9.

訪れた週末、また二一時半に駅で待ち合わせをしていた。俺と鷹楽くんが先に合流し「今日っはあいつ連れてないのか」「用事があるらしくて」なんて言葉を交わした五分後、約束の時間ぴったりに茅ヶ崎くんが改札を潜ってきた。その後ろには、ナノコが変身し手見せてくれたのと全く同じ姿をした少年がいた。ただ、あんな明るい表情ではなく、俯いたままぶすくれていたが。

「こんばんは……ほら、颯(はやて)も挨拶しなさい」

「……こんばんは」

「こんばんは。百々瀬凛兎です」

「鷹楽だ」

颯くんはちらりと鷹楽くんを見てから、わずかに肩を振るわし目を背けた。鷹楽くんは少しむっとしたようだが、文句は言わず鼻を鳴らすだけに留めた。

「茅ヶ崎くんすごい荷物だな」

「だ、だって、何があるのか分からないじゃないですか。塩と懐中電灯と、いざ遭難した時のための食糧といろいろ用意してきたんです」

「廃校でどうやって遭難すんだよ……」

駅を出てそれぞれ傘を差して歩き出す。茅ヶ崎兄弟は布の傘で、俺と鷹楽くんはビニール傘だった。今週はずっと雨が降ったり止んだりとパッとしない天気だ。雨は別に嫌いではないけれど、こうも続くとさすがに日が恋しくなる。日課のラジオ体操も最近は室内でしているし、猫たちも遊びにきてくれないから、お腹をすかしてはいないかと心配だ。

そんな雨天のせいか、たどり着いた廃校は以前よりも禍々しい雰囲気を醸し出していた。茅ヶ崎くんを見れば案の定竦み上がっていた。

「ほほほほほんとうに、この中、入るんですか」

「入る」

「ぼ、僕は外で待ってたりしては、っていうか、なんで鷹楽くんそんな格好を」

「うるせぇ、腹括ってとっとと行け」

例の如く真紅の羽織を纏った鷹楽くんに膝裏を蹴られバランスを崩した茅ヶ崎くんがとっとと学校の敷地内に入っていく。容赦ないなと思いながら俺も後に続こうとしたとき、くいと袖を引かれた。颯くんだ。

「どうしたの」

「……百々瀬さんたちが、お兄ちゃんから颯の話を聞いて、お兄ちゃんと颯をここに誘ったて聞いた。……信じるの」

「信じるよ」

間髪入れずに答えれば、颯くんはわずかに目を見開き、もにょりと唇をうご描いてから、俯いた。

「同情……?」

「そんなんじゃないよ」

「じゃあ、もしかして、幽霊、視えるの」

「視えるって言ったら信じるか?」

颯くんは瞳をぱちぱちと瞬かせた。それは夜に煌めく星のようだった。信じ難いけれど、もしそうだったら素敵だとでもいうような。

「颯くんはここでなにを視たんだ」

「……一瞬、一瞬だけだけど、女の子みたいなものを見た」

「うん」

「廊下の遠くにいて。けれどまばたきしたら、いなくなって。次の瞬間にあちこちの教室のドアが一斉に開いたんだ」

……そこそこ怖い悪戯してるな、ナノコ。

「びっくりして、逃げちゃったけど。でも、本当に幽霊はいるんだって、嬉しくて、嬉しかったのに、誰も信じてくれなくて」

きゅうっと俺の袖を握りしめる颯くんの眦にはほんの少しだけ涙が滲んでいるようにみえた。やがてはっとしたように「ごめんなさい」と袖を離した彼の頭に、そっと手を乗せてみる。

「信じるよ。幽霊にまた会えて、お兄ちゃんも、きっと信じてくれる」

颯くんはまたぱちりと瞬き「うん」と小さく頷き「会えたら、お兄ちゃん、失神すると思うけど」とちょっぴり毒づいた。それくらいの元気ぐらいはあるようで安心した。

学校の中に入ると、茅ヶ崎くんはびくびくとしながらスマートフォンで当たりを照らす鷹楽くんの後ろにはりつき、俺と颯くんは並んで歩いた。

ナノコには近いうちに連れて来れるとは思うとは伝えていたが、どこで落ち合おうなどと話していない。とりあえず、前回最後に別れた四階の教室に向かうことにした。

「うう……なんか出そう」

「お前マジで幽霊信じてるのか信じてないのかどっちなんだよ」

「だ、だからぁ! 信じてなくても怖いもんは怖いし出そうなもんは出そうじゃないですか!」

「訳分からん」

鷹楽くんは呆れたように反目になりながら、たどり着いた教室のドアを開けた。

そこには、かわいらしい小学生の女の子――ナノコがいた。教卓の上に座っていた。

鷹楽くんの纏う雰囲気に緊張が走る。茅ヶ崎くん兄弟は何も感じていないようだった。ナノコは颯くんを捉えると、目を丸く見開き、みるみる頬を染めた。

「あ……あ……」

華奢な手で自分の頬を包み左右を見渡したかと思うと、今ようやく見つけたと言わんばかりに俺を見た。

「り、リトさん」

「彼で合ってるよな」

ナノコがこくこくと必死に頷く。ひとまず、暴走する気配はなく安堵する。

と、茅ヶ崎くんたちが訝しげな視線が突き刺さる。予想していた、慣れた視線だ。彼らからしてみれば俺は突然空間に問いかけを発した変人なのだから。

「そこにお前らのいう幽霊がいる」

と、鷹楽くんが説明しても二人の訝りは強まるばかりだ。

「いやいやいやいやいや、そんな雑なふりあります? こんなんで信じるほど馬鹿だと思われてます? 僕」

「ふりじゃねぇ本当だ」

「ナノコ。あー……軽め、軽めの悪戯、見せてくれないか。彼はナノコのこと捉えられないから。あんたがいることを示してくれ」

ドアを一斉に開けたりしたら颯くんの言った通り、茅ヶ崎くんが失神しかねないし、と頼んでみると、ナノコは是非と言わんばかりに食い気味に、ぱちんと指を鳴らした。

すると、教室の窓が一斉に開いた――いや、颯くんにした悪戯と変わんねぇー! ……と思うも、あれもナノコからしてみれば軽いの部類だったのかもしれない。

茅ヶ崎くんは盛大に飛び跳ねると、鷹楽くんの足元にしゃがみ込んで震え出した。

「なんですかなんですか、これ、あ、もしかしてあれですか、あなたたちが僕らが来る前にどっきりの仕掛けをセットしたとか、そうでしょ、絶対そう!」

「誰がそんな面倒くせぇことするかってんだ」

「じゃないとおかしいでしょう!」

喚く茅ヶ崎くんを鷹楽くんが面倒臭そうにあしらう一方で、颯くんは目をまん丸に見開き、ぱっと俺の方を見た。

「本当に、いるの」

期待が滲んだ声に、なるほどこの悪戯で正解だったのかもしれない、きっと颯くんが初めてナノコと遭遇した時の景色と重なったのだろうと思った。

「百々瀬さんは本当に見えるの」

「え、え、なに、なにってるんですか、颯も、も、百々瀬先輩も」

「茅ヶ崎うるさい」

「お兄ちゃんうるさい」

クールな二人から注意を受ける茅ヶ崎くんに苦笑し、俺は颯くんに頷いた。

「視えてる。実は君が会ったあや……幽霊から、君を連れてきてって頼まれたんだ」

「颯を? どうして」

「ハヤテ……ハヤテさんとおっしゃますの、とてもとても素敵なお名前」

静かなしみじみとした声にはっとして向けば、ナノコが熱に蕩けた眼差しで颯くんを見つめていた。

まずいかもしれない。

名前は一番身近な術である。先日の際にはナノコは無害だと思い俺は名乗ったが、本命の颯くんはまた別だ。恋というのは厄介で、ときに持ち主をとんでもない方向に突き動かすパワーを持つ。

最初に注意しておくべきだった、と後悔してももう遅い。

颯くんの名前を知られたことに気づいたのだろう、鷹楽くんも懐に手を突っ込んで迎撃体制をとる。

「ナノコ、落ち着け」

「落ち着いてますわよ……」

「そんなん言っても、霊気が乱れてるじゃないか。なぁ、危害を加えないっていったよな」

「ええ……ええ……」

「あんたの思いは俺が伝えてやるから、だから」

「ねぇ、リトさん」

ナノコが教卓から降りる。一歩、一歩とこちらに近づいてくる。俺は颯くんを背にして後ずさる。

「なんで隠すんですの」

「ナノコが近づいてくるからだろ」

「愛しい殿方のお顔を見せてくださいませ」

「お前が足を止めたら見せてやる」

「ねぇ、リトさん」

ナノコが足を止め、俺をまっすぐに仰いだ。

「好きな相手と同じ存在になりたいと思うのはいけないことかしら」

昂るナノコの霊気が真冬のような冷たい風を起こす。突然巻きこった現象に茅ヶ崎くんが「ヒィィッ」と声を上げついに腰を抜かす。颯くんもさすがに怯えた表情をする。

「ナノコ!」

縦に巻かれた髪を靡かせる少女が、ほほえむ。

「――なんて、冗談ですわよ」

え、という間に、風が止む。呆然とする俺たちをよそに、ナノコは髪とスカートを手で整えた。

「言ったでしょう。私は好きな相手の幸せを願えるとも。忘れていたんだか、それとも信用されていなかったんだか。〝しょっく〟ですわ」

ナノコがわざとらしく悲しげな表情を浮かべる。そうは言ったって、と俺は思う。恋の力は恐ろしいし、今のは状況を鑑みても冗談と受け取り難いだろ。

「どういう状況だ」と怪訝に問うてくる鷹楽くんに「悪戯の延長だったらしい」と答える横で、茅ヶ崎兄弟は困惑しきっていた。

疲労感を覚えながらナノコと向き合えば、悲壮感は既に引っ込んでいて、平生通りのにこやかさが浮かんでいた。

「それじゃあ、気を取り直して」

「あんたが言うか」

「リトさん。約束通り、私の思いをお伝えくださいませんか」

さんざん振り回しておきながら、と思うものの恋を語る声音や微笑みだけはあまりにやさしくどこか健気なせいで、どうにも、どこか憎めない。変身してる少女のかわいらしさの力というよりかは、ナノコがそういう性質なのだろう。

「……もう悪戯はやめろよ」

「分かっておりますわよ」

「それで、なんて伝えれば」

「まずは私の手をとってくださいまし?」

「は? なんで」

「私の思いを彼に伝えるために大事な過程ですわ」

ひらりと差し伸べられた手に訝りながらも、おずと己の手を重ねれば、ナノコは、

「あなたって警戒心が強いのか薄いのか分かりませんわね」

と苦笑した。

「は?」

「二度あることは三度あると言いますわ」

「なに言ってんだ」

「まぁ、そういうわけで。さっそく、お借りしますわね」

いや、借りるって、なにを。

そう困惑する間に、ナノコが俺の手をぎゅうと握った。そしてなにか温かなものが俺の中に流れ込んでくると同時、ふっと意識が遠のいた。間際に、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。

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