第6章 日々は続くよどこまでも ①

 夏が過ぎ、残暑厳しい九月。


 仕事は変わらず忙しい。


 でも、今は『死にたい』と思うことなく、日々を過ごしていた。


 ある日、こんなことがあった。

 通所リハビリを利用しているご利用者で、百歳の誕生日を迎えた方がいた。

 加藤さんというその人は、百歳になっても元気で、ふらふらしながら歩いているが、簡単な家事もこなし、家の外も歩行補助車を押して歩いている。たまに草取りをしては、危ないことをするなと、ご家族に怒られているそうだ。

 個別リハビリをしているとき、加藤さんはとても明るい笑顔でこう言っていた。


「まあ、いつお迎えが来てもいいんだけどねえ。いつになるんだろうねえ」


 僕はこう返した。


「その笑顔で、笑って待っているしかないですよ」


 そして、二人で笑っていた。


 利用者とのやり取りで元気がもらえる。

 それは、介護業界で働いている人なら、多くの人が経験しているのではなかろうか。

 この業界で働くということにも、それなりに魅力はあるのだ。


 メディアではどうしても、介護そのものの大変さや、業界の厳しさをセンセーショナルに伝えがちだ。もっと良いところが多くの人たちに伝わればいいのにと、心からに思う。


 特に、これから戦争を経験してきた世代がどんどん減ってきてしまう。戦後の貧しく、苦しい時代を知った人たちがいなくなってしまう。そんな人たちの話が聞けるのは、本当に貴重だ。それはただ、懐かしむというものではなく、温故知新、過去の経験談が、今回の僕のように、今の世代の悩みを吹き飛ばしてくれる可能性だってあるのだ。


 こんな風に、日々の忙しさには変わりはないのだが、それなりに仕事は順調で、心穏やかな日々が続いていた。


 しかし、プライベートでは少しトラブルが続いていた。


 ある時、家に帰ると、奥さんから、虎徹が保育園で他の園児を噛んでしまったらしいという話を聞いた。


 もう注意はしたから何も言わないであげて、と奥さんに言われ、とりあえず虎徹の頭を撫でて抱きしめた。


 そんなことが三日続いた。


 どうしたものかと、夫婦二人で頭を悩ませた。


 喉を傷めた一件以来、僕は虎徹に対し、あまり声を荒らげず、叱らないようにしようと努めていた。しかし、それでもイライラしてしまう時はどうしてもある。奥さんにしてもそうだ。


 特に、ご飯を食べること、歯を磨くこと、風呂に入ること、寝ることを嫌がると、どうしてもイライラしてしまう。それらは、基本的にやらなければいけないことだと思うし、寝る時間が遅くなることは、成長の妨げになるのではないかと思うと、どうしても焦ってしまう。


 最近、忍が這って動き回るようになった。いろいろなものに手をだし、そのまま口に入れることも多くなっていた。それで、親も忍に注意が行きやすくなっていた。そして何よりも、そんな毎日が続いて、奥さんにも疲労が溜まり、お互いに余裕がなくなっていた。


 そうして、僕たちが言うことを聞かない虎徹に注意をすると、虎徹も大きな声で嫌がるし、仕舞いにはおもちゃを床に投げつけたりすることもあった。


 どうしていいか思い悩んだ僕は、仕事帰り、駐車場の車内で、自分の母親に電話をしてみた。


「あら、どうしたの?」


「ああ、実は最近、困っててさ……」

 僕は最近の虎徹の様子を話した。


「あらあら、それは……困ったねえ」

 そう言う母親も困ったような声を出していた。


「私も大したことは言ってあげられないけど……」


「まあ、そうだよね」

 僕の母親はただの専業主婦だ。僕は自分が母親にどう育てられたか知っている。


 僕の母親は、ただひたすらに優しい人だった。僕は母親に怒られた記憶がない。僕のどんなわがままにも付き合ってくれていたのではなかろうか。


 だから、僕も虎徹に対してそんな風に接したいと思っているのだが、うまく行かない。


 そんな母親からの教えは、

 一つ、嫌いなものでも、一つでいいから食べなさい。

 一つ、私の言うことは聞かなくても、先生の言うことは聞きなさい。

 この二つだけだったと思う。


 そして、僕は物心ついたころには、その二つのことは絶対に守っていた気がする。

 でも、母親から見たら違っていたのかもしれないと思い、聞いてみた。


「僕が子どもの頃って、どうだっけ?」


「昭人は、ある程度好きなことをすれば、納得して次のことをやれていたからね。あんまり困った記憶はないなあ」


「そうだよね。なんで虎徹はああなんだろう」

 僕が育てられてきたように、僕も虎徹に接しているつもりなのに……。


 親と子。似ているようで、まるで個性が違う。


「……いま、四歳でしょ?」


「そうだよ」


「たぶんだけど……拗ねてるんだよ、それは」


「あれ、拗ねてるの?」


「私もよく分からないけど、何かの本だかテレビだかで聞いたことがある気がする。四歳は拗ねる時期なんだって」


「時期か……」


「時期。そういうものなのよ。その子の性格がとか、個性がとかは関係なくて、そういう時期。だから怒ったって仕方がないよ」


「そっか……」


 個性ではなく、ただそういう時期なのか。


 いまのわがまま放題な状態のまま、大人になったらどうしようかとか、どうしたらこの性格を直せるのだろうかとか、そんなことを考えてしまうけど、それがただの成長過程の時期によるものであるなら、その子の性格や個性は関係ないと思えるし、いつか終わりが来るということだ。


 むしろ、そんな時期に大声で叱ったり、叩いたりしてしまった方が、性格に影響が出そうだ。


 今はどうしようもないのだ。

 それをどうにかしよう、言うことを聞かせようとするから辛くなるのだ。

 どうしようもないことと理解すれば、少しは楽になる。


「それにね、親が悩んでちゃ駄目」


「そっか………そうだよね。ありがとう。少し気持ちが楽になった」


「それは良かった。ところで、今週末は保育園の運動会だったよね」


「そうそう。ああ、そうだ。スケジュールを伝えなきゃね。家に帰って確認したらまた連絡する」


「楽しみにしてるね」


「うん、ありがとう。お休み」

 僕は電話を切って家に帰ると、奥さんに母親との話の内容を伝えた。


「拗ねる時期、か」


「うん、母親もよく分かってなさそうだったけどね。でも、そう思うと、何か少し気が楽になってさ。だって、拗ねてるなら放っておくしかないもんね」


「そうだね」

 その日のお風呂も、虎徹は案の定嫌がったが、それなら先に入ってるねとだけ言って浴室に行くと、しばらくしてとぼとぼとやってきた。


 やってきたところで服を脱がすのを手伝ってやると、その後は嬉しそうにお風呂に入った。


 よくよく考えてみれば、誰しも心当たりのあることじゃないか。


 言われるとやりたくなくなる。

 だから何でもいやいやで、それで怒られると拗ねてしまう。

 そんな状態になったところに、どれだけ大きな声を出して叱ったり諭したりしたところで、子どもも後に引けないだろう。少し距離を取って、気持ちを落ち着かせる時間を作ってあげた方が良いのかもしれない。


 それに、母親の言った『親が悩んでちゃ駄目』の言葉が胸に響いた。


 子どもは日々成長していくのだ。親が何かしても、何もしなくても成長していく。

 それに親がついていけなくて、くよくよ悩んでいても、良いことは何もない。

 悩むくらいなら、子どもの好き放題にさせてやった方が、いろいろ身に付くというものだろう。


 変わるべきなのは、きっと僕の方なのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る