2章 呪い
1.
「リトにもついに人間のお友達ができるのね」
と、小さな白い狐のような妖のキタがしみじみと赤い木の実を剥く。
「いやいや気が早いだろ。リトは人間なのに人間とかかわるのが下手からなぁ。そいつと出会ったのは先週のことなのだろう? だのにせっかくの〝ごーるでんうぃーく〟になんの予定もなく昼間っからオレらの宴に参加しているんだぞ、こいつは」
と、黄色く丸いフォルムに目がひとつだけある妖のヒトツメが笑う。
「ヒヒ、笑ってやるな。リトだって一時期は休日にどこかにでかけていた頃があっただろう。たまに、だったが。あれは去年だったか、一昨年だったか」
と、頭は牛、体は馬、尻尾はチワワのような大きな妖のウシアタマがふしゅうと鼻を鳴らす。
「中学三年のときでしょ。百々瀬くんは今高二だから、二年前…… あ、でも、百々瀬くんダブりだったね。じゃあ、三年前か」
「でも一月とか二月とかも含めたらやっぱ二年前?」と、紺のブレザーをその身に纏った中学生のような妖の兒玉くんが指を折る。
「お前らそう意地悪を言ってやるな。リトも、同胞の友というものはいいものだ。お前が気になるというのなら歩み寄ってみるべきじゃよ」
動物園にいる方ではなく伝説に出てくる麒麟のような形をした長老で愛酒家な妖のチーリンが酒を啜った。しわがれた声は相変わらずアルコールにぼやけて、頬はほんのりと赤かった。
ゴールデンウィークの折り返しとなる今日、俺は兒玉くんに誘われて妖たちの宴に顔を出した。
大した長期休みでもないのに各主要科目からゴールデンウィーク課題という面倒なものが山と出されており、先月は授業についていくのが精一杯だった身としては進捗は芳しいとは言えない。だが、気分転換も大事である。それに、そもそも数少ない友人たちの誘いは嬉しいから滅多に断ることはない。
ただ、彼らの縄張りは近所だから外に出れば高確率で誰かしらと会うし、妖たちには仕事というものはないようだから日頃から集まっては飲んだり食べたり喋ったりしている。なのに、なぜわざわざ宴と称した会を開くのか、よく会う俺を誘ってくれるかは、いつも不思議だ。前にそれを尋ねた際には「宴は宴で別物なんだ」と押し切られたが。
そして宴がほどほどに進んで、俺も持参した水筒のウーロン茶がだいぶ減った頃。唯一縄張りどころか住処から滅多に動かないチーリンから近況報告を求められた際に兒玉くんが真っ先に挙手し「百々瀬くん、友達になりたい人間みつけたらしいよ」と報告し――こうなった。
「ヒトツメもウシアタマも本当はリトが来てくれて喜んでいるくせにね」
「キタ、変なことを言うんじゃない!」
「そうだぞ。小生らはひとりぼっちでかわいそうだから仕方なぁく宴に呼んでやってるだけで」
「宴に呼んでやっている、ねぇ」
「なんだ、兒玉。文句でもあるのか」
「別に? ただもし百々瀬くんが誘いを断ってもこれは〝宴〟になりえたのか気になって」
兒玉くんがにっこり笑うと、ヒトツメとウシアタマがうっと呻いた。
「お、おのれ兒玉め!」
「新人のくせに生意気だぞ!」
「僕いつまで新人扱いなのさぁ」
「俺らの前じゃあお前はいつまでも新人じゃぁ!」
ヒトツメとウシアタマと兒玉くんがわちゃわちゃと揉み合う。その隣でひたすら赤い木の実を剥いては頬張るキタが俺を見る。
「実際どうなの? その祓い屋の彼とは友達になれそうなの?」
「んー……どうかなぁ……」
「さっそくやらかしたのか」
「ほれみろほれみろ」
「ヒトツメ、ウシアタマ」
飲兵衛の声音ながらも威厳ある音を持つチーリンの叱責に、楽しげに湧いてたふたりはつまらなさそうに口を閉ざした。
そもそも友達になりたいかと言われると、難しい。
「よろず倶楽部に来た依頼の調査のために彼の後をつけてたんだけど、それがバレちゃってさ」
鷹楽くんは確実に俺に悪い印象を抱いているだろう。それに、俺は人と友達になるのに慣れていないから、上手くいく未来がちっとも見えない。それでも、同じ景色は見れずとも同じものを知っている彼と話はしてみたいと思うけれど……。
「それに、俺が妖に肩入れしてるって思ってるらしくて」
「肩入れもなにも、リトには小生らしか友達がいないではないか」
それは否定しようもない純然たる事実だが。
「言い方的にさ、妖のことあんまり好きじゃないんじゃないかなって思って。だから、妖と親しんでいる俺のことも、あんまよく思っていなさげっていうか、だからか……かかわるなって言われちゃったし」
そう苦笑すれば、楽しげだった宴にしんと静寂が落ちる。それを破ったのは、兒玉くんだった。
「ま、あいつ捻くれ者だったからね」
「兒玉くんは本当に鷹楽くんに容赦ないな……」
「ん? 鷹楽?」
チーリンの眉がピクリと跳ねる。
「え、なになに、おじいちゃんなにか知ってるの。あいつもしかして有名な祓い屋なの?」
兒玉くんがにじり寄る。俺も気になってじっと見つめると、チーリンは蹄のついた前足で長い髭をそっと撫でた。
「京の方で栄えている祓い屋一門がそんな名だったはずじゃ。わしが生まれた頃にはもう名を馳せていたから……この国の元号で言うと、明治ごろじゃったかのう」
「へぇ、京都に居を構えるような名家のやつだったんだ。あ、じゃあ、あいつも訛ったりするのかな? え、想像つかない」
気にするところはそこなのか。
「てか、なんでそんなとこのボンボンがこの街にいるんだろ? 出張的な?」
「さぁな。鷹楽一門が今も名家かは分からんしのう。祓い屋なるものは視える血筋の人間として人間と妖の秩序を守るべく静々と奉仕するなどと謳っているそうじゃが、しかし彼らにも派閥争いなるものがあるようじゃった」
「派閥争い?」
「鷹楽と……どこだったかかのう、とにかくその二つが名門ながら特に争っていたとか。たしか鷹楽が〝タダシ〟という術を使う派閥だったことは覚えてるんじゃが……まぁ、あくまで南西から越してきた妖から聞いた話でしかないから、わしもそこまで詳しくは知らん。なにせ、この地に住まう妖には祓い屋なんてのはほとんど無縁じゃったから。この地に妖が多いのも、妖に心地よい陰気を持ちながらも祓い屋に目に止まることがほとんどなかった故、このわしですら見たことがある祓い屋は二、三程度じゃ。お前の父親が来るまではしばらく祓い屋の立ち入りがなかったからのう、ここいらはかなりの無法地帯でそこそこに荒れておったわ」
「他の祓い屋の目が届かない場所を調えるのが父さんの仕事だったらしいから」
父はどこにも属さない、言うなればフリーの祓い屋で、その信念と仕事のためにあらゆる街を転々としていた――もっとも、俺の中学進学とともにここに戻ってきたのは仕事絡みではなかったようだけれど。
この家に戻ってきてからの父の雰囲気は、元から落ち着いた人だったがさらに穏やかになった。そのうえ作家である母と同じように机に向かって筆を動かすのに勤しむようになったから、転職したのだろうかなんて思っていたが、尋ねても父は笑顔を浮かべるばかりだった。年単位で同じところに滞在したのははじめだったけれど、おかげで人生ではじめて友達に恵まれた。
思えば、父がどうしてこの街に家を持ったのかを俺は知らない。父は昔からどこにも属さない祓い屋としてあちこちを転々としていたらしいが、俺が生まれる前からあの家を持っていた。拠点が欲しかったのか、それともこの街には妖が多いにもかかわらず他の祓い屋の目につかないから気にかけてのことだったのか、今となっては分からない。
俺はこの街で生まれ幼稚園までを暮らした。中学生からまた戻ってきて、この街であらゆるものに出会い、そして、失った。
中学三年は喪失の年だった。
父の行方が分からなくなった。母は父を探すために家を出て、世界各国を旅するようになった。
父のことを思うと、今見ている世界が夢のような気がしてくる——俺はいまだ父がどこかにいってしまったことを受け止められずにいる。
沈んだところで、父が帰ってくるわけでもない。短く息を吐きながら、思い出にそっと蓋をする。それから鷹楽くんに思いを馳せる。
鷹楽くんのあの態度は、やはり祓い屋社会の軋轢からなのだろうか。もし鷹楽くんの家がその名門でしかも派閥争いとかも残っていたとしたら。〝視える血筋だから祓い屋〟になるというのに〝視えない祓い屋〟なんてのは面倒ごとの恰好の的にされそうなものだ。嫌味や揶揄の一つや二つはゆうに向けられるだろう。人の悪意の怖さや冷たくされる悲しみを思い出した皮膚がそっと震えた。
「百々瀬くんのお父さんの代わりにこの地を整えにきた……ってのは、可能性的に低いのかな。来るにしては遅いし、祓い屋はこの地を気にしてないんだか気づいてないんだかなんでしょ。じゃあ、破門されたとか?」
縁起でもない邪推を、と目を眇めれば、しかし兒玉くんは悪びれなく肩を竦めた。
「だってあの子さ。視えないでしょ」
「む。祓い屋なのに視えんじゃと」
「まぁ、先天性じゃないみたいだけどね」
「え?」
瞠目し、兒玉くんを見る。
「君と同じさ」
「同じって」
兒玉くもまた俺の方を黒い瞳でまっすぐ見つめて、言った。
「彼は――呪われてる」
小さく息を飲む。鼓動が大きく跳ねる。周囲の妖たちの視線も俺に向く。
「呪われたから、視えないってことか」
「微かにだけど、目のあたりにあの子自身のとは少し違う霊力を感じた。多分、あの赤目がその証印なんじゃないかな」
そうだったのか。あの美しい赤は、呪いによるものだったのか。
「君はそれを聞いたら同情して、根は悪いやつじゃないとか思いそうだけどさ。だからって、やっぱり人に当たっていい理由にはならないよ。僕はやっぱりあいつがあんまり好きじゃない」
それでも、と兒玉くんは俺の瞳を覗き込んだ。
「あいつと友達になりたいの」
そこに圧はない。ただ、まっすぐに、俺の意思を問うてた。俺が黙り込んでいると、ふいにヒトツメが明るい声を出した。
「ま、なんだ、リトがそいつと友達になりたいというのなら俺も応援してやらんこともない」
次いでウシアタマが、
「でも妖嫌いなやつはよくない。そのボンボンには小生らのような愉快な妖もいることを教えてやりなさい」
と、ふんぞり返った。それからキタが、
「あたしはどんなでも応援するからね。リトに人間の友達ができたら嬉しいからさ」
と花咲くように笑って、
「わしも応援してるぞ。まぁ、当たって砕けてみんしゃい」
と、チーリンが酒を呷った。
「砕けちゃ駄目でしょ」
「そういう覚悟でぶつかれと言う意味でな」
なんやかんや俺を慮ってくれるやさしい友達に胸がほっと和む。
かつてはこの目を憎んだこともあった。妖が視えるせいで出会う人々から気味悪がられ、意地悪をされることもあって、誰とも仲良くできずにいた。
けれど、今はかけがえのない友達を捉えることができるこの目を気に入っている――それでも、かねてからの憧れは、今でも根深く俺の中で息をしている。
公園で駆けまわったり、ゲームをしたり、楽し気に遊んでいる子どもたちのありふれた姿は、俺にはずっと遠く憧れの景色だった。やっぱり、人間ともかかわってみたい。
兒玉くんが言った通り、俺にはやっぱり、鷹楽くんが悪いやつだとは思えなかった。同情もあるだろう。彼も呪いを受けているなんて思いもしなかった。
彼に垣間見た傷に、おつかいをする姿に、驚いた顔のあどけなさに、もっとちゃんと彼のことを知りたいと思った。
もしかしたら、また怒らせてしまうかもしれないけれど。また背を向けられてしまうかもしれないけれど。また傷つくかもしれないけれど。
様々な恐れがある。それでも。
友達になれるかは分からなくても、この稀有な出会いをただでは失いたくない。やらない後悔よりやる後悔だ。
「頑張ってみるよ」
久々に奮起した、その数時間後——シャッターがおりた駄菓子屋の軒先に、俺と鷹楽くんはいた。
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