第5章 目覚めの時 ②
それからというもの、子どもが寝静まった後、ゲームをしながらも考え事をしていた。
この時代の中で、僕はどのように生きていくのか?
ここは、『時代』なんて大きなくくりにはせず、今の僕の状況を冷静に分析し、その上でこれからどうすべきなのかを考えよう。
『時代』は『時代』。『僕』は『僕』だ。
時代に流されるのは仕方がないと言っても、あきらめではない。
自暴自棄になる考え方ではなく、『時代』というものを受け入れた上で、考えるということだ。
『今』という時代を受け入れられず、『過去』の時代によって形成された自分を固持することしかできなければ、『未来』の時代は辛いものでしかなくなってしまう。
今を冷静に考え、自分を冷静に見つめ、その先を冷静に見通すのだ。
流れに逆らってあがくのではない。
流れを感じ、流れていく先に何があるのかを見極めるのだ。
今の仕事、職場、それらを取りまく社会情勢。
奥さんのこと、子どものこと。
今までの自分、今の自分、これからの自分。
僕は理学療法士という仕事をしている。いろいろあったが、今はそれなりに自分に合った仕事だと思っている。確かに、給料はそれほど高くないが、それでもやりがいを優先しているのだから仕方がない。
給料を優先するならば他の仕事がある。愛知県のここら辺は自動車関連の工場があり、そこでも働くことはできるかもしれない。しかし、それが自分に合っているとは思えない。
奥さんに就職活動の話を聞いた時には、食品関係の会社に就職するのもよかったと思うこともあった。教員という仕事がうらやましく感じることもある。しかし、それはいまさらだ。
かといって今の仕事に力を入れすぎて体を壊してもいけない。
介護保険制度の改定ごとにストレスはあるし、不満もある。しかし、それこそ時代の流れの中、一人でどうにかなる問題ではないし、施設での対応は、今は主任ですらない自分一人で決めるものではない。
そして僕は、家庭のことも大事にしたい。今は高度成長期の家庭のような、父親が働き、母親が家で子育てするような時代ではないし、僕自身、子どもが好きだから、子どもとの時間を大事にしたい。それに奥さんと共働きである以上、しっかりと家事も育児も関わって、奥さんが思いっきり働けるようにしてあげたいと思う。
そうだ。何より僕は、この一度きりの人生で、みなちゃんと結婚した。
結婚は誓いだ。奥さんを幸せにすると誓ったのだ。奥さんにとって良い夫でありたいというのは、僕の第一の願いではないだろうか。奥さんの性格を考えると、彼女は主婦として家庭に入っているというのは性に合わないだろう。もともとアクティブな女性で、旅行が好きだ。自身の稼ぎがあった方が、趣味的な遊びも、思う存分できるはずだ。
だが、これでまた考えすぎて、思い込みすぎて自分の体を壊してはいけない。それでは奥さんも子どもも心配してしまう。気楽に考えればいい。奥さんも働くのだから、僕も適度に働けばいい。
それに、施設の利用者を見ていると思う。
戦争を経験しているような世代の人たちは、大した社会保障もない中を、輝かしい未来を描く余裕すらない中を生きてきた。それでも人間は生きている。だから、僕もそんな深刻に考える必要はないはずだ。意外と人間は生きられるものだ。
僕は子どもの頃に見たアニメやゲームの影響でギリシャ神話が好きなのだが、有名な話に『パンドラの箱』というのがある。多くの物語に引用され、聞いたことがある人は多いであろう。
まだ人間に男性しか存在せず、災難というものがなかった時代。神ゼウスが、パンドラという女性を、全ての悪と災いを封入した箱を持たせて送り込んだ。パンドラが好奇心からその箱を開けてしまうと、中に入っていたあらゆる災いが人間界に解き放たれてしまう。パンドラが慌てて蓋をすると、箱の底には『希望』だけが残った。
その話の解釈には諸説あるとは思うが、あらゆる災いが詰まった箱の中に希望が残っていたというのは、おかしな話だと僕は思っていた。むしろ、最後の最も危険な災いが解き放たれなかったからこそ、人類には希望が残ったのではないかと。
その最後の災いは、『未来を知る力』なのではないかと、僕は思う。それが箱の外に出なかったから、人間は絶望せずに済んだ。所詮、人間の最後は死だという事実に気づかずに済んだから。
しかし、今の時代、将来の自分をみんなが想像するようになった。それは『未来を知る力』に近い。いや、無駄に若いうちから、死の想像だけ膨らんでしまうのは、未来を確実に知ることよりも不安をあおり、たちの悪いものだろう。そういう意味では、想像力というのは、パンドラの箱を開ける以上の災いかもしれない。
だったらそんなことは考えなければいいのだ。
幸い、今の僕には奥さんと子供がいる。幸せがそこに間違いなく存在するのだ。だから、不幸から目を背けるのは、割と容易なはずだ。
奥さんと、子どもと、そして何より僕のための、良い選択肢とはいったい何なのだろう。
そして、一つの答えに行きついた。
ゆっくり奥さんと話をするのは、いつも子供が寝静まった後。
二人して一階の居間で過ごしているときに、僕は話を切り出した。
「あのさ………僕が、専業主夫になるっていうのは、どうかな?」
「え?」
奥さんは何とも言えない表情をしていた。
唐突過ぎて驚いてはいるのだろうが、僕の以前の病気の事もあるから、心配するような表情と、突然何言っているのといった戸惑い、苦笑するような表情が入り混じっていた。
「別に体の調子は悪くないよ」
僕はそう前置きをして、自分の行きついた結論を話した。
「やっぱり、僕の方が給料安いから、例えば今後、どちらかが仕事を辞めなきゃいけないような状況になった時に、みなちゃんより、僕が仕事を辞めた方が、収入は良いかなと思ってね。辞めなきゃいけいない状況っていうのはいろいろあると思うけど、一つ思うのは、いまは学童保育も小学校六年生までやっているとは思うけど、小学校も高学年になると思春期に入る頃だし、子どもの習い事なんかもさせたいと思うと、送り迎えが必要だったりするだろうし……。虎徹が小学校五年生くらいなったら、どっちかが仕事をやめて子どもと十分に接することができるようにするという選択肢もありかなと思ってね。
もちろん、子どもたちが大きくなって、余裕が出ればまた働くつもりだけど、そういう場合も、僕の方が職種的に再就職はしやすいし、パートもしやすいと思うんだ。僕は、病院勤務はあまり自信がないけど、福祉系であればやっていけると思う。そういうところの就職口は、これからの時代も、それなりにあると思うんだ」
「まあねえ」
奥さんは頷くものの、納得したという表情は見せていない。
「多少、男として甲斐性があればと思うところではあるけど、そんなもの、ないものはない。いまさら稼げる理学療法士になれないなら、どうでもいい男のプライドは捨てるべきだ。今すぐというわけでもないけど、やっぱりどちらかが家にいた方が、子どもを育てていく上では都合がいい時期があると思うんだ。友達と遊びに行くでも、習い事に行くにも、家に待っている人がいることは重要じゃないかな。特に子供が小学生のうちはさ。その方が子どものしたいようにさせてあげられるんじゃないかな。中学はどうかなあ、その子次第であると思うけど。高校にもなれば親が少しくらいいなくても……、むしろ少し家事の協力をしてもらえるかもしれない。そうなればもう一度働けるしね」
「今の職場はやめるのはいいの? もう一度働きたいと思った時に、今の職場で働けるとは限らないよね?」
「そりゃ、今の職場は良いよ? 一度やめても、もう一度雇ってくれるのなら、それは有り難いし。そうでなくても、他のところでも、別にいいよ、僕は。こだわるところ、あきらめるところ、自分で取捨選択していかなきゃいけいない」
「……ふーむ」
奥さんはしばらく考え込むが、自分の考えがまとまったのか、数回頷くと顔を上げた。
「理屈は分かるけど、私は嫌だな」
「そうなの?」
「うん、だって、私、ママがしたいもん」
「ママが……したい?」
「うん」
そう言って、奥さんは力強く頷いた。
「私は分かるな、奥さんの気持ち」
同僚の三矢さんはそう言った。
「そういうもんですか」
僕は、奥さんと話し合った日の翌日の昼休み、職場で三矢さんに相談していた。
三矢さんは、僕が就職したときから勤めている先輩だ。
僕よりも十歳年上の女性であり、僕が就職していた時には常勤で働いていたが、子どもが大きくなり、数年前にパート勤務になった。
「だって、せっかく女性に産まれたんだからさ、母親でありたいじゃん。母親として、子どもにいろいろと世話を焼いてあげたいじゃない? 特にご飯なんてさ、いわゆる『おふくろの味』がお父さんの手料理っていうのは、ちょっと嫌だな。別に今の時代そういう家族だっていると思うし、それが悪いわけじゃないけど、自分としてはやっぱり母親をやりたい」
「そうなんですね」
ママになりたいか……そういうのは、分かる気がする。
男女平等だとは言っても、お腹を痛めて子どもを産めるのは女性だけだ。それは男が代わることはできないし、母と子の絆は、やはり父と子の絆とは違うことを、今の生活でも痛いほど感じている。そして、女性の社会進出が進んだとは言っても、一方で専業主婦になることを望んでいる女性もいるはずだ。ママになること、ママとして子どものために、あるいは妻として夫のために最大限尽くしたい人だっている。
ただ、本人には口が裂けても言わないが、うちの場合、正直、奥さんに専業主婦は向いていないと思う。バリバリ働く方が合う気がするのだ。
だが、向いているか向いてないかと、やりたいかどうかは関係がない。やりたいものはやりたい。
それならそれで、奥さんは時間の許す中で、ママとしての役割をしてもらえればいいとも思う。
たとえば運動会の日にお弁当を作るのは奥さんがするとか、休みの日のご飯は奥さんが手料理を作るとかだ。
それに、今でも部屋の掃除が行き届かず、散らかり放題の家の様子に奥さんが苛立っているから、それは僕が専業主夫となれば保つことができる。季節の変わり目に、布団を出したり、暖かいカーペットを敷いたりも、ちゃんと時期に合わせてできる。
朝も二人して慌てなくて済むから、穏やかに一日を始めることができるのではないだろうかとも思う。
でも、奥さんの中にある、ママとしてのやりたいことが何なのかは分からない。どちらかと言えば完璧主義だから、そのすべてを自分でやりたい気持ちがあるのかもしれない。
僕は、奥さん――みなちゃんの夫として、彼女が幸せになるように、努力したいと思う。僕は子どもよりも奥さんを幸せにする努力をするべきだと考えている。どんな子どもが生まれてくるか、自分で選ぶことはできないが、奥さんを誰にするかは選ぶことができる。そして僕はみなちゃんを選んだ。
それに、結婚式で、僕は、夫として奥さんを幸せにすると誓いを立てたはずだ。
だから、奥さんが望まないことを、無理に押し通すつもりはない。だから、僕なりに考え、行きついた答えである『専業主夫になる』ということは、一旦保留にするしかない。
残念ではあるが、仕方がない。
それでも『ある兵士の回想録』を読んで得られた世界の変容は、僕の気持ちをかなり楽にしてくれている。
(ま、何とかなるし、ならない時はその時さ)
そうして再び、僕の日常が繰り返される。見た目には大きな変化はなく、これからも日々は繰り返されていくのだ。
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