第6章 日々は続くよどこまでも ②

 十月になると、仕事で珍しく泊まりがけの出張があった。


 毎年各所で行われる、全国介護老人保健施設大会に施設として参加しているのだが、今年はリハビリ部門で参加することになっており、僕が発表することになっていた。


 夜に僕がいないというのは今までなかったので、虎徹や忍がちゃんと寝るのか、奥さんが疲れてしまわないか心配ではあった。


 しかし、当の奥さんは――


「大丈夫だよ。虎徹は、パパがいない方がしっかりしているから」

 と頼もしいことを言っていた。


 今年の全国介護老人保健施設大会は埼玉であった。


 名古屋まで電車で移動し、そこからは新幹線で東京まで移動、さらに乗り継いで大宮まで移動した。


 仕事でもプライベートでも、東京に来るのは年一、二回しかないが、僕はあまり東京が好きではない。


 新幹線の車窓から眺めていると、東京という場所は、僕の眼には恐ろしく映る。

 立ち並ぶ高層マンション。その窓の数だけ人がいるのだろうと思うと、非常に重苦しい気持ちになるのだ。


 自分という人間は、いったい何分の一なのだろうかと。

 駅でも、たくさんの行きかう人たちを見ていると、僕一人くらい、いてもいなくてもどうでもいいのだろうなと感じてしまう。そんな鬱的な気持ちを抱くのだ。


 生物というのは、限られた生活空間の中で生きられる個体数に限界があるというのを、理科の授業で習った気がする。

 人間は高層マンションなど、居住空間を上に積み重ねることで、生活空間を広げてきた。しかし、駅や町を見ていると、やはり人が一地域に集まりすぎている気がする。その息苦しさは、それだけで人を死に追いやってしまうのではないだろうか。

 都会の姿は、いつも僕に不安や恐怖を抱かせるのだ。


 地方は良い。


 それを都会の人も知ることができたらいいのにと思うことがある。

 都会で生まれ育った人からしたら大きなお世話かもしれないが。


 でも、仕事やら人間関係やらで、自ら命を絶つことを選んでしまうような人は、一度地方に来ると良い。農村や、自給自足をするような田舎じゃなくて、地方都市とか、その郊外であるとか、都会より過ごしやすい場所が、少し視野を広げれば見えてくるのではないだろうか。


 とか言いながら、自分も仕事が忙しいからって、『死にたい』と考えたりすることもあるのだが、だからこそ、僕は都会で暮らしていたら、とうの昔に死を選んでいたんじゃないだろうかと思うのだ。


 全国介護老人保健施設大会では、全国の多くの施設が演題を発表する。僕も発表者の一人ではあるが、現地に到着したのは一一時で、発表のセッションは十三時から十四時。発表自体は一〇分であるが、その間は会場になければいけない。その他の時間は各会場を回り、気になる話を聞いて回った。


 出張二日目は、大ホールで開かれているシンポジウムに参加した。

 なかなか興味深い話も聞けて有意義だった出張を終えて、家に着いたのは一九時頃だった。


「ただいまー」


「おかえりー!」

 僕の声にすぐさま反応して、虎徹がけたたましい足音と共に玄関までやってきた。


 いつもの倍の力で僕の足にしがみついてくる。


「大丈夫だった?」

 僕は、忍を抱えて現れた奥さんに聞いた。


 スマホで連絡を取り合っていたので、大丈夫であることは知っていたが、つい聞いてしまう。


「いい子だったよ。虎徹も、忍も」


「オレね、オレね、いい子にしてたよ」


「よくがんばったなあ」

 少し泣きそうな顔で報告してくれるわが子の頭を、僕はくしゃくしゃに撫で回した。


 みんなでリビングに入ると、テーブルの上に一枚のラミネート加工された紙を見つけた。


「これは?」

 手に取って見てみると、そこには英語でハッピーバースデイと書かれていた。


「保育園の誕生会があったから、虎徹のバースデーカードだよ」

 A4サイズの紙には、名前と、誕生日、年齢などが書いてある。


「ああ、こんなの、僕が子どもの頃にもあった気がするな」

 そこには、『大きくなったらなりたいもの』も書いてあった。


「……虎徹、お前、お医者さんになりたいの?」

 僕はそこに書かれていることに驚いて、足にしがみついたままの虎徹に聞いた。


「うん」


 いままで、虎徹に同じ質問をしても、その時のお気に入りの特撮ヒーローの名前しか出てこなかったのに……。いや待てよ、少し前には医者が主人公の特撮ヒーローを見ていた気がする。

 だから聞いてみた。


「……何でなりたいの?」


「オレね、いい人になりたいの」


 その言葉に、自分の当時のことを思い出した。

 保育園の年長だっただろうか、虎徹と同じように、保育園の誕生会があり、そこで一冊の本が渡された。そこには自分の写真と手形が飾られたページと、好きな食べ物を選ぶページ、そして将来なりたいものを選ぶページがあった。


 将来なりたいものとして、動物のキャラクターが扮したいくつかの職業の絵が描かれていて、その中から自分がなりたいものを選ぶようになっていた。


 そこに何が描かれていたか……女の子向けにはケーキ屋さんやお花屋さん、男の子受けには消防士や警察官が描かれていた。他にも何かあったかもしれないが、それは思い出せない。


 でも、そこで僕は、警察官を選んだ。


 僕は、お弁当の日に、先生に少し分けてあげることが好きだった。

 家の庭で母親が育てている花を、教室に飾る用に保育園に持っていくことが好きだった。

 そうすると、先生が喜んで、「ありがとう」と言ってくれる。

 自分が、いいことをした気分になるのだ。


 警察官を選んだのも、同じような理由だった。

 僕はその時、いい人になりたかったから、警察官を選んだのだ。


 虎徹と一緒だ。


 僕という人間性は、ちゃんと虎徹に伝わっている。


 父親である自分と、息子である虎徹とが、ちゃんと繋がっている。


 その実感は、とてもとても温かいものだった。


 虎徹はいつも、自分のやりたいことばかりやって、わがままで、パパの言うことは聞かない。そんな風に思っていた。

 でも、ちゃんと思いは伝わっている。すくすくと成長している。


「でもね、消防士さんでもいいよ」


「そうか、消防士さんになるなら、マッチョにならないとな」


「えー、マッチョやだ」


「そっか、じゃあ、やっぱりお医者さんか」


「うん」

 僕はしゃがみこんで、虎徹の頭を撫でた。


 男子、三日会わざれば括目してみよ。

なんて慣用句もあるが、三日どころか一日だけど、子どもの成長を目の当たりにした瞬間だった。

 自分から見えている虎徹の姿だけが、彼のすべてではない。その範疇を越えて、子どもは成長している。


「嬉しいね」


「そうだね」

 僕と奥さんは、顔を見合わせて笑いあった。

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