思った。

「君に意地悪をする誰かもまた誰かのことを大切に思っているかもしれない」

それは、ずいぶんとお人好しな考え方だと思った。

俺に後ろ指をさした同級生たちにも、俺を心配するふりをして陰で悪口を言った小学校の先生にも、もしかしたら俺の足を引っ掛け悪戯した妖にも——彼らに俺にとっての両親のような大切な存在がいたところで、その相手にはやさしく接していたからって、だからなんだっていうんだ。だからって俺に意地悪をしていいわけじゃない、俺を傷つけたことを許せるわけじゃない。

俺は見えるままを話し、感じたことに応えているだけだった。素直に生きているだけだった。なのに、どうして疑われて、笑われて、意地悪をされなくちゃいけないのか。こんな目に遭うくらいなら、こんな目を持たなければよかった。

悲しくて、悔しくて、ついに学校に行くことを拒んだ昼間にぽたぽたと涙を流すと、父は俺の頭をそっと撫でた。

「それなら、凛兎(りと)は誰のことも信じられる子になりなさい。凛兎は誰のことも慮れる子になりなさい。目にうつるすべてに、心を向けられる子になりなさい」

「どうして。どうして俺にやさしくない世界に、俺がやさしくしなくちゃいけないの」

「やさしくないからだよ」

父はそっと微笑んだ。

「世界はやさしくできていないから、君が誰かに想って欲しいのならまずはお前から働きかけなくてはいけない。お前が、お前のためのやさしい世界を作るしかないんだ」

そうは言っても、働きかけたことに応えてもらえないのは辛い。勇気を出して遊びにまぜてと何度も声を掛けたけれど、お前は気持ち悪いから嫌だと何度も断られた。

頑張っても報われず邪険にされるくらいならば、もう二度と家から出ないで、誰ともかかわらないで生きていった方がしあわせなんじゃないかと思う。傷つくのはもう嫌だ。

そう言えば、父は首を横に振った。

「そんな寂しいことは言うものじゃない。ひとりはとっても寂しいんだ。大丈夫、君が誰かを大切にすれば、たくさんの友達は出来ないかもしれないけれど、それでもこいつさえいればなにも怖くないと思える親友のひとりやふたりはできる。父さんが保証する。父さんもそうだったから」

そのとき、ある記憶がぼうっと脳裏に過ぎった。

ずっと前にたった一度だけ、俺の言葉を信じてくれた、俺と同じ景色を見ていると話してくれた人に出会ったことがあった。それはあまりにおぼろげで夢か現実だったのか分からない記憶だ。それでも、ぼやけたその景色や音を思い出すだけで、いつも心があたたかくなった。

勇気を奮いドアを開けて外に踏み出せば、いつかまたそういった出会いもあるだろうか。

辛いのも悲しいのも嫌だけれど、もう傷つきたくなんてないけれど――それでも本当はずっと、友達が欲しかった。信じてくれる誰かに、俺と手を繋いでくれる他人に出会いたかった。

涙に濡れた眼を手の甲でぐしゃぐしゃと拭い、父の裾をきゅっと掴んだ。

「……もうちょっとだけ、がんばってみる」

鼻を啜りながらそう言えば、父は嬉しそうに、誇らしげに、微笑んだ。

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